珈琲の大霊師091
今回、ツェツェ王国へは、サラク第一継承者として行く為敢えて移動手段に馬車を選んだ。武力派による攻撃があった場合は、余程の事でもない限りは交渉とリルケで何とかする予定だ。
というわけで、砦からツェツェ国へ続く細い山道を馬車はガタガタと進んでいた。山間だが、砂漠と近いこともあって緑は少ない。
御者は、クルドの部下だ。
「モカナの奴、無事だといいんだがな」
「もし、短絡的にモカナちゃんに何かしていたら、私も短絡的とは何なのかを思い知らせてやろうと思います」
ジョージの心の片隅に、モカナを誘拐したあの少女への同情の気持ちが湧いた。
「おい、モカナ、ビルカ、出かけるさ」
一足先に起きて毎朝の運動を終えたルビーは、自室に戻って二人を起こした。
ツェツェの王宮に、牢屋というものは存在しない。正面から打ち破る事を信条としている部族の為、一度戦ったら生か死か。また好敵手は持て成して、あわよくば国に迎え入れるというのがツェツェの古くからの風習である。
どのみち、モカナから目を離すわけにいかないルビーは、モカナを自室に泊めていた。虎の毛皮に包まれて、安らかな寝息を立てていたモカナがもごもごと動き出す。同じように、部屋の隅でビルカももぞもぞと動き始めた。
「おはおうございまふ……」
寝ぼけ眼を擦って、モカナは窓の外に目をやる。青いような、赤いような不思議な錯覚を起こす日の出の光が差し込んでいた。
「ふあぁぁぁ」
まだあくびが止まらない。
「あがっ」
と、突然口の中に指が突っ込んできてモカナは口を閉じられなくなってしまった。
指の主を見ると、こちらも寝ぼけ眼で座った目のビルカだ。
「すきあり」
と、僅かにビルカは笑った。
「あはははは!!やられたねぇモカナ!」
それを見たルビーは大層面白かったようで、腹を抱えて笑い始めてしまった。
「あぐぐ……。な、何するんですかぁ」
「それ、あたいがビルカによくやるんだ。あんたみたいに隙だらけで口開けるからさぁ。そ、それをビルカがね……。あはっ、ははははは!!」
「……楽しい」
そう言って、やっとビルカはモカナの口から指を戻した。
楽しそうにニコニコ笑うビルカを見て、モカナは何も咎められなくなってしまうのだった。
「ツェツェに来たら、まずは市場に行くんさ!賑やかで美味い物いっぱいあるさ」
どうやら、ルビーは何故かモカナを気遣って案内をしてくれるようだった。
「市場ですかー。楽しみです」
モカナは普通に馴染んでいる。元々肌の色が濃い方なので、ツェツェ人に混じっていてもあまり違和感が無いのだ。
ビルカは、時々モカナの顔を覗き込むようにしながら無言でついて来ていた。
良い意味で、市場はモカナの想像を超えていた。
ずらーーーーっと、王宮から麓まで続く一本の道があり、段々畑のように露店が連なっているのだ。
「上から、魚、生肉、野菜、果物、簡単に言うと腐り易い物が上にあって、武器とか長い間置いといてもいい物は下にあるさ」
「ああ、山は高い所の方が温度が低いですからね」
「ん?良く分かったさ。あんたも、山の出なのかい?」
「はい。……多分」
少しだけ、モカナの表情が暗くなる。
自分が暮らしている昔の風景はなんとなく思い出せる。そこは山で、まばらに人家のある田舎町だった。という印象がある。が、その名前も、親しい人の顔も、思い出せないのだ。そこだけが、まるで選んで消されたかのように。
「?まあいいさ。さぁて、腹が減ったねぇ。何か食べるさ!あたいの奢りだよ」
「いいんですか?わぁ、目移りしちゃいま……」
ざっと周りを見渡すモカナの視界に、何か絶対に見逃してはいけないものが映っていたような気がして、モカナは普段ではありえない速度で首を戻した。
それは、生臭さが漂う肉と野菜の次。色取り取りの野菜と、果物の中にあった。
赤く輝く、人差し指の先ほどの大きさの実の山。
それを目にするや、モカナは考える前に駆け出していた。それも、全速力で。
「え!?ちょ、何処に行くさ!!逃げるのか!?」
ルビーはモカナが逃げるなどと全く思っていなかった為、完全に油断していた。
(しまったさ!!モカナの外見じゃ、この国で雑踏に紛れたら見つけられないさ!!まさか、この一瞬をずっと待ってたなんて……。あたいとしたことが、くそっ、ちょっと仲良くなれるなんて馬鹿な事を……)
「これっ!!!これ下さい!!ぜんぶっ!!あ、お金ない!!あぁぁぁぁぁ!!宝の山だぁ!ふんふん、おおっ!ずっしり!凄くおっきい!!うふわぁぁ」
追いかけようと全力で斜面を蹴ったルビーの足は、思った以上に近くで止まってそのまま飛び跳ねて喜ぶモカナの、ギリギリ手前に着地したが、ルビーが勘違いだったんだと瞬時に判断するのとほぼ同時に、モカナの体を巻き込んでそのまま露店へと突っ込んでしまった。
「……何やってるの?」
ビルカにぼやっとした声をかけられながら、天地が逆転した視界で、ルビーは露店の主にどう言い訳をするのか考えていた。
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