珈琲の大霊師235
モカナとしては至極いつも通りの珈琲が淹れられたと言えた。よくあんなガン見されていつも通りにできるなと感心はするが、いつものモカナだ。
問題は、さぁ飲んでみろと珈琲を差し出されたこの優男が、一口飲んだ後意識がどっかにすっ飛んでいって帰ってこない事だった。
「おい、目開けたまま動かないぞ。大丈夫なのか?」
「珈琲を飲んだら死んじゃう病気なんてあるんですかジョージさん!?」
「いや、無いと思うけどな。息はしてるしなどうなってんだ?妹さん」
怒っていたモカナも、流石に人形みたいになっちまった優男を見て心配になってしまったらしく、いつもの調子に戻っていた。
「私も、ここまでの兄さんは見たことないです」
と言いつつも、開きっぱなしの目に霧吹きで水を吹きかけてやっている。はた迷惑なヤツだなこいつ。
暫く待っていると、外からけたたましい足音がやってくるのが聞こえた。これは、シオリだな。
「ジョ、ジョージさん!ここにいますか!?」
予想違わず、シオリが息を切らせて飛び込んで来た。
「おう、どうしたんだ?」
「どうしたのじゃなくて!この村の人達、人の話を聞かないんです!私が、モカナちゃんとジョージさんの事を話したら、突然人が変わったみたいに襲ってきて!今、ルビーちゃんが1人で馬車を守って!きゃぁ!!」
と、知らないおっさんがシオリの肩を掴んで壁に押し付けた。この時点でやって良いと思ったから、とりあえずおっさんの横腹に思い切り蹴りを入れた。
「ごふぉっ!?」
「わっ!?な、なんだ!?」
どうやら後ろにも何人かいるらしい。ならいいだろ。
おっさんの折れ曲がった体を外に向かって蹴り出すと、おっさんの体に押された誰かが何人か押されて倒れた。何人かで支えてるなら問題ないだろ。
「な、なにをする!?」
「いや、てめえらこそ何だ?こいつは俺のツレだが、こいつが何かしたのか?あ?」
勿論、シオリが村に迷惑をかけるような大胆なヤツじゃねえ事は分かってる。となれば、こいつらの目的は……。
「ち、知識の独占は良くない!!」
とか喚く村人。ああ、そうだろうな。そうだろうよ。あんな野郎が生まれ育った土地だもんなぁ。他の連中も、同じように珈琲に飛びついて、碌な知識も無いまま研究してたんだろう。だから、本物の伝道師が来れば飛びつくのも分かるが。
「おい、この村の連中全員に言っておけ。俺達は、珈琲を広めに来たんだが、今後指一本でも俺の仲間に触れたヤツには、一切教えねえ」
ビクリと、その場の全員が動きを止めた。
興奮が沈静化していくのが見える。
ったく、厄介な土地もあったもんだぜ。
我に返った頃には、日が傾いていた。
私は今までどこにいたのだろう?辺りを見回すと、心配そうに見上げる妹と目が合った。
「あ、戻って来た?兄さん」
「ん?ん、ああ。むぷっ!?」
突然、顔に水を吹きかけられた。
「あ、ごめん。ずっとやってたから」
「あ、ああ、すまない。またお前に迷惑をかけたか」
どうやら、また意識がどこかに飛んでいたらしい。私はどうやら幼い頃から、この習性があったようで、妹は常に霧吹きを持ち歩くようになってしまった。
「いいのいいの。兄さんには頑張って出世してもらわないといけないしね」
「ああ。……と、こんな事をしている場合ではない!!」
辺りを見回す。ああ、珈琲の大霊師様がいない!
「大霊師様はどこに!?」
「え?誰?それ」
「んむっ……、私に珈琲を教えてくれた少女だ」
「ちょっと前まで兄さんが戻ってくるの待っててくれたけど、日が暮れてきたから、馬車に戻ったわ。今頃、村の皆に押しかけられてるんじゃないかしら」
「……そうか。では、今行くのは得策ではないな。それよりも、次の手を打たなければ」
「次?」
「そうだ。私は、珈琲学の専学士となる」
「えっ!?専学士?」
専学士は、熟学士よりはるかに専門性を突き詰めた、学問的に言うなれば国家認定の研究員に当たる。既存の学問に関しては、当然その分野の専学士が既におり、募集は欠員が出ない限りそうそう行われない。無論、国どころか世界中でも最先端を行くことになるのだから、待遇は破格。
珈琲に関して言えば、恐らく今は私がこの国の最先端だ。一部始終をあれだけ観察させてもらったのだ。大体の理論は掴めている。それを、誰よりも早く論文化し、国へ提出するのだ!!
「オリエ!!紙と炭を大至急買い付けてきてくれ。私は部屋を片付ける!」
初学士就任祝いに貰った金貨を妹に投げる。
「えっ!?これって、記念に取っておくんじゃななかったの?」
「他に纏まった金は当分入らない。今が最初で最後の機会だ、逃すわけにはいかない。頼んだ」
「わ、分かった!」
妹の目に理解が宿る。家族だけあって理解が早い。さあ、始めるぞ。
この私、バリスタ=イタリーの、これが真の人生の始まりだ!!
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