創作『かざぐるま』[第18話]

[第18話]颯太

颯太:24歳 男性
 
 X+1年10月。深夜。公園。俺と春稀は目立たない植え込みの傍らにいた。春稀はライトで辺りを確認して、ここにしよう、と言った。
 
 午前中、久々に片付けをしていると、ユキが吸っていた煙草の箱が見つかった。場所はキッチンの一番上の棚の奥で、台に乗らないと見えないところだった。なんでこんなところに隠したんだろうね、と春稀は言った。まるで会ったことのない他人が忘れ物をしていったみたいな言い方だった。それは確かにユキが吸っていた煙草だ。棚に入れたのもユキだろう。だが今の春稀にとってはユキに関するあらゆる記憶が薄まってきているらしい。いや、「意図的に」ユキのことを頭から消そうとしているだけなのかもしれない。忘れよう、忘れようと努力しているのだと思う。そんな中、煙草の箱が見つかったのだった。俺も最初、春稀の手に乗ったそれを見たとき、とてつもなく嫌な気持ちになった。そんなの捨てなよ、と言ってしまいそうだった。ゴミ箱に思い切りぶち込んでもいい。しかし春稀はそれを離さなかった。箱の表面を、角度を変えながら長いこと見つめていた。初めて煙草の箱を見た人のように、時間をかけて眺めていた。それから中身を確かめて、残されていた煙草を取り出して言った。
「あいつ、後で吸おうと思っていたのかな」
「うん…、そうなのかもね」
「あいつらしくない。ユキなら全部吸ってから消えるはずだ。でも1本残しておくってことは…、まだこの世に未練でもあったのかな?」
 春稀は何か考えているようで、しばらく黙っていた。そしてこう言った。
「ユキのお墓を作ろう。」

 というわけで俺たちは公園まで歩いて来た。この時間帯なら外にいる人もほぼいないだろうし、こんなことをしていても怪しまれないと思った。それにここは学生アパートのある地域から少し外れているし、およそ変なやつはいない。変なのは俺たちぐらいだ。
 春稀がズボンのポケットから箱を取り出し、最後の1本にライターで火をつけ、一口吸ってみた。うわぁ、苦いし、くさいよ。と言って春稀は変な顔をするが、すぐには火を消さないでいた。それから俺たちは協力して地面の砂を掻き出した。土を触るのは子どもの頃以来だとそのとき思った。スコップも持っていたが結局ほとんど使わず、爪の間に砂が溜まっていった。煙草の煙と、湿っぽい土のにおいが鼻を刺す。なんだか自分たちは遠い昔の、原始的な儀式をしているような気分になった。そうやってできた窪みに春稀が空箱を置いた。そこが昔からの定位置みたいに、箱はごく自然に置かれた。そして砂をかぶせ、ぽんぽんと叩いて元の状態に戻した。春稀が咥えた煙草で線香に火をつけて、良い香りだね、とつぶやく。線香は新しく盛られた土の上にまっすぐに立てられた。
「今度こそおしまいだ。」
「おしまい?」
「ユキの出番はもうおしまい、ってこと。ようやく僕も落ち着いてきたのにね。まだユキの名残があったなんてびっくりした。お墓まで作れば、大丈夫だよね…?」
「ユキが、また出てこないかって…?」
「うん。」
「考えてみたらさ、俺ずいぶん…ユキと会ってないよ。春稀もそうなんでしょ?」
「うん。」
「ということはほぼ10か月…、出てきてないってことだよね。」
「じゃあこの調子でいけば…、大丈夫だよね。うん、大丈夫だ、きっと。」
 春稀が吸っていた1本は短くなって地面に落ち、靴底が火を消した。もうこの煙草を吸う人はいない。
「僕やっぱり、そうちゃんのがいいなぁ。」
「俺の? 持ってるよ」
「ちょうだい」
 手についた土を払い、ショルダーバッグから電子タバコを出して春稀に渡す。あーこれこれ、と言って春稀は気持ち良さそうに煙を吐き出す。
「こんなとこでトばないでよ?」
「へへ、ほどほどにしとく」
 春稀の笑い声が聞こえ、唇が重なる。
「ここ外だって」
 と言うと、前は気にしてなかったじゃん、と言われる。前っていつぐらいだっけ、と俺は思う。 

