創作『かざぐるま』[第19話]

[第19話]D

D:25歳 女性
 
 X+2年3月の土曜日の午後。私は1人、院生室にいた。自分の席にはもう何もない。同期の机も同様だ。あ、春稀くんを除いてね。
 昨日は念願の修了式だった。改めて思い返すと、2年なんてあっという間で、短かった。その中で私は様々な経験をして、たくさんのことを学んだけれど、2年間で得たものはそう多くはない。さらに多くの知識やスキルを吸収し、経験を積んで成長していくのはこれからなのだろうと思うと不安も感じないではないが、とりあえず無事に修了できたということはひとまず喜ぶべきだと思った。
 だってかなりつらい時期もあったから。終わっても次から次へと増える日々の課題レポート、溜めると苦労する実習記録、手が抜けないSV資料とカンファレンス資料…と、とにかく資料作成が多かった。そしてラスボスは、修士論文。研究参加者を集めてインタビューを実施し、その結果を分析、考察して論文にまとめる。私は要領が悪いので作業に時間がかかるから、いつも就寝は日が変わってからだった。睡眠不足が続くと体調を崩して、作業が思うように進まないこともあった。その都度スケジュール調整をして、諦めた作業も多少ある。仕方ないことだけど、提出期限も決まっているし、そうすることしかできなかった。あの頃は時間との戦いで、時計もカレンダーも見るのがとても嫌だった。もっと、落ち着いて取り組むべきだったのかもしれないが、穏やかに修論を書いている同期は誰一人いなかった。みんな、先輩たちのように不安になりながら、励まし合いながら、必死にやっていた。たまに、近くに住んでいる先輩が院生室に来て、お菓子を置いていってくれるのがありがたかった。
 提出時期の近い冬は本当に苦しかった。大晦日はアパートで1人、紅白歌合戦を流しながらパソコンに向かった。何もなければ年末年始は友達と遊んだり家族と過ごしたりするのだが、今回はほとんどの時間を修論の執筆に費やした。パソコン画面を見続けたせいでドライアイが悪化し、眼科にお世話になった。あとは修論の本文はWord形式なのだが、何かの拍子に消えてしまわないよう、バックアップを多めにとっておいた。完成間近にデータ消失なんて、悲し過ぎるし。
 そうしてなんとか頑張って論文が完成し、提出できたときは、嬉しかった。というより、脱力感の方が勝っていた。もうこれ以上作業しなくていいんだ、と。その頃には疲労も溜まっていたし、喜びを最大限感じることが難しかったのだと思う。その後私は美味しいご飯を食べに、以前から気になっていた店に行った。久々の、自分へのご褒美だった。デザートのアイスが最高だった。
 修論提出後は、審査会があった。審査会は大学生でいう卒論発表会のようなもので、研究したことを発表する場だ。修論は提出して終わりではなく、審査会での発表の後、教授陣に内容を審査していただき、認められないといけない。研究の内容や論文の体裁、発表のやり方がきちんとしていればまず落とされることはない。そう先輩から言われていたけれど、審査が通らなければ修了できないので、結果が出るまでは落ち着かなかった。でも結局、全員通ったので安堵したが。
 修了が決まると、あとに残っていることといえば担当ケースの引き継ぎと、院生室の身辺整理ぐらいだった。就活を始めたのが遅くてまだ進路が決まっていない子もいたが、だいたいの同期は就職先が決まっていた。Aちゃんはバイト先の心療内科。Cちゃんは適応指導教室。Bちゃんは内定をもらえず、未定らしい。颯太くんは児童養護施設だったかな。
 私? 私は…、実は、九州に行くことにした。なぜだろう? 自分でも、明確な理由があるわけではない。ただ、ここではないどこかに行きたい、と常日頃思っていた。それも、できるだけ遠くがいい。私の知らない場所。そこで私はまた新しい人生を始める。
