創作『かざぐるま』[第8話]

[第8話]D

 X年10月の土曜日の夕方。今日は朝から、ロールシャッハ・テストの集中講義があった。今はもう講義は終わったのだけど、院生室にはまだ何人かが残っていた。私は自分の席で何十枚もの講義資料をぱらぱらと意味もなくめくり、「はぁー」と大きな溜め息をついてしまった。ロールシャッハってなんでこんなにややこしいんだろう。レポートなんて書ける気がしないんだけど…。私は頭を抱えた。
 数メートル離れたところではAちゃんたち3人が楽しそうに話をしている。別に嫌ではないけれど、毎度なぜそんなに話すネタがあるのだろう、と思う。私だってCちゃんともっとたくさん話したいのに。こうやってもやもやした気持ちになるのは何度目だろうか。学校ではCちゃんと長く話せる機会がない。カラオケには2回行ったけどね。

 いつもそうなのだが、3人の話はもはや3人だけの秘密の話ではなく、院生室にいる他の人にも聞こえるレベルだ。私も聞き耳を立てるつもりはないが、どうしても内容が耳に入ってきてしまう。ころころと変わる3人の話題の中心は、いつの間にか春稀くんになっていた。
「あいつ、学校全然来ないけど大丈夫かな」
 春稀くんの席に座ったBちゃんがぼそりとつぶやく。Bちゃんの本来の机はなぜか講義資料や本が山積みになっていて使えないので(片付けができないのだろうか)、最近は休みがちな春稀くんの席を借りている。
「うーん、でも、理由もよく分かんないけどなんとなく休みたくなるときってあるよね」
 Aちゃんが言う。
「体調崩してなければいいけど…」
 Cちゃんが言う。優しい。
「あ、でもよくあいつら駅前にいるよな」
 Bちゃんは、話の流れを唐突に変えがち。
「私も何度か見たことあるよ。やっぱあの2人、仲良いんだなーって」
 Cちゃんが言う。
「あ…、あのさ、ここだけの話なんだけど…。春稀くんて、私がバイトしてる心療内科に通ってるんだよね…」
 Aちゃんがいつもより若干小さい声で言う。でもAちゃんの声は通るので、まったく“ここだけの話”にはならない。みんなに聞こえている。プライバシーなんてガバガバだ。
「えー、そうなんだ。じゃあ颯太は付き添いってこと?」
「うん」
「へー、そんなに重いの? ただ単に颯太が過保護なだけ?」
「それは分かんない。でも私はもう、これ以上しゃべれない」
「何、あいつの電カルでも見たの?」
「………」
「図星? ダメだなぁ君は。職権濫用じゃん~」
 AちゃんとBちゃんで話が弾む。こういう場合、Cちゃんは何も言わず2人の会話をうんうん、とうなずきながら聞いている。どうしても3人組って2対1になりやすいよね。こういうときってCちゃんはどう思っているんだろう。特に何も思っていないのかな。私がCちゃんの立場だったら疎外感とか感じるだろう。あぁ、Cちゃんがかわいそうだな。
「でもさ~私、心療内科にカップルで来てる人って好きだな。絵的に」
 Bちゃんは日常会話でも、萌えとかフェチの話に持って行きやすい。
「ええー、それってどうなの。どういう目で見てんのよ」
 Aちゃんはほんとに「ザ・良心」って感じ。優等生だしね。あ、職権濫用したけど。
 …あーあ、私なんでこんなことしてんだろ。人間観察もほどほどにしないと。自分でも気味が悪いな。Cちゃんのこと気になるからって、3人の会話を盗み聞きなんて良くない。

 そういえば私も1個、春稀くんの秘密を知っている。彼は何度か女の子と会っている。いつも同じ子だ。とするならば彼女は友達か、元カノか、それとも、もう1人の恋人…? 颯太くん的には、浮気とかはオッケーなのだろうか? ほら、そういうのを許しているカップルも、まったくいないってことはないだろうし。そうだとしたら春稀くんは自由に恋愛してて、自由に生きてていいな。そういう人って少なからず憧れてしまう。

「…ごめん、修論の分析、手伝ってもらってもいい?」
 ある先輩が声をかけてきた。分厚い資料を抱えて、「猫の手も借りたい」という顔をしている。
「あ、はい。大丈夫ですけど…」
 私は今日の講義のレポートもあるし、まだ終わっていない課題も残っていたが、先輩の表情を見たら、無下にできないと思った。2年生の先輩たちは自分よりももっと大変な、修士論文に取り組んでいるのだから。私も入学当初から、来年は修論書くのかー、と圧倒されてはいたが、先輩の手伝いをすれば、自分の修論で何か役立つこともあるかもしれない。そう思った。
「ありがとう! 助かる~。忙しいのにごめんね」
「いえ、大丈夫です」
 あの3人はまだ談笑している。もしかして私が一人でぼーっとしていたから、先輩に声をかけられたのだろうか。まぁ、別にいいんですけどね。
「春稀くん、最近休んでるんだって?」
 先輩が私に聞いてくる。
「はい。そうみたいです」
「『そうみたいです』って…。同期でしょ? あんまり興味ない?」
 先輩は笑う。
「春稀くんと颯太くん、学部のときから名物カップルだったんだよ」
「め、名物カップルって何ですか」
「う~ん、なんていうか、いつも2人でいるし、密かなファンも結構いるみたいでさ。ちょっとしたアイドルだよ」
 へー、そうなんだ。私は特に何も感じなかった。男性同士だから物珍しいのだろうか? それとも腐女子が多い? 私にとって、同性カップルはそこまで特別な感じはしないけどなぁ。誰が誰と一緒にいたっていいじゃない、って思う。むしろ私も彼ら・彼女らみたいに、堂々と、好きな人と一緒にいたいなと思う。