珈琲の大霊師121
「ジョ、ジョージさん、それ、本気ですか?」
ジョージの話を聞いたモカナの第一声がそれだった。気のせいか、顔が青ざめている。
「ああ、って俺がそういう冗談言うと思うか?」
大してジョージはさも当然といったように首を傾げる。
「思いません」
「なぁに、前にやった事があるんだからできるだろ」
「……うぅ~~。でも、ボク、ちょっと自信無いです。その、あの時は、ボクの故郷から持ってきたあの豆があったから……」
そう言ってモカナは俯いた。ただ自分の珈琲を信じ続けていた頃とは違うのだ。マルクで挫折し、希望を見つけ、研鑽を重ねてきたモカナだからこそ、今の珈琲にあの時の魔力があるのかを冷静に判断する事ができる。
そのモカナの感覚が、不安を感じているのだ。
「……うーむ。確かに、まだあれに匹敵する珈琲は作れてないな。だが、割と状況は切迫しててな。期限は1週間後だ」
「へ?」
「まあ、色々あってそうなった」
~色々~
「こちらには2000人の人質がいる。全員腹を空かせて俺の助けが来るのを待っている……と?」
「はっ」
ドグマの前には、貧民部隊の中隊長がいた。酷くやつれている。体中に拷問の後が見られた。リフレールからの書状を持たされ、王宮への使いとして、ここに来ていた。
「その上で、10日後に会談の場を設けたい……とそう言うのだな?2000人の精鋭を無力化し、人質に取り、また前王という切り札を持ちながら、何故奴らは意気揚々とサラクシューに凱旋しない?前王を先頭に立てれば、俺が何と言おうと門は開くだろう」
ドグマもまた、目の下に隈を作って疲れた顔をしていた。混乱して眠れないのだ。万の敵を相手にしても撤退させられると自信を持っていた貧民部隊が、少数の敵に翻弄されて全員捕縛されるなど完全に予想外だったのだ。
どうやったかは問題ではない。結果が全てなのだ。勝敗は殆ど決していると言って過言ではない。リフレールが、この機会を逃しわざわざ猶予を与えてまでこちらに反撃の機会を設けるような隙を作るとは思えなかった。
(何を考えている?)
と、ドグマは警戒心を募らせるのだった。
「……ふん、選択肢など最初からありはしない。が、猶予をくれるというならば用意はさせてもらうとしよう。ここまで来て、ただで終わらせるつもりはない」
「では?」
「向こうには、了承したと伝えよ」
ドグマの中に、暗い炎が灯る。そう、ここまで、様々なものを犠牲にしてきたのだ。もう後戻りはできない。この国を掌握する機会が、砂粒程でも残されているならば、そこに全力を尽くす。
「王……か。もぎ取ってくれる。全てを賭けてな」
3日後、サラクシューの最寄オアシスの一角。
その一角からは、凄まじく濃厚な珈琲の香りが漂っていた。
「今度はどうだ?」
炭で顔が浅黒くなったジョージが、ちょこんと椅子に座ったリフレールに珈琲を差し出す。
「美味しいです。美味しいですが、夢中にはなれませんね。少し味が薄いかもしれません」
一口飲んで、リフレールは素直に感想を述べた。
「そうか……。蒸らし時間が短かったか?モカナ、作り直すぞ」
「はいっ!」
ジョージの後ろでは、モカナが早速豆を炒り始めた。
ジョージもモカナが炒った豆を素早く砕き、鍋に入れる。
リフレールは、自分のカップを持ち席を立ってオアシスの畔に移動した。椅子には、次にエルサールが座った。
「毎日この時間が楽しみでな。役得だと思わないか?ハーベン」
「全くだ。今日は南国の果物を市場で買ってきたぞエルサール」
「お前、また壁を越えたのか?良くやるな」
「はっはっは!!現役を退いたとは言え、まだまだ国一番の戦士なんだぞ?わしは」
エルサールの後ろでは、ハーベンが親しげにエルサールと話しながら、南国の謎の果物の皮を剥いている。いつの間にか呼び捨てしあっていた。元々武闘派の二人は、再会して数日、連日飲み明かしてすっかり仲良くなっていたのだった。
毎日、昼の1時から4時にかけてモカナとジョージは珈琲の研究の為に、無数の珈琲を淹れるようになった。問題は、淹れたものの始末だ。いくら珈琲が好きとはいえ、全てを飲む事は容量的に不可能だからだ。
そこで、様子を見に来ていたハーベン王が提案し、味の分かる連中がその時間帯に珈琲を楽しみに訪れる事になったのだった。
「もぎゃ~!!あぎゃっ、きゅ~」
じゃばじゃば~と、忙しく立ち回るジョージとモカナの傍で、ドロシーは水芸をする大道芸人のようにくるくる回りながら体のあちこちから水を出していた。その水は綺麗な陶器のボウルに溜まり、時折それをジョージが取りにいって、空のボウルと交換していた。
最初は大人しく突っ立って手から出していたのだが、あまりに毎日長時間出しているので、身動きしたくなったらしく、踊り始めたのだった。
「ドロシーは、本当に楽しそうな顔をするようになった」
と、少し離れた場所で見守るサウロが呟く。と、その隣にいるツァーリはつまらなそうに頬を膨らませた。
「ずっとくるくる回ってて、うざいんですけど~」
「見たくないなら来るな」
「……暇だし……」
非常に不満げに唇を尖らせるが、サウロは見ようともしない。ずっとくるくる回るドロシーに釘付けになっている。
「昨日より、回転が速いな。緩急もつくようになっているぞ。さすがドロシーだ」
時々、こんなふうに呟いて飽きもせず見つめているサウロ。そして、全くそれに気付かずに水を踊り出しているドロシー。二人を不満げに見比べるツァーリ。そしてそして、その様子を更に少し離れた所から、ルビーが見ていた。
(ツァーリが可愛いさぁ……。それにしても、たまにはあたいにも構って欲しいさ……。でも、折角あたい以外に仲良くなったサウロと一緒にいさせてあげたい気持ちもあるさ。うう、あたいもこんなふうに育って無かったら年頃の男の一人や二人!!)
そんなふうに身悶えるルビーを、更に少し離れた場所から見ている、ツェツェから来た年頃の男達がいることを、ルビーは知らなかった。
「おい、エルサール。お前のとこに、イキの良い若い奴はいないか?ルビーのやつも、そろそろ婿のもらい時だと思ってな」
「おう。……いるにはいるんだが、今はここに居ない」
「ほう。どんな奴だ?」
「うむ。腕っ節はこの国でも5本の指に入る手練」
「おお」
「顔は野性味たっぷりで逞しく、頭も切れる」
「エルサールのお墨付きか。期待できるな。で、その男は誰だ?」
「俺の息子」
「ほほう!!王族までつくのか。しかも、お前の子供だと?ハッハッハ!文句無しだ!早速顔合わせを……って待て。お前に息子がいるのに、リフレールが後継者っていうのはどういうわけだ?」
「俺はこの世界を知りたいとか言って国を出て、それから音信不通でな」
「…………いるよな。傑物には。そういう変り種」
ポンと、ハーベン王はエルサールの肩を叩いた。
「国に執着の無い男は、どんなに優秀だろうと役には立たん。そういった意味では、ドグマの方が10倍はマシだ」
「ドグマって、そいつはお前を毒殺しようとした奴だろう?」
「それくらいの気概が無くては、サラクの王は務まらんぞ?」
「……国に殉じてるな。さすがは獅子王」
「それが王というものだろう」
苦い表情をしながらも、ハーベンは頷いた。
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