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プラスチック汚染…水俣病と同じ過ちを繰り返している

我々は、目の前の豊かさを得ることに目をくらみ、
その長期的な結果がどうなるか見て見ぬふりをしていた...

かけがえのない地球 -人類が生き残るための戦い-
バーバラ・ウォード/ルネ・デュボス著(1972年)

今でもそうかもしれない、気候危機・自然危機・汚染危機の三大地球環境危機に直面していたとしても。環境問題はきっと誰かが解決してくれる、自分ではない、だって地球規模問題なんて僕には解決することができない。でも僕は知っている、環境問題に第三者はいない、僕は加害者でもあり被害者でもあることを。僕は知っている、地球に住んでいる限り、地球環境危機から誰も逃れられない、そして誰もが汚染を引き起こし続けることを。

先日の小学校への出前授業や大学の講義等で僕が強調しているのが、この中に含まれるメッセージ。特に日本人は何もかもが恵まれし過ぎており、地球環境問題は絵空事であったり、ごみ分別はしっかりいしているから問題ない、と思うでしょう。地球上に日本しか存在していなかったらそれでも良いのですが、日本の人口は世界人口の1.6%に過ぎず、どちらかというと日本の廃棄物管理対策は世界標準を飛び越した高度なマイノリティです。

今回のnoteは今回とある国内委員会に出席することになり、その準備ノート・頭の整理ペーパーとしてあれこれ書いてみたいと思います。

はじめに

実は今回もプラスチック関係のお仕事です。昨年からnoteを書くたびにプラスチックの話しだらけなのですが、環境問題の重要課題なのでガンバらなければ。国際的に見ても、プラスチック管理の条約化交渉会議が始まったりましたが、国内でもはマイバック・ボトルキャンペーンが3周目を迎えて息切れしてきている感はあります。全ての事は慣れてくれば何もかもが「普通」となる、それを反映しているのかもしれません。

最近NHKのシリーズ番組、ヒューマニエンス 40億年のたくらみの最新プログラム「“毒と薬” その攻防が進化を生む」を見たのですが(正確に言うとウォーキングしながら聞いていたのですが)、そこで自分自身思ったのは、プラスチックも毒と薬である、ということ。言い換えると、プラスチックはその有用性が社会に必要な薬ではあるが、環境中における長期暴露の影響による慢性的低濃度毒物とも言えます。もしかしたら昨今のプラスチック汚染というのは、環境汚染の定義を変えたかもしれません。環境汚染は例えば水銀とかダイオキシンとかポリ塩化ビフェニル(PCB)のように、それ自体が毒物・劇物であり比較的短時間で人間が感知できる環境影響・健康被害レベルを与えているのが環境汚染と考えていました。

しかし、プラスチックは違います。プラスチック自体は無毒である、というのが標準的な理解ですが、本当にそうでしょうか?無毒なプラスチックが何百年かけて小さくなっていき、食物連鎖に取り込まれて、人間に慢性性疾患を引き起こしている、しかもそのサイクルがプラスチックを使い続けて50年(プラスチックを捨て続けて50年…)経ってようやく人間が感知できるレベルまでその汚染度合いが深刻化してきているのが現状です。現時点では、食物連鎖を通して体内に取組まれたマイクロプラスチックが、どう健康被害を及ぼしているのかまだ正確にはわかっていません。

また、ウォーキングしながら聞いているのがNHKの100分で名著シリーズ。この番組は僕に取って人としての教科書であり、アーカイブ各シリーズを聞き続けて既に4週目なのですが、今朝聞いたのが「石牟礼道子“苦海浄土”」。本も何回か読みましたし、しかも水俣在中勤務経験もあるのですが、毎回番組を聞くたびに新たな発見があります。でも今回聞いていて強く思ったのは、水俣病の話しと今回のプラスチック汚染問題の根本的メカニズム・本質的な問題点は全て同じ。違うのが、水銀なのかプラスチックなのか、ということ。その化学物質の特性から、人間社会の結果だけ見ると水銀汚染とプラスチック汚染と全く違う結果となっていますが、本質は全く同じ。人間が人間社会で不要になったものを環境中に垂れ流した。気候危機も同じ、人間社会で自然資源を富に変え、その不要物を大気中に出し続けてきた、そして出し始めて250年経って、人間はようやくその事実を正直に認めるようになった(=250年間、特に過去50年間、その結果がどうなるかわかっていたにもかかわらず見て見ぬふりをしていた。止まれるチャンスはあったのに、知っていながらそれを止めなかった事実)。苦海浄土のなかでもこうあります、「大自然が水俣病をとおして人類全体に投げかけた警告は無視された」…。

