創作『かざぐるま』[第9話]

[第9話]颯太

作者注)本話は性的な表現を含みますので、ご注意お願いします。

 X年11月。夜。K駅前広場。「その人」は決まって、ある人のギターの演奏を聴きながら待ち合わせ時刻までの時間をつぶしている。路上ライブをしている人は他にもたくさんいるけれど、「選曲がいい」ということで聴いている。若い女性シンガーや流行りの曲を演奏する人の周りには必然的に人だかりができるが、人数が多いところは「その人」も俺も好きではない。一方このギター奏者は一人で静かにギターをかき鳴らしながら、時折歌を口ずさんだり、メインストリームからは外れた、知る人ぞ知る海外のバンドの曲を弾いたりする。そしていつも、活気ある広場の中心から離れたところに立っている。聴いている人はほとんどいなくて、俺たち2人しかいないことも少なくない。けれどこの人は目の前に誰一人いなかったとしてもギターを弾くんだろうなと思う。好きなことをただひたすら続けていくんだろう。誰も見ていないとしても。
「お疲れ」
 俺と目が合うと「その人」は必ずそう言う。口数は少なく、冗談も言わない。でも冷たい印象はなくて、穏やかな空気をまとっている。自分の中から自然と「やさしい」気持ちが生まれ、俺の疲れた心を癒す。会うだけでも、ほっとする。

 そこからは会話も交わさず、2人で広場を後にする。そして駅前通りを数分歩いた後少し外れて、狭い路地へと入って行く。駅前の騒がしさがどんどん遠くなり、人気(ひとけ)も少なくなってくる。路上には、ラベルがすっかり汚れたペットボトルが放置され、スポーツ新聞が乱雑に捨てられていて、そこを黒い野良猫がのそのそと横切る。その辺りから都会特有の異様なにおいが強くなり、古びた風俗店街を通り、しばらく進むと、黒ずくめの建物が見えてくる。同性同士で入れるホテルである。
 暗いフロントでチェックインを済ませて部屋に入ると、だいたい「その人」が先にシャワーを使うので、俺はベッドに腰掛けてぼんやりしていることが多い。あ、もう言ってもいいかな。「その人」の名前は、“アイさん”という。本名は知らない。「アイ」もアルファベットのアイなのか、本名の一部なのか、適当に付けた名前なのかも不明だ。でも知り合ってからずっとその名前だ。俺は“そうた”という名前を伝えている。

 アイさんとはいつの間にか長い付き合いになってしまっていた。高校生の頃にネットでやりとりをしていた人が複数いたのだが、アイさんはその一人で、俺と趣味がとても似ていた。考え方とか生き方についても良いなと思うところがあり、あとは大人の男の人への純粋な憧れもあった。当時、右も左も分からず自分の世界に閉じこもりがちな子羊だった俺にとって、彼の存在はリアルに会っていなくても、心強かった。半年ほど交流を続けて実際に会うようになってからは、雑談や相談をするだけでなく、ライブハウスや美術館にも行った。それと、セックスを教わった。それから春稀と付き合うようになってからも、アイさんとの関係は切れないままで、今に至る。アイさんは俺にとって「セフレ」という安易な言葉で片付けてしまえるような人ではない。どちらかというと「人生の先輩」だし、何より隣にいると、恋人とは違った心地良さを感じるのだ。彼は恋人は作らない主義なので、俺とは今の関係が楽だと言う。俺はもちろん、春稀が一番だと思っている。これは本心だ。もうこれ以上、春稀につらい思いをさせたくない。だから、アイさんと会うのももうやめる。今日はそのつもりでやって来た。
「最近眠れてる?」
 シャワーを終えた彼が尋ねてくる。そんなにひどい顔をしていたのだろうか。でも思えば毎日課題漬けだし、春稀はよく夜中にいなくなるし、睡眠も十分ではない気がする。
「目が死んでる」

 目を覚ますと、俺は彼の裸の胸に抱かれていた。
「ずいぶん寝てたね」
 俺は慌てて時計を見る。
「大丈夫。終電は間に合うよ」
 そう言われて安堵すると、彼にゆっくりと髪を撫でられながら、
「君は頑張ってる」
 と言われて、涙が出そうになった。
「……俺、もう、正直どうしたらいいか分かんないです」
「うん」
「…“はる”のことは一番大切だし、これからも一緒にいたいって思うんです。でも、いつも変に居心地悪くて…、どう関わっていけばいいか分からない。“ゆき”が出てきて殴られるのも慣れたんですけど、『死ね』とか『消えろ』って言われるのは結構つらいんですよ。あいつ夜になると勝手に家を出てくんですけど…、俺はもちろん心配するけど、もう最近は、…あいつがいなくなってほっとしてる自分がいるんです。“ゆき”のことも大事にしようって思ってたのに。自分がやっぱり…、最低な人間だって気づいて、ショックでした。だからアイさんと会うのもやめようと思ったんですけど、なんかもう俺…、アイさんがいなくなったら、…もう、どうにかなっちゃいそうな気がして」
 今まで心の内にしまっておいた思いが溢れて、言葉も涙もとめどなく出てきてしまった。
「ごめんなさい…。迷惑ですよね…」
「迷惑じゃないよ。俺が思ったのは…まぁ現実的じゃないけど、一旦、“はるくん”と離れてみるっていうのはどうかな。物理的に、意識的に」
「離れる?」
「そう、別れるんじゃなくてね。このままだと2人とも…、共倒れするんじゃないかっていう不安はある」
「うーん…、確かに、そうですね」
「あとは頭の中でぐちゃぐちゃになってることを、紙に書いてみたり。…でもまぁ、結局大事なのは、『君の本心がどうしたいと思っているか』、じゃないかな」

「12月なんだけど、いいチケットが取れた」
 彼は別れ際に言った。俺が好きなアーティストのライブのチケットだった。彼は、俺と行きたいと話した。俺は純粋に、とても嬉しかった。こんな気持ちになったのは久しぶりだった。日々生きるのに精一杯だったので、すっかり忘れていた感情だった。
 会うのはその日で最後にしよう、と彼が言った。俺も、同じ言葉を心の中で唱えた。