珈琲の大霊師153
むさい男達が見守る中、モカナは珈琲豆を火にかける。
それまでおどおどしていたモカナの顔が、まるで何かが乗り移ったかのように引き締まり、誰が見ても分かる程、一種の近寄りがたい雰囲気を醸し出す。
今のモカナには、目の前の珈琲しか無い。
「……よう、どう思うよジャン」
余裕を持ってゆったりとソファに陣取るジョージを横目に、コーディーはジャンに囁いた。
「さあ。俺には分からねえ。だがよ、あの顔をした兄貴が、今まで間違いをしたことはねえぜ?」
「だよな。そんなの、兄貴だって分かってるんだからよ、別にわざわざそれを飲まなくたって、動けるだろ……」
「……あー、お前好き嫌い多いもんなあ。兄貴が惚れ込んだもんの味分からなかったら悔しいもんなあ」
「……うるせぇ……。兄貴が好きなもんなら、絶対理解してやる。好きになるまで飲み続けてやる」
噛み付きそうな顔で、モカナの手元を睨むコーディー。
「……お前、前々から思ってたんたけどよ。発想が女みてえだよな。尽くすタイプってやつだな」
「ほっとけ。………惚れ直しちまったからな。俺は、もう二度と迷わねー。兄貴の下で働けるなら、何だっていい。兄貴が俺達に、やっと仕事をくれたんだ。兄貴が世界を股にかけて、その珈琲とかいうのを売りまくるっていうなら、兄貴は社長だ。俺は一番の秘書になって、一番働いてやる」
「……で、一番褒めてもらうんだろ?」
ジャンが指摘すると、コーディーの顔が真っ赤に染まった。
「なっ!?て、てめっ、ガキじゃあるめえし!」
コーディーが抗議するが、まるで迫力が無い。誰が見ても図星だった。
「お前、女に生まれてくりゃ良かったのになあ」
「はんっ、女じゃ仕事の時一緒にいられないじゃねえか。人生の大半は仕事なんだぜ?」
「お前、昔から開き直るの早いよなぁ」
と、ぼやっと言いながらジャンはモカナの手元を見下ろす。ジョージの子分達の中でも一番背の高いジャンは、何もしなくてもモカナの手元が肩越しに見えた。
金網の中の豆が黒ずんでくるに従って、不思議な香ばしくて、甘い薫りが漂ってきた。
「なんだ、こりゃ。嗅いだ事のない、良い匂いだぁ」
始めてのアロマに、男達がざわめき始めた。後ろにどっかり座っているジョージは、実に得意げな顔をしていた。
数分後、人数分の珈琲が、その昔医者共から巻き上げた高級なカップに注がれる。
注ぎ手はジョージ=アレクセント。
「何珍しく後ろにいるんだよコーディー。お前のだぞ」
「は、はい」
カチコチに緊張しながら歩いてくるコーディーに、ジョージはコーディーが好き嫌いの多い男である事を思い出した。
わざわざジョージが淹れた珈琲だ。断れるはずもないし、不味い等言えるはずもない。
「安心して飲め。感じ方は人それぞれだからな、お前は素直に味わえばいいんだよ」
「……はい」
とは言うものの、コーディーはやはり不安だった。香りは実に美味そうだが、噂に聞く呪い水のように真っ黒だし、それに熱い。コーディーは猫舌なのだ。
「そんじゃ、先に頂きやすぜ兄貴」
ジャンが気を使って先に珈琲に口を付ける。
ぶわっと、エキゾチックな芳香が脳まで吹き上がり、ジャンの脳を燻煙する。
雑じり気の無い苦味と、複雑な甘味、鮮烈な酸味がうねるようにジャンの舌を蹂躙し、無意識に喉を動かした。
熱い滝が、食道を伝っていく感覚に、ジャンが前屈みになる。
その間も香りは刻々と変化しながら、ジャンの脳髄を焼いていく。
「ぶはっ!!な、なんじゃこりゃあぁぁ!!こんなもん、飲んだのは始めてだ!美味い美味くないってもんじゃねえ!な、何て言っていいか、俺は頭が悪いんだ!誰か上手く言ってくれ!」
ジャンの様子が尋常では無かった為、男達の反応は二種類に別れた。怖じ気づく者と、飲み始める者だ。
コーディーは、後者だった。ジョージ一の弟子的な位置を自称するコーディーにとっては、ジャンに先を越された事すら、本来なら許されない事立ったからだ。
意を決して飲もうとするコーディーの前に、クッキーが差し出された。
「お前、確か甘党だっただろ。それ苦いからな、これ先に食べとけ」
優しい声でジョージが言った。コーディーは、胸が一杯になって、顔も見れずにクッキーを受け取ると、一気に頬張った。
ジョージは、悪い顔をしていた。
(兄貴に気遣いまでしてもらって、これ以上待たせるわけにはいかねえ!男コーディー、根性見せるぜ!それにしても、このクッキー甘過ぎねえかな)
熱いのを覚悟しながら、コーディーは甘ったるいクッキーで緩みそうな口内に、珈琲を一気に注ぎ込んだ。
「!!!!!!!!!」
サラク王宮を変えた衝撃が、今、熱を伴ってコーディーの脳で爆発した。
後年、子分の前で得意げに熱々の珈琲と、甘々の菓子を交互に食べるコーディーの姿が見られるようになったという。
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