 Cちゃんのことも、たくさん考えた。彼女のことは好きだ。同じ時間を過ごして、たわいもない話をして、すごく楽しかった。でもこの先もずっと一緒にいたいのか、と言われるとすぐに答えは見つからなかった。私はこの1年ほど、恋愛に対する考え方が徐々に変わってきた。以前は好きな人ができたらすぐに行動して、相手がオッケーなら付き合って、とにかくその人との関係が冷めないように努力していた。2人で楽しいと思うことは積極的にするし、相手の趣味にも興味を持って、勉強した。苦手な英語も、元カノが洋画が好きだったからだいぶ理解できるようになったし、私がギターを弾けたり編み物ができたりビリヤードが得意だったりするのは、全部元カノたちのおかげなのだ。そうした努力はまったく苦ではなかった。こちらが熱心になるほど相手も喜んでくれたし、2人でできることが増えていくのが私にとって最高の幸せだったからだ。しかし、誰と付き合っても最後には相手から去られるのがオチ。そのたびに私は泣いて食べて吐いた。そんなことを繰り返す自分がさすがに嫌になってきたので、私は自分について内省するようになった。将来対人援助職に就こうと考える人間はまず自分のことを理解するのが大切、と本に書いてあったし先生も話していた。自分と向き合うことはとてもつらい。だから私は避けてきたが、ちょっとずつちょっとずつ、過去の自分と、今の自分、それから未来の自分について考えた。その中で、私にとって恋愛とは何なのだろう? と思うことがあった。今までの恋愛関係から、そしてその関係の破綻の連続から、私は何を得たのだろう? そもそも、恋愛をしようと思う動機は何なのだろう? 
 考えるのが嫌になるぐらい考えた。そして、最終的に出てきたのは、「いったん恋愛から離れよう」という答えだった。私が恋愛に求めていたのは、大好きな人と共有する時間、感情、すべてのもの。その根底には寂しさを感じたくないからいつでも一緒にいたい、と思う気持ち。相手の好きなものは自分も好きになるし、相手に嫌われないように、自分の言動や身だしなみ、ピアスの色にまで気を遣っていた。これは今思うと、「重い」と思われたのだろう。恋人になったからといって、その人に同化し過ぎる必要はなかったのだ。恋人同士でも趣味が全然違う、ということも変ではない。自分らしさを押し殺してまでその人の顔色を窺う必要もまったくない。だから次は、私がありのままの私で心地良くいられるような恋愛をしたい、と思うようになった。でも、それを実際に行動に移せるだろうか? …うーん、とりあえず今は小休止がほしい。誰かと深い関係になるのは、思っている以上に疲れることなのだ。
 私は決めた。修了式の次の日、Cちゃんに好意を伝えてこの地を去ろうと。現在彼女に交際相手はいない。私にとってはチャンスなのかもしれない。だけど、思いを伝えたところでどうだろう? 万が一交際できたとしても、また過去の過ちを繰り返しそうで怖い。それにCちゃんとは、どちらかというと「仲の良い友人同士」でいたいのだ。自分のすべてを捧げてまで共にいたいと思う気持ちは、今のところ彼女には抱いていない。でも彼女は素敵な女性だと感じる。この気持ちは本当だ。
 そもそも私は日本にいても誰とも結婚できないし、その上恋愛をお休みしようと決めたなら、ずいぶんと身体が軽くなった気がした。そう、私は自由なのだ! どこへだって行ける。そう思ったら九州に飛んでいた。良さそうな物件を探しに。帰りには、近くにあった遺跡に寄ってみた。そうだ、私は高校生の頃、遺跡巡りが好きだったのだ。地味だと思われそうで元カノたちには教えていなかったのだが。私はじわじわと、私自身の個性が蘇ってくるのを感じた。 

 約束の時刻になって、Cちゃんがやって来た。彼女の笑顔がしばらく見られないのだと思うと胸が苦しくなったが、この日、この時間は過ぎればもう戻ってこないから、大切に、楽しく過ごそうと思った。
「新しい曲、歌えるようになったんだよ~!」
 彼女が言う。じゃあそれ一番に歌ってね、と私は期待する。これから私たちは、(ひとまず)最後のカラオケに行くのだ。