創作『かざぐるま』[第16話]

[第16話]C

C:23歳 女性 大学院2年生
 
 X+1年4月初め、もうすぐ13時になる。今日は入学式で、丁度始まっている頃だろう。2年生となった私たちは、院生室で新入生歓迎会の準備をしていた。ホワイトボードには「新入生歓迎会」と書かれ、Bちゃんが余白に春らしいイラストを描いている。Aちゃんたち買い出し班が、オードブルや飲み物などを買いに出かける。私は一応、設営&待機班だが準備はほぼ終わってしまったので、Bちゃんの描くイラストを眺めつつ、時計も見つつ時間をつぶしていた。本でも持って来れば良かった、と思った。普段バッグには何かしら読みかけの文庫本が入っているのだけど、今日に限って入れ忘れてしまったのだ。
 現在の院生室の様子はというと、私たちの使っていた机が新1年生の席になり、私たちは昨年度先輩たちが使っていた机に移動している。物一つなくきれいになった新1年生の机たちは、まだ来ない新しい主人を待ち望んでいるみたいだ。物で溢れかえっていた元Bちゃんの机も今では新品同然、家具屋の商品みたいに鎮座している。春休み中、片付けを手伝った甲斐があった。あ、ごめんね、Bちゃんのこと悪く言っているわけではないの。
 でも自分が2年生になったことに、まだ実感がない。1年なんてあっという間で、私は1年生のうちに何を学んだのだろう? 学校はほぼ休まなかったし、授業も真面目に聞いていたと思うし、通年実習も頑張って取り組んできた。だが、何かと課題に追われているのが常で、目の前のことを1つずつこなしていくうちに院生活の半分が終わってしまったのだ。大学院に入ったらもっといろいろなこと(具体的に何かは定かではない)が充実しているんじゃないかと大学生の頃は期待していたけれど、実際院生になってみると、結構慌ただしくて毎日が風のように過ぎていく。これが現実なのだ。だから、新1年生も(全員とは言わないけれど)少なからず私と同じような思いを胸に入学してくるのだと思うが、1年後には今の私のような思いを抱くのかもしれない。
「お~、颯太が久々に連れ同伴で来たぞ」
 Bちゃんが、描く手をとめてつぶやく。院生室の入り口を見ると、颯太くんの隣に春稀くんの姿があった。待機班の人たちが驚いている。あれ、なんか、すごく久しぶりじゃない? 最後に春稀くんを見たのはいつだったっけ? 去年の秋かな? 確かそうだ。私はまた会えて、心から嬉しく思った。仲間意識はあまり好きではない方だけど、春稀くんのいない私たちの学年は、私たちの学年ではないと思う。やはり全員揃っていないとどこか寂しかった。
「久しぶりだねー!」「大丈夫だった?」「ちょっと痩せたんじゃない?」
 春稀くんはみんなに心配されている。そうやって気遣ってくれる人が世界に1人でもいるというのは、心強いことだと思う。春稀くんがどう思っているかは知らないけれど。
「僕、また1年生だよ~」
 春稀くんが言う。あの緩いトーンで。それほど深刻そうではなく、かといって冗談ぽく笑いながらでもなく、独特な話し方。
「その分、修論長く取り組めるじゃん。多分」
 待機班の1人が慰めのつもりか声をかける。「そうかぁ」と春稀くん。颯太くんは何も言わずいつも通りクールだ。
 みんなも薄々気づいていたが、春稀くんは単位が足りず、留年することになった。私たちの大学院では、毎年1人や2人留年する人がいるので珍しいことではない。あまり良くない傾向なのかもしれないが、留年するにも個々の事情があるので、先生たちとしては、とりあえず修了してくれればいいという認識を持っているようだ。
 そういうわけで二度目の1年生をスタートさせた春稀くんは新しい自分の席に座り、そこから見える院生室の風景を、物珍しそうに眺めた。隣の席はもちろん颯太くん。相変わらず多くを語らず、だけど時々寄り添うような視線を春稀くんに向ける。私は離れたところから、怪しまれない程度に彼らを視界に入れる。なんだか久しぶりだ、この感じ。カップルっていいな、やはり。日々の忙しさによるストレスなんて、一瞬で吹き飛ぶ。 

 数時間後、新入生が院生室にやって来た。スーツ姿の新入生たちは緊張した様子で、どこか初々しい。私も1年前はあんな感じだったのだろう。歓迎会は終始和やかな雰囲気で、あっという間に時間が過ぎた。時折誰かが自己紹介で面白いことを言って、笑い声があがる。歓談の時間では、先輩・後輩関係なく自由に、様々な人と話をした。私は本来こういう場で話すのは苦手だった。だけど思ったほど抵抗なく人と話すことができていた。なるほど、こんな小さいことだが、私はこの1年で変わっていたのだなと感じた。
 歓迎会も終わり、すっかり夜になった頃、私たちは解散し帰途についた。私はAちゃんとBちゃんと道を歩いていた。いつものように、そんなに重要ではないけれど楽しい話をしながら。