珈琲の大霊師236
「ジョージ、今日の連中が来たさ」
ルビーの声が聞こえて、目が覚める。旅の中でルビーが起こすときは、大抵野党か面倒な野獣が現れたとか、トラブルが大半だ。だから、俺の頭はルビーの声だとすぐ覚醒する癖がついたらしく、起こすときはルビーに頼むことにしていた。
「おう、そんな時間か……。モカナは?」
「先に起きて珈琲用意してるさ」
「寝ても覚めてもだな」
そんな会話をしながら身を起こす。最初の優男の家に突撃した日の翌日から、1週間限定という話にして珈琲の講習を毎日やることになった。今寝ているベッドは、この村唯一の宿のものだが、タダで泊まっている。といっても、教えてやってるんだから対価は当たり前だが。
「ふむふむ……知識で補えない部分は感覚で……ですか」
厨房から声がした。見ると、モカナが珈琲を淹れる傍らに宿の主人がいた。学士でもないのに勉強熱心な事だ。
「おいおい、朝くらい休ませてやれよ」
「あ、おはようございますジョージさん!今丁度珈琲を淹れた所だったんですよ」
「おやっ、本当に来られた」
ん?なんか主人の言い方に違和感があったな。
「あは、偶然ですよ」
「ははぁ。気心知れるとこうも時間が合うようになるものですか。私も妻がいますが、全然」
ああ……。モカナが、俺の起き抜けに合わせて珈琲を淹れてたって話か。
「こいつは、珈琲の申し子だからな。珈琲欲しさが寝てても伝わるんだろうよ」
いつもの事だ。こと珈琲に関しては、こいつに何ができても俺は全く驚かないだろう。それだけ、こいつは特別だ。……と言いつつ、毎度驚かされているのは秘密だ。
「ジョージさん、時々寝言でも言いますから」
「おやおや。お二人は本当に珈琲に夢中ですな。そのお二人に珈琲を学べる我々は実に運が良いです。ほら、聞こえるでしょう。広場では、既に火起こしが始まってますよ。皆、お二人が来るのを心から待っているんです」
そりゃそうだ。モカナの珈琲を飲んで、そのままでいられるわけがねえ。自分でもやってみたくなるのは当然だ。特に、こいつらなら。
しかし、だからこそ気になることが1つある。
あの優男、この4日間の講習に一度も顔を出しやがらねえ。何をしてるんだ?
最後の一行を書き終え、万感の想いと願いを込めて、サインを入れる。これで、論文は完成だ。
「よし!できた!!……と、ふふふ、さすがに4日も不眠不休は始めての経験だな。だが、ここで倒れる訳にはいかない。あの二人に、確認を取らねばな」
妹の話に拠れば、あの二人は村人に珈琲を教えているという。となれば、私以外にも論文を書き始めている者はいるはずだ。だが、どんなに早くとも私の方が先だ。
「オリエ……オリエ、いるか?」
視界がぐらつく。こればかりは睡眠不足だ。どうしようもない。これでは、恐らく持っていった所で、読み終わるまで耐えられるまい。
妹は、いつの間にかソファで寝ていた。私の無理な徹夜に付き合ったのだ、当然と言えた。
「ん……?あれ?寝てた?ごめんね、兄さん」
「いや、丁度良い。すまないが、夕方になったらこれを持ってあの二人に見せに行って欲しい」
「完成したの!?流石は兄さん、たった4日でこんな量を仕上げるなんて」
「なんとかな。だが、私はもう限界だ。しかし先を越されるわけにはいかない。二人にこれを持っていって、間違った箇所が無いか確認してもらってくれ」
「分かった!」
と、妹に原稿を渡した瞬間に、安堵が体を鈍く包み込み、重厚な眠気となって襲い掛かってきた。
「兄さん、後は任せてもう寝て。ほら、こっち」
妹が私の手を引いてくれる。私は、それに従って歩く。もう前は見えていない。瞼があまりに重く、とても開けられないのだ。
「はい、腰を下ろして」
言われるままに腰を下ろすと、柔らかいベッドの感触が私を包んだ。と同時に、妹が私の足を持ち上げ、靴を脱がせてベッドに揃えて下ろすのが分かった。
急速に霧がかってくる思考。その片隅で、妹が呟いたのが聞こえた。
「お疲れ様、兄さん。ゆっくり休んでね」
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