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長文読解と食事

現代文の長文読解問題、好きな人はいるだろうか。
私は、心の底から愛している。

現代文の読解問題は意外にも、勉強らしくない性質を持っている。
それと似た感覚と言えば、暴飲暴食。いわゆる過食だ。
無心で貪り食らうような、あのとろとろと甘ったるくてそれでいて軽くて、満腹が一切やってこないあの感覚は、長文の読解問題を読み解くことでしか得ることはできない。そして、半永久的に最も美味しい状態で「読み」続けられるのが、本当の暴飲暴食との決定的な差だ。問題用紙を捲り、その目に入る暴力的な程の文字、文字の羅列、その全てに目を通し、理解し、また捲り、1~5の選択肢にぐるりとマルを付けたり、斜線で消したりする。

また、読解問題で読み解くのは本文だけではない。
選択肢の一言の違いや、理不尽に感じる程に細かいニュアンスの差。
この行為は、誠に中毒的で、この行為は無音、または自分の好きな音楽が流れているとなおのこと良く捗る。周りに他人がいたとしても、出来る限り自分自身を「孤独」にする事が読解問題を楽しむ上で最も重要なことである。右手でペンを持ち、何をするでもなくくるくると回しつつ、太宰治とか芥川龍之介とか三島由紀夫とか、今の世を生きていない、まるでフィクションのような存在の人間の思考を読み解く。この時間と行動に一体なんの意味があるのか、と問われると正直よく分からないが、ただ単純に楽しい。回答の説明欄に稀に書かれている、問題作成者の勝手な主観や常識の押しつけも、読解問題の醍醐味だと感じているので末期だ。

よく国語の読解問題で、「作者の意図を読み取りなさい」だなんて偉そうな問題文があるが、そんなもの誰にだって分かるはずがない。
私には姉がいるが、いくら血の繋がりがあろうとも、姉の書いた小説とか詩を読まされて、姉の意図
を読み取れ、と言われたってきっと半分も分かりはしない。反対に私の書いているこの文章だって本意が伝わるのは私自身のみだと信じている。
しかし、現代文のこの手の問題からは「結局誰にも分からないのだから、勝手に定義してしまってもいいだろう」という潔さすら感じるので、やはり好きだ。
最近では、スマートフォンやパソコン、タブレット端末などでも勉強ができる時代になった。
数学、物理、化学なんて言う筆記がとにかく面倒臭くて、問題文が割かし短くてさっぱり、だのに回答に辿り着くまでにぐちゃぐちゃと雑多に書かねばいけない量がたくさん、なんて言う教科にはデジタルがぴったり、合っていると思う。
しかし、英語や国語など、問題がたっぷりで書く量が案外さっぱりなものは、どうしてもアナログの方が向いている。ここまで来るともう趣味嗜好の領域なので誰にも押しつけることはしないが、私はあのざらついていて、少々ぬくもりの残ったコピー用紙をこの手で捲らなければ、長文読解問題本来の楽しさを満足に得ることが出来ない。決して、デジタルだと出来ないなんて事は無いのだが、気分の問題であまりよろしくない。
ルーティーンというか、コーヒーはコーヒーカップで飲みたい派という様な、そんな風なものに似ていると思う。私はコーヒーは茶碗で飲もうがなんだっていいのだが、きっとそれでは気に食わない人もいるだろうから、それと同じだ。

これを読んでいる人の中にも少なからず、長文読解問題が好きではない人もいるだろう。
そういう人達の思うであろう、長文読解問題の嫌な点をあげていく。
まず第一に、本文が長い。
これを言われるともう、根本的に性に合わないんだな、としか言い様がないし、実際にそうなのだと思う。長い長い本文を読んで、それからまた選択肢まで読まされるんだから、文章嫌いにとってはこれ以上ないくらい最低最悪な問題だ。
数学で言う所の、文章題を解かされて、その上で証明やらグラフやらを書かされているというくらい最悪な組み合わせなのだろうと、想像する。
次に、単に面倒臭い。
これは前述した内容と似通っているように見えるだろうが、これは読みの面倒臭さと、回答の面倒臭さの2つを表している。
最近ではマーク式なんて言う比較的楽な試験もあるが、記述式の試験も現在の日本には実際に存在している。学校の定期テストなんかは断然記述式の方が多いだろうし、実際に私もそうだった。マーク式が採用されていた試験なんて、基本的には共通テストくらいだった記憶がある。
マーク式であれば、うーんと考えて、答えにくるくるとマルをつけていけば良いものを、記述式となるとそうはいかない。その代表例は、読解問題特有の「〇字〜○字以内でこれこれを説明しなさい。」という、まぁなかなかの文量を書かされる問いである。
こいつは本当に厄介で、ここまで国語の長文読解問題に対してポジティブなイメージばかりを書き続けている私でさえ、あまり好きな部類の問題ではない。
 しかし、「恋は盲目」というように、私はこの面倒臭さも含めて長文読解問題が好きであるから、もうこの問題が嫌いで嫌いで仕方が無い、という人は早めに私と同じ境地に来ることをお勧めする。


(2021/12/6  19:43:42)
高校3年生 塾帰りの長文読解ハイでスマホのメモに書き殴っていた文章



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