今回出席させていただく委員会は、2019年大阪G20サミットで採択された2050年までに海洋プラスチックごみによる追加的な汚染をゼロにまで削減することを目指す「大阪ブルー・オーシャン・ビジョン」を加速度的に実施することを目指しています。海洋プラスチックごみを資源として活用、自然エネルギーや海洋資源をサステナブルに使用を目指し、SDG14海の豊かさをまもるため提言や戦略、そして行動を起こすことが求められています。僕は以下の3つが論点になると思います。すなわち、1.思想的アプローチ、2.政策的・技術的アプローチ、3.メディア的アプローチ。

2.思想的アプローチ

環境問題対策に思想的アプローチが重要である、と言うと、なんだか後ろ向きであったり消極的と思われるかもしれません。でも人間は二度と過ちを繰り返さないためにも、思想的アプローチ、つまり環境に対する人間の本質的な考え方を完全に変えなけれなりません。水俣病(水俣病事件と言ったほうが正確かもしれません)が残した教訓、「大自然が水俣病をとおして人類全体に投げかけた警告は無視された」、を我々は忘れてしまっています。そして冒頭のメッセージ「我々は、目の前の豊かさを得ることに目をくらみ、その長期的な結果がどうなるか見て見ぬふりをしていた...」、もそうでしょう。人間が気が付き、それを正直に正面からぶち当たったころには、既にもはや遅し状態です、水俣病もしかり、プラスチック汚染もしかり、気候変動もしかり、その他全ての環境問題もしかり、です。環境問題は大きすぎて、きっと誰かが解決してくれる、僕ではない、と考えてしまうのも人間の本質をついています。人間が見たくない物や現実社会に対して、他人のせいにして文句を言うのが心の狭い私たち人間のこころ、自分が一人何かしても変わらないからいいじゃん、というのも心が自分勝手な私たち人間のこころ。

でもそれではダメなのです。プラスチック汚染対策の条約ができ、それを実施するころには、また新たな何らかの問題が浮上して売るかもしれません。そしたらまた同じ議論が始まります、この環境問題対策は重要だが、きっと誰かが解決してくれるはず、「大自然が水俣病をとおして人類全体に投げかけた警告は無視された」を続けていく私たち人間の欲望のはかなさ、いつまでたっても種としての人間は、自分の欲しいものを見境なく(サステナブルではなく)求め続けていきます。もちろん欲望も重要です、だからこそ、人間は全ての動植物界の直観のみの完成に頼る動物的生命、そしてその場にたたずんでいる植物的生命から完全に独立した理性的生命を獲得し、その欲望でここまで突き進んできたからこそ、地球の歴史上初となる人類が地球環境を変えている人新生に突入した、ということでしょう。

ここから人類がどう変わるか、人類の本質である自然の中の人間としてのサステナブルな社会を追求するのか、表向きのサステナブルな社会を進めていくのか(各世代が問題を先延ばしし続ける現状)、どちらに行くのでしょうか?みんなが知っている答えは一つしかありません。でもみんなが実施に取れるアクションはもう一つの方かもしれません、残念ながら。その長期的な結果はどうなるのでしょうか?また見て見ぬふりをするのですか?自分たちはその結果を見届けることができないので、結果は何世代もあとの世界になってようやくわかるでしょう。残念ながら地球環境問題解決には、少なくとも1世代の年数、実際は100年後とかかもしれません。人間は既にたくさん苦い経験をして多くの教訓を学びました、だからこそ人間の思想を変えていかなければなりません。何世代か後にその結果が出ると思いますが、その結果として得られる人間社会は、自然と完全に共存するサステナブルな社会とならなければなりません。

