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珈琲の大霊師127

 最初に貧民街を訪れたのは、父親の仕事に着いて回っていた時だった。

 貧民街では、自分の食い扶持すらまともに稼げぬ者も多くいた。その殆どは、戦災によって体が不自由になった者達で、当時はサラク王家の温情によって配給を受けていた。

 始めて訪れた貧民街は、不衛生で常に物の腐ったような香りと、垢臭い匂いに満ちていた。ドグマが父親の仕事について回っていたのは、他に居場所が無かったせいだったが、ドグマは二度と父親に着いてこないようにしようと思ったものだった。

 が、一つの視線がドグマを貧民外に縫い止めた。

 今にも崩れそうな壁に寄りかかり、虚ろな顔をしている少女。破れたズボンと、申し訳程度の布切れで上半身を覆っただけの少女は、頭を少しだけ傾けて、じっとドグマを見ていた。

 その、暗い瞳が印象的で、ドグマは思わず息を止めてその瞳に釘付けになってしまった。

 長いまつげと、華奢な体が、ドグマの目に焼きついて、その夜ベッドに横たわった後も、ドグマの脳裏から少女の面影は消えなかった。

 数日後、再び父親と共に貧民街を訪れたドグマは、少女が何者かに手を引かれてあばら屋に連れ込まれていく所を目撃した。

 胸騒ぎを感じたドグマが家に駆け寄ると、無気力に裸身を晒す少女と、圧し掛かろうとする兵士の姿があった。

 浅い知識しか無かった当時のドグマは、その光景に思考が停止してしまった。

 が、その時を少女が動かす。

 少女は、視線を宙に彷徨わせていたが、ドグマと目が合った途端、カッと目を見開いて突然兵士を押しのけようとしたのだ。

 それだけで、ドグマが動くには十分だった。この少女が嫌がっている。ならば、するべき行動は一つ。

「動くな」

 それまで、そんな冷たい自分の声をドグマは知らなかった。

 もし、動いたら躊躇せず、首筋に刃を入れる。不思議と、その覚悟が胸に座っていた。護身用の短剣は、兵士の首筋を浅く切っていた。

 後ろ暗い現場を目撃されたばかりか、唐突に命を狙われた兵士は混乱して自分の首が切れるのも構わず立ち上がり、ドグマに渾身の体当たりをかまして、脱兎の如く逃げ去った。

 壁に叩き付けられたドグマは、瞬間意識を失った。

 次に目を覚ました時、ドグマの前には心配そうにドグマの額に手を当てる少女の姿があった。膨らみかけの胸が露になっていて、ドグマの心臓が跳ね上がった。

 少女に服を着るよう促すドグマだったが、先日まで少女の胸元を申し訳程度に覆っていた布きれは、引き裂かれて床に散らばっていた。仕方なく、ドグマは自分の上着を少女に着せたのだった。

 その後、事情を聞いたドグマは、それまで信じていたサラク王国の像が急速に汚れていくのを感じた。

 貧民街の住人達は、王家の与り知らぬ所で迫害され、一方的な弱者として搾取されていたのだ。それも、衛兵ぐるみで。少女を見初めた衛兵が、少女を差し出すよう要求した際、それを毅然として断った両親は、殺された。残された少女は、生きる為、心を殺すより方法が無かった。

 大人という生き物の汚い部分、輝ける王国と思っていた祖国の暗部に触れ、激怒したドグマは父親に訴えた。

 が、父親はそれを黙殺するようドグマに言った。父親の上司が、その迫害の主犯格だったのだ。

 父親に絶望したドグマは、せめて少女だけでもと策を巡らせ、屋敷を辞める老婆の後釜に、少女の身分を隠して屋敷の召使として受け入れさせた。

 少女の名は、リリーといった。

 リリーに身の回りの世話をさせながら、ドグマは頻繁に貧民街を訪れた。そこには、王宮での自分のように迫害される人々がいた。

 15歳になり最優秀で士官学校を卒業したドグマは、エリート街道をひた走りながら、貧民街の地位向上の策を巡らせていた。

 その一つが、貧民街を構成する人々の多才な職業履歴に着目した特殊部隊、通称貧民部隊だ。

 ドグマが18歳の時、初の貧民部隊が採用となり、それによって戦果を上げたドグマは士官の中でも頭一つ抜けた存在として見られるようになった。

 同時に、急速に男性として成長していったドグマと、リリーは、自然と距離が近くなり、身分の差など気にもかけずに男女の仲となっていた。

 着実に実績を重ねるドグマは、日々忙しく国を動かすバドルに見出され、その右腕として腕を振るうようになり、次代の王はエルサールの放蕩息子か、ドグマかと噂されるようになっていた。

 リリーは、そんなドグマを影で支えた。頭脳労働のドグマに、リリーは毎週のように新しい菓子を学んでは、ドグマを良く観察し、最適のタイミングで茶と共に差し出した。女としてドグマの男を満たし、食をもってドグマの胃袋を満たし、守らせる事でドグマの自尊心を満たした。

 あらゆる欲求をバランス良く満たされていたドグマは、常に最大の実力を発揮し、サラクの支配構造にどんどん食い込んでいった。

 リフレールが、王位継承者として名乗りを上げるその日まで、それは順調だったのだった。

 リフレールが現れ、状況は変わった。直系の血筋に類い稀な美貌。その上、外交的で頭も良く、策謀にも長けていた。

 その才能に甘んじる事無く己を磨くリフレールに、ドグマは最初良きライバルが現れたと喜んだが、周囲はそう単純ではなかった。

 ドグマを疎んじる者達が、こぞってリフレールを担ぎ上げ、王位を継がせようと目論んだのだ。

 当のリフレールは、縁談さえ断れれば良かった為、王位には興味が無かったのだが、裏では他の候補者に対する妨害工作が始まっていた。

 特にドグマに対する妨害工作は熾烈を極め、陰湿なものから直接的な物まで、いやがらせの見本市のような状況に陥っていた。

 それが、最も身近で大切なリリーに及んだ時、ドグマの中で何かが壊れた。

 ドグマは貧民部隊を用いて、リフレール側に対する妨害工作を開始した。リフレールを担ごうとする連中を、一人ずつ罠に陥れ、地位を奪い、思い知らせ、追放した。

 リフレールに対する皮肉や、批判が止まるところを知らず、急速に二人は敵対していった。

 そして、他を害してのしあがる事を覚えたドグマの元に、千載一遇のチャンスが訪れる。

 そう、国の象徴。エルサール王が、毒を受けて戻ってきたのだ。

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