創作『かざぐるま』[第10話]

[第10話]春稀

作者注)本話は性的な表現を含みますので、ご注意お願いします。

 X年11月。朝‥? なのだろうか昼なのだろうか。窓がないので時間が分からない。僕は見慣れない一室のベッドの上で目を覚ました。毛布の繊維が全身の肌にまとわりつく。辺りを見回すと、独特な模様が描かれた派手な壁に、柔らかいが眠るには大きすぎるベッド、いやにギラギラした電灯。…僕はどうしてこんなところにいるんだ? 何があったんだ? わけが分からず困惑していると、すぐ隣で誰かが寝返りを打った。僕は驚いて、「うわ!」と思わず声を出してしまった。それに驚いたらしくその人は寝ぼけた声で「うるさいなぁ、も~」と身体を起こした。その見知らぬ若い金髪の女性と目が合い、僕は恐る恐る尋ねてみた。
「あの、すみません。どなたですか…?」
 女性は「はぁ?」と言ったものの、おもむろに僕の両目を見つめた。何かを見透かされそうで、吸い取られてしまいそうで僕は妙な気分になった。
「…昨日と目つきが違うね」
 あなた、もしかして“二重人格”ってやつ? 昔同じような人に会ったことあるよ。女性は思い出の中から古い写真を取り出すように言った。僕はとっさに、
「あの、なんでこんなところに、僕と一緒にいるんですか? もしかして昨日の奴に何かその、ひどいこととか、されませんでしたか?」
 と思いつくままに質問をした。
「え~? ちょっと一旦落ち着きな。全部話すよ」
 彼女は笑って、
「心配しないで。あたしが連れ込んだんだよ。ひどいこともしてないよ。むしろ良かったというか…」
 と一言ずつゆっくり語りかけた。どこか余裕のある、落ち着いた声だった。

 彼女はトイレに行ってからベッドのふちに腰掛け、僕は脱ぎ捨ててあった服を着て近くの椅子に座った。そして彼女の話を聞いた。彼女は昨日(正確には今日の未明)あったことと、それ以前に僕(ユキ)の姿を何度か目撃していたことを話した。
「あなたよくK駅前にいるでしょう? あたし駅チカのガールズバーで働いてんの。店の前で立ってると、あなたがなんか難しい顔していつも通り過ぎるから気になってたのよ」
 彼女は今年の夏頃からユキの姿を見ていたらしい。
「で、昨日は退勤したら、たまたまあなたが店の外の、あの狭ーい路地裏のところでうずくまってて。声かけてもはっきりしたこと言わないし、放っておくのもかわいそうだから、『アスミちゃんお持ち帰りしちゃえ』ってみんなに言われて。みんなあたしの心が読めるのかな?!ってびっくりしちゃったよ」
 彼女の源氏名はアスミというらしい。その後アスミはユキを介抱しながらこのラブホテルに辿り着いた。僕が少しでも休めるよう、ちょっと高めのところにしてくれたそうだ。
「そうよ、いくらなんでも具合悪そうな人に手ぇ出すわけないじゃない。お持ち帰りといっても健全なお持ち帰り。ふふ、健全なお持ち帰りってなんだろね」
 アスミとユキは別々にシャワーを済ませた後、ベッドの両端にそれぞれ横になったそうだ。
「あたしも疲れちゃったし、もう寝ちゃおうと思って目を閉じてたの。でも10分…、15分ぐらいかなぁ、そのぐらい経ったとき、あなたがゆっくり近づいてきてね。背中にくっついてきたから、『どうしたの?』って聞いたんだけど、何も言わない。無愛想な子猫が母猫に甘えてくるみたいな感じ? まああたし猫飼ったことないんだけど。なんかかわいいなって思っちゃって」
 それから2人はセックスをした。熱くもなく、かといって気怠くもなく、緩やかな戯れ。
「あ、こんなこと言うのもあれだけど、初めて、どうだった…?」
「ええ?」
「だって、『男に掘られたことは何度もあるけど女とやったことはない』って昨日のあなた言ってたわよ?」
 あいつは何を言ってるんだ…。僕はやりきれなくなって両手で顔を覆った。
「その…、避妊はしてたんだろうね?」
「大丈夫よ。ピル飲んだから」
「そういう問題じゃないと思うけど…」
「今日のあなたってほんと心配性なのね」
「自分の身体はもっと大事にした方がいいと思う」
 もっと違うことを言いたかったはずなのに、口だけが勝手にしゃべっている。
「それってあなたも、じゃない? ふふ、あなたって面白い人」
 そう言ってアスミは僕のスマホに自分の連絡先を勝手に追加した。
「また遊ぼうね。いつでも大丈夫だから、連絡ちょうだい」

 一緒にホテルのロビーを出ると、外気に触れてさっきよりも呼吸がしやすくなった気がした。アスミは「朝ご飯どうする?」と誘ってくれたが、僕は丁重に断って別れた。空は雲一つなく晴れていて、昼間のK駅前通りは平和ぼけしそうなほど何気ない日常が進んでいた。しかし僕の心は今にもどうにかなりそうで、アスミの前でも、何かがぷつんと切れて泣き崩れてしまわないよう、平静を装うのに必死だった。今僕の中には爆発したらいけないものが喉の下、いや、みぞおち辺りで息をひそめていて、砕け散る機会を今か今かと待っている。くすぶっている、といった方がいいかもしれない。僕は急に吐き気がして、公衆トイレの個室に駆け込んだ。だが吐き出せるものは胃の中にはなく、余計に気持ち悪くなっただけだった。ホテルで顔を洗ってくるべきだった、と思った。そうすれば多少違っただろう。僕は個室のトイレに腰掛けると、そのまま茫然としていた。でもそうしていたらすぐにでもユキが出てきてしまうに違いなかった。だから何でもいいからとにかく何かを考えようとした。「僕」として、「春稀」としての自分の頭で。
 …僕はもう「ユキ」を制御できない。「ユキ」としての自分はコントロールできない。そうしたら、いずれ「春稀」は「ユキ」によって食い尽くされて、存在ごとなくなってしまうのだろうか? そんなことは考えたくないけど、そうなってしまう可能性も0ではない。
 そもそもこうなってしまったのはどうしてだ? ユキがK駅周辺を徘徊するようになったから? ユキが関係ない人を巻き込んで欲望に走ったから? 颯太が他に相手を作って、自分の傍にいてくれないから? 傷ついても何でもないふりをして颯太と生活してきたから? 高1のときに颯太と出会ったから? 陽キャぶって高校デビューなんかしたから? ……もう昔のことなんて覚えてないよ。
 …死んでしまおうか。ふと頭の中で、そう言う声がした。