創作『かざぐるま』[第6話]

[第6話]春稀

春稀:22歳 男性 大学院1年生
 心理学科卒 颯太の恋人
 
 X年10月の休日午後、僕はアパートに一人でいた。レポート課題を1つ終わらせ、洗濯物を干し、掃除機をかけて部屋をすっかりきれいにした僕は、ただただベッドに横になっていた。眠ろうとは思っていなかったが、柔らかいマットレスに身体を横たえた途端、自ずと眠くなってきてしまった。まあ今日は早起きもしてすべきことも終えたので、昼寝くらいしてもばちは当たらないだろう。そう思って僕は目を閉じた。
 だが数分も経たないうちに、スマホの着信音にしている曲が流れた。マイナーなバンドがずぶずぶに重い恋心を歌っているロックで、颯太も好きな曲だ。だがかけてきた相手は颯太ではない。僕は応答する。
「もしもし」
「…お疲れ~」
「うん」
「今、家?」
「うん」
 元カノからの電話だった。彼女は高校の同級生で、高2のときに付き合っていた人だ。彼女とは、付き合っていたことになるのか分からないぐらいの期間で別れた(ことになっていた)。彼女の方から告白してきたのに、「なんか違った」という理由によりあっさり終結。のはずが、その後も友人としてなのか連絡は取り合っていて、何だかんだ言って別れてからの方が関わりが多いという、不思議な間柄なのだ。不定期ではあるが、たまに電話したりどこかで会ったりするけど、最近では愚痴大会や悩み相談も多い。良くも悪くも、お互いに日々の吐き出しの場になっているというか。
「…今日一人なの?」
「そうだけど」
「また野暮用?」
「たぶんね」
 颯太の“バイト”の件についても彼女は知っている。最初は誰にも相談できなかったが、彼女には少しずつ話せるようになってきた。ただ正直なところ彼女に話したからといって、颯太との関係が劇的に改善するなんて思っていない。だけど、溜め込み過ぎてどうにかなる前に誰かに話すのは自分自身の心にとってプラスなことだと思う。それに僕が彼女と連絡を取っていることを颯太は知っているし(何を話しているかは秘密だけど)、何も悪いことはしていない。
 誤解のないように言っておくけれど、僕は彼女と性的な関係があったことはないし、これからもないと思う。付き合っていた頃はそれこそデートのようなものも行ったが何事もなく帰ってきたし、それに彼女自身、性的なことを実践するのに積極的な方ではない(と思う)。大学に入ってから何人か彼氏はいたようだが、そういう話題は一度も出たことがない。あるいは貞操観念がどうとかというよりも、彼女が単に口が堅いだけかもしれない。ともかく彼女と僕はもう恋人関係ではない。ただの相談相手。だから身体の関係云々を持ち出す道理はない。そういう暗黙の了解がある。
 だがそれは颯太と彼のお相手の間では通じない。彼が相手から求められているのか、彼が求めているのかは定かではないが、彼らにとって性的関係は重要度が高い。恋人関係ではないけれど、身体の関係がある。
 だから結局のところ、恋人関係と性的関係を一緒に並べること自体、偏った見方なのかもしれないと思ってしまう。だけど僕自身はやっぱり、颯太が隠している関係について快く思っていないし、何か理由があるにしても、なんとかやめることはできないのだろうかと悩んでいるのだ。こうやって僕が1人で悩んでいても仕方のないことかもしれないけど、このもやもやは澱みたいにいつまでも残っていて、颯太との関係が苦しくなる。
「あまり病みすぎないでよー?」
 スマホから彼女の声が聞こえる。ありがとう、と僕は言う。

 そもそも颯太にセフレがいると知ったのはたまたまだった。一緒に暮らし始めてからのことだったが、あるとき颯太のスマホに来たDM通知が目に留まったのだ。
 “今度の土曜20時 よろしく”
 僕は目を疑った。その日は颯太が“バイト”だと言っていた日だった。それから颯太がいないときに何回かに分けてDM履歴を見ていくと、その相手は年上の男性で、颯太の相談に親身に乗ってくれているようだった。やりとりを始めたのは高1の5月。当初は雑談のようなものから始まり、徐々に悩み相談をするようになって、半年ほど経って実際に会い始める。集合場所は決まってここから電車で1時間ほどのK駅周辺地域。当初はファミレスやカフェで会っていたが、途中からラブホテルに変わり、日時のみの簡単なやりとりが増えてくる。
 僕はその事実を受け入れることができなかった。悲しいとかショックだとかそういう感情はあまり湧いてこなくて、むしろ何も考えられなくなるというか、ある種の思考停止状態に陥った。もちろん颯太本人に聞くわけにはいかない。彼とセフレとの関係は隠れた関係であって、僕は“知らない”ことになっている。そう、僕は何も“知らない”のだ。僕はそれを演じ続けなくてはならなかった。
 それが苦しいものだと実感するには時間がかかった。1年くらいは何も感じないように努力していて、感情が常に麻痺している状態が続いていた。でも無自覚のうちに頭はおかしくなっていたようで、僕の知らない間にユキが出てきて、何度となく暴れるようになった。

 スマホを枕の横に置いて、僕はまた目を閉じた。隣に空いた空間を忘れるようにベッドの真ん中に大の字になって、意識を飛ばすように眠りに落ちた。