「あの公園、ユキがよく来てた。いつも1人で適当な遊具に座ってるの」
「知ってる。うち帰ろうって呼んでも、全然聞いてくれなかった」
「あいつなりの、落ち着く場所だったんかなぁ。だからお墓を作るとしたらそこだって思ったんだ。喜んでくれてるといいな」
 帰り道、行きとは違ってずっと話しながら俺たちは歩いていた。話題が変わっていき、進路の話になった。
「そういえば、そうちゃんは就職どうするの?」
「候補は考えてる」
「え、どこ?」
「夏に実習で行った児童養護施設かな。今のところは」
「へー、そうなんだ。どうして?」
「うーん、なんかね…。施設にはいろんな子がいて…、まだ小さいのに、すごくつらい経験をしてきた子が多くて。本当に、現実にあったことなのかって思うくらい。それに比べて俺は、今までどれだけのんびり生きてきたんだろうって思ったんだ。比べることじゃないけどさ。でもみんな、一生懸命、日々を生きてるんだよ。施設でも学校でも楽しいことばかりじゃないけれど、それでも笑って生きてる。そんな子たちを見てたら…、とても大きな力をもらえた気がして。」
「そうなんだ。」
「うん。春稀は?」
「え? 僕…? ……」
 自分から話を始めたのに、いざ自分が尋ねられると沈黙してしまう。春稀によくあることだ。俺は言葉の続きを待ちながら隣を歩いた。道路も民家も遠い空もモノクロ映画みたいに、昼間の色が抜けている。消えそうで消えずに震えている壊れかけの街灯の青色が眩しい。
「僕は…、これからどうなるんだろう。…まだ、分からないんだ。」
「そうか。」
「もちろん卒業はするよ? もう留年したくないし!」
 春稀は笑うが、その笑顔はすぐに消えていく。
「でもね…、その先は、分からない。学校はちゃんと始まりと終わりがはっきりしてる。だから僕は今までなんとか頑張ってこられた。入学したら卒業するために努力すればいいから。だけどこれからは違う。学校は終わり。じゃあ次に行くべきところはどこなの? 分からない。僕はお金持ちじゃないから、働かなくちゃいけないとは思ってるよ。でも、どこで働くんだろう。全然想像ができない。未来が見えないって、とても怖いよ。すぐ足元の崖が崩れ落ちて、僕ごと海に落っこちちゃうみたいにね。」
「不安で仕方ないよね。」
「うん。…それと実際のところ、心理に関する職業に就くかも怪しいよ。なんだろう…、好きだけど仕事にするのはちょっと違う、っていうことない? 例えば、音楽とか本とか。音楽は好きだけど仕事にする気はない。本も好きだけど作家になりたいわけではない。僕にとっては心理学もその1つで、学問としては面白いと思うし興味を失ったわけじゃないんだ。でもそれを仕事にして生きていくのは僕の中で100%肯定できないんだ。自分に自信がないだけかもしれない。けれど自分の中では既に決まってしまっているんだ。僕は違う道を選びたいって。」
「違う道。」
「うん。でもどういう道かはまだ定かじゃない。」
「これから探していくの?」
「そうだね。まぁまずはやっぱり、自分自身をしっかりさせなくちゃと思う。僕ってすぐ、病んじゃうでしょ?」
「…それは俺もだよ。」
「ふふふ、そうだね。」
「だいたい心理学を勉強してる人間は極端に病んでるか、極端に健康かのどっちかじゃない?」
「はは、確かにそうかもしれないね。僕たちみたいな人間もいるけど、カウンセリングも受けたことがないくらいピンピンしてる人もいるから不思議だよねぇ」
「大学院まで来ちゃった俺たちは、相当病んでるよ」
 俺と春稀は声を出して笑った。不安なんて全部どこかへ消えてしまえばいいのに、と思いながら。
「でもさ、春稀。心理の学校出たからって必ずそれを仕事にしなくちゃいけないなんてことはないよ。だから、春稀の進みたい方向に行ったらいいと思う。俺はこんなこと言える立場にないけれど…、自分らしく生きていくのが一番だよ。」
 春稀は俺の眼を見て、微笑んだ。とても安堵したような表情だった。そして、
「帰ったらまた修論手伝うよ!」
 と急いで帰ろうとする。もう遅いから寝ようよ、と言うと、あぁ確かにそうだね、とまた隣に戻ってきて同じ速さで歩く。俺はあたたかい春稀の手が冷えないように、家に帰るまでしっかりとつないでいた。