創作『かざぐるま』[最終話]

[最終話]颯太と春稀

作者注)本話は性的な表現を含みますので、ご注意お願いします。

 X+2年5月。目を開けると隣には春稀がいる。彼は静かに目を閉じて眠っている。少し開けてあるカーテンの隙間からは日の光が差し込んでいて、無機質なワンルームの壁を照らしていた。休日の朝にしては頭が冴えていた。昨晩は夢の途中で覚めることなくぐっすり眠っていたようで、久しぶりの心地良い起床だった。しばらくして身体を起こそうとすると、春稀の手が触れたので、
「おはよう」
 と声をかけると、彼は周囲の明るさを見回して、驚いた顔をしている。
「ね、寝ちゃった…!?」
 あ、そうだね、と俺は言う。そういえば昨日は風呂に入った後、睡魔に勝てずそのまま眠りについてしまったのだった。10代の頃は一晩中眠らずにいても平気だったけど、最近は体力的に難しくなってきて、自分の年齢を感じてしまう。
「じゃあ…今からでも、いい?」
 春稀が俺の眼を見つめて言う。透き通ったまなざしが濡れているみたいに映る。俺がうなずくと、彼はゆっくりと俺の上に乗ってきて、覆いかぶさるように身体を預けた。俺は春稀を支えるようにして下から彼を抱きしめた。彼は小さく笑って、キスをした。溢れる思いがそのまま伝わってくるような、心のこもったキスだった。それから彼の唇は俺の身体の至るところに置かれていく。俺はその間ずっと彼に身体を委ねていた。 

「与えるだけが優しさじゃないんだよ。」
 しばらく経って春稀の声が聞こえた。快感の余韻がまだ残っている。もしかすると彼はもっと前から話をしていたのかもしれない。俺はどうしてそんな話になったのか、まるで分からなかった。彼の声は、録音データから抜き出した音声みたいだった。「ねぇ、聞いてる?」と隣の春稀が優しく言う。ごめん、と俺は謝って頭を普通の状態に戻して、彼の話に耳を傾けた。
「それで、与えるだけが優しさじゃないって?」
「うん。だから…、そうちゃんにはもっと甘えてほしいの。」
「これでも甘えてるつもりだけど…、足りなかった?」
「んー、前よりかはましになったけど、まだまだだよ~。」
「そうかー。頑張る。」
「ゆっくりで、大丈夫だよ。」
 俺は以前ほどのプライドもだいぶ薄まってきて、春稀の前でありのままの自分でいることに慣れてきた。けれどあまりに自然体過ぎるとこの通りぐたぐだ人間なのだが。こんな俺でも春稀は受け入れてくれて、愛してくれる。本当に、感謝しかない。
「……そういえばずっと聞きたかったんだけど、そうちゃんて、僕のどこが好きなの?」
「…え?」
 唐突な質問だ。この子は何を言っているんだろう。そんなの全部に決まっているじゃないか。でもここはもっと具体的に言わないと、彼は納得しない気がする。それにしても、長年一緒にいるのが当たり前になってくると、なぜ一緒にいるのかとか、相手のどこが好きかをあえて意識することも少なくなってくるのだな、と感じた。
「僕はね、そうちゃんの眼が好き。」
「そうなの?」
「うん。すごくきれいだよ。あとは、やわらかい髪の毛とにおい。それと大きい手と、細くて長い指。中途半端についてる腹筋も。」
「…告白みたいで恥ずかしいな。」
「もちろん内面も好きだよ。僕のこと大切にしてくれるところとか。プライド高いのも好きだったな。だって高すぎて変なとこ気にしてるんだもん。あとは、かっこつけてるけど中身はすごい変態でメンヘラで、いろいろ飢えてるところ。」
「…途中から悪口になってない?」
「違うよ~、全部褒めてるの。」
「はは、ありがとう。」
 俺もちゃんと言おう。俺は頭の中で丁寧に考えてから言葉にした。だってこういうことは中途半端な気持ちで伝えたくないから。
「春稀の好きなところは、強さかな。脆くて病みやすいけれど、最後には自分の力で立てる強さがあると思うから。あとは、優しさが溢れてるところ。まるで観音様みたいにね。…いつも、ありがとう。」
「観音様みたいだなんて、初めて言われた!」
 春稀の笑った顔が眩しい。髪を撫で抱きしめると、彼も俺を抱きしめる。この瞬間がずっと続いてほしいと、俺は切に願った。
 
