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哲学講座②ハイデッガーの芸術論

 私は放送大学で渡邊二郎教授の「芸術の哲学」を受講していた。
 前回に引き続き、通信指導のレポートを掲載したい。

【設問】
 芸術は真実の作品化であり、その明るい輝きが美なのであるというハイデッガーの芸術論の意義は、どこにあるのでしょうか。

【回答】
 ハイデッガーによれば、芸術とは存在者の真実の作品化であり、存在の真理の作品化が芸術である。近代主観主義的美学が芸術の本質を主観的心的条件に求めたのに対し、ハイデッガーは存在の真理の作品化とその輝きに充ちた出現のうちに芸術の本質を見、その作品化の輝きが結果として私たちに美を感受させるのだとしている。
 すなわち、芸術とは個的な美の体験ではなく、芸術作品が自立して存在し、そこに見られる世界の輝きが「美」なのである。そして美とは、真理が覆いない顕わな非秘匿性としてありつづける一つの仕方にほかならない。それは模倣による存在者の「再現」ではなく、「事物の普遍的本質の再現」である。
 ハイデッガーは芸術作品を「世界を開示し、大地を浮き彫りにする」という。世界の開示と、おのれを閉鎖するものである「大地の在り方」を浮き彫りにすることが作品の現存であり、そこで人が世界の真の開示性と向き合うのである。それは「体験する自我」のうちにあるものではなく、作品の自立は明らかであり、私たちはそこで新しい衝撃——世界の開示——を受けるのだと思う。

渡邊二郎教授からは以下のコメントをいただいている。

「たいへん良いレポートです。Heideggerの芸術論は重要ですので、さらにいっそう御勉強下さい。」

 その後、私は美学研究者の青山昌文教授のゼミに入り、2年がかりで卒論を書いた。ほかの学生たちはみな美術に関する論文を書いていたが、私だけは「環境」をテーマとした卒業論文だった。それを青山教授は受け入れてくださり、私の拙文について指導していただいた。
 青山先生に導かれてひたすら持論を固めるための論文を探すべく、数多くの書に当たった。哲学していたかというと自信はなく、「さらにお勉強」したかどうかも疑わしいが、ともかく2年間卒論に明け暮れた。卒業時には青山教授から高評価をいただき、大変驚いた。

 時間は刻々と過ぎる。
 哲学からも学びからも離れていた私だったが、2013年に旧友と会った拍子に、なぜだか哲学の読書会に誘われた。それから毎月、「さらにお勉強」が始まった。コロナ禍となって直に集まることができなくなったため、2年前からはネットでの勉強会となり、現在も続いている。私が参加するようになってから今年で10年目である。
 世界とはそんなふうに開示されていくようだ。


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