2.政策的・技術的アプローチ

僕の通常の仕事で中心となっているのが政策的・技術的アプローチ。あちのこのnoteに仕事上実施しているスタンダードな政策的・技術的アプローチはすでに書いてあるので、今回は、この二つのアプローチにデジタル的要素が入るとどうなるか考えてみました。

まずは、DXが標準となっているこの世の中、ビジネス分野ではDXの大波が来ているのは実感するし、ビジネスとSDGsの文脈でもDXによるより効率化や環境負荷、そしてサステナブルなビジネスを達成するために必要なのがDX、とデジタル分野に詳しくない僕でも理解しています。

でも、僕が主担当の廃棄物管理分野はデジタル化が進みにくい分野と認識します。例えば日本の場合は、廃棄物業というのは歴史的に見てもかなり古くから実施されている完全地元密着型ビジネス、しかも、日本の企業形態をそのまま反映しているように少なくとも90%以上はファミリー企業をベースとした中小企業。だからその分業の担当エリアで各家庭や事業者からのごみのきめ細やかな個別回収が可能とも言われています。言い換えると、既に完成形を迎えているビジネスの一つが廃棄物業でもあります。更なるごみ回収の効率化による廃棄物分野から二酸化炭素排出削減は既に実施されています。開発途上国でも、最初からDX化によるごみ回収の効率化システムを導入している国もあります。今後の廃棄物管理のDX化に期待するところです。

では廃棄物管理のDX化にAIが加わるとどうなるのでしょか?既に研究ベースでAI解析による廃棄物分別の自動化などが進んできているので、今後どのような廃棄物管理技術とAIが融合して、循環型社会形成に貢献できるのか、というのに非常に興味あるところです。あとは、環境モニタリングの高度化、二酸化炭素排出モデル予想の精度向上やリアルタイムによるモニタリング・データ解析も可能になると思います。

一番期待したいのが、例えばナノテクノロジーとAIによる自動ゴミ回収ロボットで、今のところ実質回収不可能なマイクロプラスチックをひたすら海で集めまくるようなことはできないのだろうか?モニタリングやその予想値をベースにどの海域でどの程度マイクロプラスチックがあるか判定しながら、その現場に行ってマイクロプラスチックの回収、ある程度回収したら最寄りの陸地にあるリサイクル施設へ運び、そこでもAI自動化によるリサイクルまたは最終処分をする。夢の話しかもしれませんが、少なくとも環境中に出してしまった汚染物は回収しない限り問題は解決しませんし、いくらプラスチックごみ問題を陸地でしっかりしていたとしても、ある程度は海洋中に出てしまうのは事実。世界中の海域でAI自動ゴミ回収ロボットがマイクロプラスチック、もちろん海ごみも回収し、海が本当の姿を取り戻す時代は、きっとくる、と信じたいところです。

映画のウォーリーみたいな感じイメージしやすいと思います。ウォーリーの場合は、無責任人間はどこかに逃亡してますが。僕のイメージは普段の生活では目に止まらないルンバのような超小型マシーンが、海から、陸から、山から、ひたすらごみを集めまくる、という感じです。自然界の法則に基づくと昆虫型マシーンになるかもしれませんね。

3.メディア的アプローチ

今回の委員会の母体となるのが超有力なメディアとなります。ここでメディアが持っている力をフル活用することが重要でしょう。

その僕の考えを書いていく前に、僕が持っている懸念点から。昨今のプラスチック汚染の現状を世論の風潮は、「プラスチックが悪い説」が聞こえてしまうのは私だけでしょうか?プラスチックさえ使わなければ、プラスチック汚染は起きないし、起こすこともない、だからプラスチック製造業者や小売業者が悪い、と聞こえてくるのは私だけでしょうか?

