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珈琲の大霊師251

 我輩の名は、ニカラグア=フォン=ルーンブルグ。農業国家ラバールはルーンブルグの領主にて、珈琲の伝道師。

 珈琲に魂を奪われた男。

 愛しの珈琲との出会いは視察先のサラクシューでの事だった。お供の連中は貧弱にもラクダの乳なんぞに当たって伏せり、我輩は久しぶりに供も無く朝の散歩に出かけたのである。

 サラクシューの夜は寒く、また昼は灼熱。朝と夕方の僅かな間だけに、空気も清浄で快適な時間が訪れる。いつもであれば、領内の農地を見回っている時間であるから、体が歩くことを求めていたのである。

 その日、我輩は運命に出会った。

 湖の畔から、何とも芳しい香りが漂ってきたのだ。我輩は魂を奪われたようにそこに誘われ、そして身なりの乏しい少女から、その黒輝の宝水を恵んで頂いたのである。

 その時の記憶は、今も鮮明に思い出す事ができる。実に豊かで、恍惚とした時間であった。

 それから毎日、同じ時間に我輩はそこを訪れた。信仰の対象を見つけた瞬間とは、ああも敬虔な気持ちになるのだと思い知らされたのである。

 数日通うと、同好の士と共に火を囲むようになった。誠に有意義な時間であった。老若男女、領主という立場も忘れ、ただ珈琲を崇める者として、共に語らう。なんという贅沢であったことか。

 豊かな時間のおかげで、視察後の会談でも頭が冴え、部下に人が変わったように見られたものである。無理も無い。珈琲を知る前の我輩と、今の我輩は最早別人と言って変わりない。

 本来、視察はそこで終わりだったのだが、噂で珈琲の元になる豆をツェツェで生産していると聞き、我輩は急きょ視察計画を立てた。部下が邪魔だったので本国へ追い返し、我輩は単身ツェツェへと乗り込んだのである。

 そこに桃源郷はあった。赤い情熱の木の実。珈琲の、熟れた女の唇のように甘い木の実が呻るほど実ったその宝山に。

 我輩は正式にツェツェのハーベン王に面会を求め、製造法の教授を頼んだが、機密という事で断られた。

 しかし我輩は諦められなかった。

 我輩の珈琲への情熱は、我輩の衣服を排し、一介の労働者に身を落としてでも学ぶべきであると我輩を突き動かしていたのである。

 かくして、我輩は身分を隠し、髭と泥で変装し、いち人足として珈琲の生産現場へと潜入したのだ。

 既に40を越えた我輩の体は何度も限界を迎えたが、同じ人足の仲間に支えられ、励まされ、弱音を吐かずに続ける事1ヶ月。体の慣れと共に、珈琲の生産工程の一部始終を脳に焼き付けるに至ったのである。

 本国に戻った我輩は、世界各地で珈琲の木と思わしき木を探させ、我が領内に木ごと搬送し、夢の珈琲農園を作り上げた。

 そう、我輩こそは世界髄一の珈琲の木の収集家にして、農家になる男。噂の珈琲の大霊師とて、我輩の農園には一目置くはず。そう、もう一度。恐らくはあの時の少女と合間見えん為、我輩は珈琲学の第一人者を求める声を聞き、ガクシュを訪れたのである。

 ところが、我輩を待っていたのは、この機に乗じて珈琲文化を乗っ取ろうとする連中であった。

 浅はかである。愚かである。万死に値する。

 よって我輩は、この手で成敗すべく同じ珈琲の伝道者として立ち上がったのだった。

 だったのだ。

 まさか、裁定のその日に当の少女が現れるとは、露にも思わず………。

「こいつらはてんで相手にならなかったが、あんたはどうかな?」

 そう射抜くような眼差しで吾輩の前に立ち塞がったのは、あのサラクで見た青年。

 ああ、吾輩の事など覚えていないのだろうな。

 吾輩が退治する予定だった連中は、この青年の淹れる珈琲にまるで及ばず、審査員の失笑を買って出て行った。

 どうしてこうなった。

 吾輩は、彼らの名誉のために立ち上がったのだが。

 だが、青年よ。君で良かった。あの少女の珈琲には及ばぬが、第二位の君ならば………。君ならば私の最高の珈琲をぶつけるにふさわしく、私が今どの位置にいるのか確認できよう。

「どうかな?君の手さばきは実に素晴らしい。だが、常に想定外とは存在するものだ。私のコレクションを見給え。君は、この全ての珈琲を手に入れているかね?」

 と、吾輩はケースからありったけの種類の珈琲を並べてみせた。全て、果肉を取り除いて精製済みである。

 青年の顔が、驚愕に見開かれる。彼のこんな表情は初めて見るな。

 良い心地だ。

「おいおい!おいおいおいおいマジか!!ハハッ!!舐めてたぜ。モカナ、偽物の群れに本モノが混じってやがったぞ。よし!こいつは面白え。俺も自分の実力が知りたいからな」

 と、青年が麻袋からいくつもの道具を取り出した。瓶が多いか?その1つを開けると、甘い香りがしてきた。

「モカナにも秘密で開発してきた、俺の珈琲の研究成果。あんた相手に出させてもらうぜ。さあ、始めようか」

 狼のような青年だ、と我輩は思った。

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