珈琲の大霊師247
「いやぁ、昨日は実に有意義な話ができたぞ?お前の言った通り、アントニウス氏は本物の歴史家だな」
ずずず、と朝の珈琲を飲みつつ、シオリに報告した。
朝はやっぱり珈琲が良い。いや、昼も夜も珈琲が良いんだが、朝の一杯は格別だ。頭が冴えるような気がする。
「そうでしょうそうでしょう。うわぁぁぁぁぁん!!!!」
シオリは得意げに同意した後、即座に泣き崩れた。
「どうして!!どうして置いてってくれなかったんですかぁぁぁ!!!」
ごとんごとん。ぎしっ、ぎしっ。
馬車の車輪が軋んでいる。そう、今この馬車はアモー岬からガクシュに向かう途中だった。
「いや、置いてけなんて言われた覚えはないからな?」
「考えればっ!考えれば分かるじゃないですかぁぁ!!わ、私がどれだけアントニウス様に憧れていたと思うんですか!!その為だけに!この旅に着いて来たのに!!ひどい!!ジョージさんの悪魔!!私、全然話せてないのに!!」
「なら、馬車降りてここから向かうか?」
「えっ?」
シオリが来た道を見返す。道はほぼ1本道だが、既に馬車で半日は移動した後だ。女の足で行くにはきつい距離だ。もちろん、体力バカのルビーは例外でだ。
更に言えば、治安も悪いとは言えないものの途中に宿場町が一切無い為、今日中に着かないとたった一人で野宿する事になる。無論、そんな度胸はこのメガネには無い。
「……も、戻ってくれないんですか?」
シオリが涙目で訴えかけてくる。が、それを一蹴する用意はすでにできている。
「悪いが、バリスタに珈琲学の権威としての後押しをしなきゃならんからな。今から戻るなら、1人で行って貰うぞ?」
「そ、そんなぁ……。わ、私、この旅に貢献してきましたよね?無限回廊でだって、ジョージさんのお手伝いしたじゃないですか!!少しくらい、ほんの少しくらい譲ってくれたっていいじゃないですかぁーー!!」
「ふむ……」
珈琲を飲みながら、僅かに苦い顔になっているのが分かる。無理やり拉致った時には分からなかったが、こいつは実際かなり役に立つ。日常では足手まといにすらなるが、その知識には何度も助けられているし、頼まれた事しかやらないが、事務仕事はかなり早いし正確だ。
正直な話、手放すのが惜しい。こいつの、アントニウス氏への傾倒を考えると、弟子になると決めたら絶対になってみせるだろう。そうなれば、こいつの優秀な頭は俺の手の届かない所に行っちまう。
それは避けたい。こいつには、俺の部下として珈琲を広める事に尽力して欲しい。
が、今のところコイツを納得させる方法が思いつかない。
「元はと言えば、お前が興奮しすぎてうるさいから黙らされたんだろうが。今のまま頼み込んだ所で、アントニウス氏の弟子になんかしてもらえねえぞ。良い機会だから、暫く時間を置いて頭を冷やしとけ」
「うっ……あ、あれはドロシーちゃんが……」
「呼んだかの?」
と、御者台にドロシーがざばっと現れた。シオリが怯えて身構える。
「ひっ!!な、ナンデモナイヨー」
「……つまらんのう。……お?雨来る?」
ドロシーが西の空を指差した。つられてそっちを見ると、雨雲がこっちに向かって流れてくる所だった。
「……降りていくなら止めないぞ?」
「うう……ううう!!ジョージさんの意地悪!!」
当然シオリにそんな度胸は無かった。
この時、荷台からずっと俺とシオリに注がれている視線に、俺は気付く事ができなかった。
「……どうして、シオリさんを、送ってあげなかったんですか?」
皆が寝静まった頃、ジョージが寝付けずにいると、小声でカルディが話しかけてきた。いつの間にか、近くまで這って来ていたらしかった。
月明かりの中に、カルディの髪が艶やかに淡い光を帯びていた。
厄介な奴に声をかけられたと、ジョージは眉をひそめた。
「……これから戻ると、バリスタの審査に間に合わないからな」
「ジョージさん、迷って、ました……だから、気になって……。私、迷惑、でしたか?」
言い当てられてジョージがハッとする。ついつい忘れがちだが、カルディは考えてる事がある程度分かる。嘘は懸命じゃない。
「……ああ、正直、触れて欲しくねえ話題だな。まあ、シオリが起きてる内に言わなかっただけ有難いけどよ」
隠し事をしても無駄だから、せめて言葉くらいは気をつけるか……とジョージがゆっくりとそう言った。
「ごめん、なさい。嫌な、事を聞きました」
「……いいさ。迷ってたのは確かだしな」
「どうして、ですか?」
「まあ、簡単に言うとだ。シオリをアントニウスに取られたくなかったってとこだな」
「まぁ……」
「いや、別に俺のもんじゃないんだがな。あいつは、過去に何人かいた俺の部下の中でもピカイチだ。賢くはないが、知識と好奇心から生まれる熱意は相当なもんだ。上手く誘導してやれば、本当に使える奴だ。まあ、癖はあるんだがな?実際、無限回廊ではかなり助けられた。だから、あいつにはまだまだ手伝って欲しいわけだ」
言葉にすると、余計実感する。
「……羨ましいです」
「なに?」
「ジョージさんに、そんなにも必要とされる、シオリさんが。羨ましいです」
そう言ったカルディの顔は、寂しげだった。
「ジョージさんは、私、いなくても、困らないですから……」
カルディがそう言うと、ジョージは冷静に『必要』とまで思えるのは誰かを頭の中で挙げてみた。
「ふむ……。本当の意味でどうしても居ないと困るのは、モカナくらいなもんだな」
「えっ?」
「人生の目標、みたいなもんか。今の俺はモカナの夢に乗っかってるようなもんだからな。その目標が消えちまったんじゃ、何のために生きるのか分からないよなぁ」
「……シオリさんや、ルビーちゃん、は?」
「いてくれりゃ助かるが、いなかったらいなかったで何とかなる。ルビーなんかは、どうせいずれはどこぞの王子様と結婚するんだろうしな。シオリの知識は得難いが、そういった専門の奴を4、5人雇えば何とかなるだろ」
「……そう、ですか。わた、しは、ジョージさんが必要、です」
ポツリと、カルディは打ち明けた。その言葉は、静かだが胸を打つ響があった。
「ジョージさんがいないと、私、歩けません。誰の、役にも、立てません」
「……ああ、なるほどな。確かに、今のあんたには俺が必要だろうけどな。いずれは必要なくなるし、必要ないようにするのが、俺の責任だと思ってる。本当の意味で、俺が必要無くなってからが、あんたの本当の自由ってやつだ。それまでは付き合うつもりでいるから、安心してくれ」
「……は、い」
ジョージの言葉に他意が無い事が分かってしまうカルディは、それ以上言葉を紡ぐことが出来ないのであった。
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