僕は1970年代生まれなのですが、幼稚園や小学校の頃になってプラスチック製品が世の中に出回り、プラスチックに依存した社会が構築されていった時代だったと思います。プラスチック製品やプラスチック素材のおもちゃがものすごく最先端でかっこいい、とそのころの記憶が残っています。おそらく当時は、「夢の素材誕生、それはプラスチック。軽くて透明でどんな形にも製造でき、食料品の保存安全性が高まりました。ジュースもペットボトル容器で」、と謳っていたと思います。そういえば、水俣病を引き起こしたあの企業は、当時、プラスチック製品の原料を製造する世界でも有数な企業の一つでした。ここにも人間として学ぶべき点がたくさんあります。

メディア、つまり、情報を世の中に届ける重要な役割を担う組織、例えばプラスチック汚染も現実をしっかり伝え、その恐ろしさをちゃんを知ってもらい、一人一人が自分自身でその問題を自分事化して、自分でできる対策を毎日続けていく、これが地球環境問題を解決するもっと重要な要因です。これを広く伝えていけるのがメディアの持つパワーです。

私も年間何回か一般向けや専門家向け国内外セミナーや会議、大学・高校・中学・小学校での講義や授業でお話しさせていただいたり、noteでの個人的な情報発信、職場等のウェブを通した情報発信はしておりますが、いかんせん、私は単なる国連職員でしかないので、残念ながらその情報発信の広さや浸透度合いがかなり狭いのが現実です。そこでやはりメディアの力を貸してほしいのです。市民の皆さんの思想をよりサステナブルな方向へ動かす・変える・伸ばすためにはメディア的戦略・アプローチが必要です。

しかも単純にメディアに情報を載せるだけでは効果が少ないでしょう。皆さんもそうだと思いますが、何か一つの切実・鮮明な印象や心象は心に突き刺さりませんか?市民の皆さんの思想を動かしていくには事実そのものを伝えるだけではなく、その事実の現れ方、出し方、伝え方の力が重要です。少なくとも数年前にプラスチック汚染問題が世界の関心を集めだした頃に頻繁にメディアに使われていたのが、人間のせいでストローが鼻に刺さった亀などの、傷ついた動物たちでした。その痛々しい映像を捕らえたのが、多くの市民の皆さんでした。そこからボトムアップ的なアプローチとしてわずか数年で国際社会を動かしたのがプラスチック汚染問題。つぎのメディアアプローチは、「プラスチック問題の本質的な問題はなんであるのか?」、「その解決方法はどのようなものがあるか?」、「本質的な解決方法はなんであるか?」、というのを洗練かつ情報を凝縮して、人々の心を満たし、それに付きまとうほどの切実な思想的アプローチを根付かせていかなければなりません。

4.おわりに

今回も乱筆で思いのまま書いてしまいました。今回は海の自然を守る、ブルーエコノミーを大切に活用する、という趣旨の会議に参加させていただいたので、海に関して最後に思いを一つ書きたいと思います。僕が今の仕事をするきっかけとなったのが、研究者として水俣に赴任したことです。もう20年近く前になるのですが、大自然の色をものすごく輝かせている水俣湾と最初に接したとき、あの事件が嘘のように感じました。今でも毎回行くたびにそう思います。自然は何があろうとその状況を受け入れて、バランスを取ろうとする、例えそれが人間が及ぼした負の影響だとしても。自然はいつも寛容的に人間を受け入れてくれていました。でも人間は自然の持つその寛容さを人間の価値観のみでしか考えてきませんでした。だから、今は、もはや修復不可能な地球三大危機に直面しています。先日も水俣に出張に行ったときに、水俣湾から恋路島を見て色々と考えさせられました。生命の原点である海を汚す、言い換えれば人間が人間自身の首を絞めている事、でも目の前の社会を生きているとその肝心なことを忘れてしまう。私たち人間は完全に何かを忘れて生きてしまっています。もはやそれを取り戻すことはできないのでしょうか?

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