 ☆ ☆ ☆ 
 
 それから僕たちは車に乗って道を走っていた。運転はそうちゃん、僕は助手席にいる。彼の親戚が譲ってくれたこの軽自動車は、小さめだが乗りやすくて僕は好きだ。燃費も悪くないし、色も派手じゃないから彼も気に入っている。
 休みの日になると、僕たちは好きな音楽を聴きながらドライブに出かける。それもどこに行くと決めてではなく、その日の気分で行きたいところまで走る。途中で気になる店があれば寄ってみるし、どこにも寄らずに道路を走り続けたこともある。あとは、どうしてかは分からないけれど季節外れの海にも行く。車から降りると砂浜で追いかけっこをして、疲れたら座って話をしてしばらくしたら帰る。こうした1つ1つに、大した意味はない。だけど彼との時間は限りなく大切に記憶されていく。僕は彼との記憶が増えていくのがとても嬉しい。後ろばかり見ているより、今このときをよく生きることこそが僕の幸せだと感じるからだ。
 お昼ご飯を食べてから家を出発したのだが、今は日も落ちかけ、徐々に夜になろうとしている。無線で飛ばすD.A.N.のEPが心地良く耳に届く。雨でも降ってくれればさらに最高なのに、と意味もなく思う。空が暗くなっていく時間は、小さい頃からずっと変わらず、何とも言えない寂しい気持ちになる。いや、もっと違う言葉がないのだろうか。昼間のあたたかく穏やかな平和が、風と共にどこかへ消えてしまうような感覚。傾いた太陽が雲に隠れて、世界から1つずつ色がなくなっていく。次第にすべてのものが金属の色に包まれ、最後には空も道も黒くなるのだ。…とはいえ静かな夜も神聖で、彼と過ごす夜もいい。家の中で、ベッドの中で、車の中で。どんな場所であっても、彼と埋める隙間から、寂しさもまたどこかへ消えていく。
 もっと肩の力を抜いて生きてもいいのかもしれない、とふと思う。これまで僕の心の中の糸は、ずっと引っ張られてきた。しかしそれが切れてしまって、ひどいことになった。今度はきつ過ぎず、かといって緩過ぎず、丁度良い張り具合になるように直していきたい。生きる上では、つらいことだって沢山ある。自分の力じゃどうにもならないことだってある。だけどこれからはちょっと力を抜こう。そうすれば、ほんの少しでも、心に余裕が出てくるんじゃないかな。

「どこまで行くの?」
 と、隣の颯太に聞く。そうだね、と彼はつぶやく。彼も僕も、どこへ行くか知らないし、どこへ行っても文句もない。それは分かっているけれど無意識に聞いてしまう。やはり目的地が不明だと、人は不安になるのだろうか。何度もこういうドライブはしてきたけれど。
「高いところまで行ってみる?」
 颯太が言う。…高いところ。漠然とした回答だ。でも僕はなぜかとても安心して、窓の外に顔を向ける。
「そういえば、ずいぶん前だけど…、こうやって、そうちゃんと車でどこかへ行く夢を何度も見てたんだよね。」
「うん。」
「でもね…、いつも最後は、着いた場所で、2人とも死ぬんだよ。」
「…そうなんだ。」
「なんでなのか、分からないんだけどね。で、実際に車に乗るようになってからも、漠然と、僕たち明日にはもうこの世界にいないかもしれない、って思ってた。」
 颯太は小さく相づちを打ちながら、僕が話すのを待っていた。外はすっかり暗くなっていて、遠くに月が見える。すれ違う車は見当たらない。
「だけど今は…、2人で生きたいって思う。どんなにつらいこと、大変なこと、悲しいことがあっても…、それを一緒に乗り越えていきたいよ。」
「俺もそう思ってる。」
「ほんと?」
「うん。…人生クソだなって思うことがあってもさ、春稀がいるなら、俺まだ生きててもいいかなって思うよ、ほんとに。…俺、春稀依存症なのかなぁ。」
 颯太が笑う。彼は以前よりも笑うことが増えたなと感じる。純粋な感情から生まれる、自然な笑顔だ。
「とりあえず、この先も生きていこうね!」
 もちろん、と彼が言う。僕たちは多分一緒にいないと生きていくのに苦労するのだろう。しかしそれはひっくり返せば、一緒にいれば生きていけるってことだ。不健全ではあるけれど、見方を変えればとても素敵な関係じゃないか! 支え合って、共に生きる。きっと、僕たちの理想はそこにあるのだと思う。

 朝が来て車から降りると、下には航空写真みたいに街が広がっていた。住宅、学校、その他様々な建物が無限にひしめき合っている。僕たちが住んでるところもあんなふうに見えるのかな、と僕は言った。そうだろうね、と彼が言う。人間って、…いや、この世界は、実はすごくちっぽけなのかもしれない。なんだか、あんなところでうじうじ悩んでるのが馬鹿みたいに思えてくるね。そうつぶやくと、確かにそうだね、と彼。でもその向こうには鏡みたいな海と、地平線がある。ごみごみとして苦しそうな場所を越えたら、美しい景色が果てしなく続いている。そのことに気づいたら、颯太も嬉しそうな顔をしていた。
 
                       ―終結―

あとがき

 当初は、つらかった学生時代をこの創作で書き換えてしまおうという思いもありましたが、書いているうちに登場人物たちが変化し、成長し、その子なりの幸せを思いながら生きていくさまを目の当たりにすることとなりました。

 人生何があるか分からないですが、ほどほどに、よりよく生きていきたいです。

              2022年2月 作者

 ★『かざぐるま』というタイトルについて

 かざぐるまはそれだけでも綺麗ですが、隙間から風が入ってくることでくるくると回ることができます。颯太と春稀、それぞれがかざぐるまにもなるし、風にもなれる。そんな2人の関係性になぞらえて、タイトルにしました。

 また、複数の登場人物の視点から物語が進む本作を、様々な方向から風を受けて回るかざぐるまにたとえている、というのもあります。

 余談が長くなりました。ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

               2022年5月 作者