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『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』を読んで

話題の本『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』を読んだ。

本書はイギリスのブライトンという街の元底辺中学校に入学した中学1年生の息子くんとその母である著者(ブレイディみかこさん)から見たリアルなイギリスを書いたノンフィクションである。

学校は社会の縮図だとか、日本もイギリスも同じような問題を抱えているんだな、というようなことももちろん思ったのだけれど、中学生の息子と母の物語と読むこともできるわけで、なんだか懐かしいような切ないような気持ちになった。20歳の息子を持つわたしにとって、中学校時代というのは遠すぎも近すぎもしない過去だから。

主人公たる「息子」くんは、ほぼ白人ばかりの元底辺中学にあってマイノリティである東洋系のミックスであるばかりでなく、遠くのカトリック系小学校に通っていたので、昔なじみはほとんどいないし、体も10歳児ぐらいにしか見えないくらい小さいのにすごい適応力の持ち主である。入学してすぐのスクールミュージカル『アラジン』のオーディションでジーニー役を勝ちとり大活躍する。ギターも弾けるし、市の水泳大会で入賞もする。これらのことから、かなりの資質・能力・人間力を「持ってる」人だということがわかる。

そればかりではない。母親との会話を読んでいると、これが12歳の少年のことばだろうかと思うほど思慮深く、洞察力にあふれている(言語能力がとても高いのだと思う)。少年のなかに「賢者」が入っているかのようだ。こんな子が身近にいたら、絶対に友だちになりたい。

それにしても中学生の息子と 、人種差別、多様性、友人関係、政治、音楽となんでも話せる風通しのよい親子関係がまぶしすぎて軽く目がつぶれそうだ。とはいえこれは、息子くん生来の素直さやかしこさと、著者のフェアで誠実な人柄のなせるわざだろう。それにひきかえうちは会話もままならなかったな…..とか、うっかり考えはじめると暗黒面に落ちそうなので考えない。

いじめの問題、貧困問題、人種差別や階級差別などのあらゆる差別、教育格差などが次々と浮き彫りにされるが、ときに当事者であり、ときに観察者である息子くんのことばはいつもまっすぐで的を射ている。

著者は問題ばかりではなく、市井の人々の善意もちゃんと書いている。大雪のときにホームレスの人たちのためにすぐに動き出すボランティアや、衣食住が足りてない生徒たちのために身銭を切り、ソーシャルワーカーのような仕事までしている教師たち。こういう善意の人々がギリギリのところで社会を下支えしているのだ。あれ? 政府の存在意義とは......。

最後にひとこと。わたしはすっかり息子くんのファンになってしまった。本書をぜひドラマ化して欲しい。福岡の祖父役は石橋蓮司さんがいいな。

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