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父のガン転移を聞いて思ったこと

昨日、母から電話があった。

去年11月にS字結腸がんの切除手術をした父の肺に転移が見つかり、年齢的なこともあって手術ではなく抗がん剤治療を進められた。ついては、来月入院することになったという。

それを聞きながら、すーっと体が冷えるような、かーっと体が熱くなるような(ホットフラッシュ的な?)頼りない感覚を味わっていた。

わたしの心の声「えええぇぇぇーーーーー」

同その2「マジか........」

同その3「病後の経過は順調だと思ってたのに......」

だいたい、上記のような思いが頭のなかをぐるぐるしていたのだが、表面的には冷静に母の話を聞いていた。

その日、担当医師からこの説明を聞いた父と母は、わたし以上にこのような考えが頭をうずまき、絶望し、呆然としていたことだろう。ショック状態でなにも考えられないまま、医師に言われたとおり入院に同意してきたようだった。

わたしの心の声「いや、ちょっと待って。ほんとにそれでいいの?」

父は84歳である。細かいことを言えば不具合もあるものの(たとえば耳が遠いとか)、これまでおおむね元気だった。そしておおむね幸せでおだやかな老後を過ごしていたと思う。元気で幸せな人はだれしも、何歳であろうとそれが続くことを願うものだろう。

しかし、抗がん剤治療は肉体的に過酷なものと聞く。そして抗がん剤は必ずしも効果をあげるとは限らない。それでも積極治療を行っていくのか、父はそれをちゃんと理解して治療を望んでいるのだろうか、と思ったのだ。

実際にその立場になるまでは、当事者の気持ちはほんとうにはわからないのだけれど、わたしは自分ががんになり、手術で治せる見込みはないけれど、抗がん剤治療をすれば寿命が数年のびるかもしれないという状態だったら、抗がん剤治療はやらずに、痛みやつらさができるだけ少ないようコントロールして最期を迎えたいと思っている。1日でも長く元気で過ごせることを願いつつ、やっておきたいこと、食べておきたいもの、会っておきたい人、伝えておきたいこと、などをリストアップしてできるだけ悔いがないようにしたいのだ。

それはけっして、84歳なんだからべつに治療して寿命をのばさなくたっていいでしょ? ということではない。できるだけ自分らしく、自分の人生を最後まで生ききるということだ。

もっとも、あくまでも抗がん剤治療をするとしても、よくよく考えたすえにそう選択するならばそれが正解であり、たとえ子であっても否定する権利はない。どう生きて、どう死ぬか、それはその人自身のものだ。だれかが決めるものじゃない。治療することになっても、ならなくても、自分はできるだけサポートをするだけだ。医師の提案は、がんという病気を治療するという立場からベストなものであるのはまちがいない。S字結腸がんだったときにもお世話になった病院と関係者のみなさんには感謝しかない。

今日になって、抗がん剤治療をやめたいと病院に電話し、28日にもう一度、医師と話をするために予約したと母から連絡があった。昨日の電話で、ちょっと強く誘導しすぎたかなと思いつつ、とりあえず、あれよあれよというまに抗がん剤治療に突入とならなかったことに、ほっと胸をなでおろす。

どう転んだって人生は有限だ。どうか残りの人生をどう生きるかということをよく考えて決断してくれることを願っている。

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