思い出の鍵

 僕は昔から写真を撮られるのがあまり好きではない。思春期のころはいつももの難しそうな顔をしていて、過去の写真にはむすっとした顔ばかりが並んでいる。集合写真を撮る時はなるべく隅に寄って目立たないように気配を消していた。単に撮られ慣れていないということもあるかもしれないが、それ以上に恥ずかしいという感情が勝ってしまう。それは成人した今でも変わらない。今でも写真を撮られることには慣れない。 
 でも、最近はよく写真を撮るようにしている。どこかに出かけたり誰かと会ったりした時に、周りの環境や人たちを中心に適当にシャッターを切る。できれば上手く撮りたいとは思うけれど、上手くなるためのコツを人に聞いたりはしない。それは僕が怠惰で人見知りな人間だからだ。だが最近は便利なものでスマホやアプリを活用すれば、僕みたいな初心者でもそれなりの写真が撮れたりする。怠惰な人間にとって、技術の発展はありがたい限りである。 
 僕は去年、成人式を迎えて(開催は中止されてしまったが)、一応、年齢的には周りから大人として扱われる権利を得た。正直なところ、あまり実感は湧いていないが、振り返る過去が前よりも多くなったとは感じている。中学生や高校生のころの出来事を、かつての友人たちと振り返って懐かしさに浸るのは、おそらく何歳になっても楽しいことだろう。
 そして、これからの出来事もいつかは振り返る過去に変わっていく。そうやって過去を振り返る時に、写真というのはなかなか重要な役割を果たすことに僕は気がついたのだ(現代を生きる皆さんにとっては当たり前のことかもしれない)。少し前までは自分の記憶と言葉を信じて過去の自分を事細やかに思い出していたが、振り返る過去が少しずつ多くなっていくに従って全てを思い出すのは難しくなったように感じる。だから僕はただ目の前の光景を忘れないようにするために写真を撮るようになった。そうやって今を記録して、いずれ思い出として心に残しておくために。思い出すための鍵として機能するように。

最後まで読んでいただきありがとうございます。 皆様から頂いたサポートは今後の自己研鑽のために使わせて頂きます。 僕の書いた文章で何か少しでも感じていただけたら、僕にとってこれほどうれしいことはありません。