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奈良ってどんなところ? - 奈良公園SDGs自然学校 -

今回の記事は少々今までとは違う準備ノートの記事になります。11月28日(日)に探検隊長として参加させていただいたこちらのイベント、「奈良公園SDGs自然学校」の4回シリーズ、奈良ってどんなところ?奈良の「あたりまえ」と世界の「あたりまえ」- 奈良公園SDGs自然学校 -の準備ノートです。


このシリーズは世界遺産の街、奈良を舞台に、奈良の大自然と歴史、自然と共存している現代の奈良の人々の暮らし(逆を言うと、人工的な街に溶け込めた鹿の生活、かもしれません)を肌で感じながら、未来の自然と人間の関係をSDGsを通して考えてみることを目的としています。机の前に100時間座って勉強したり考えたりすることも重要ですが、持続可能な未来社会を思い描きながら、美しい奈良公園を1時間歩き、実体験として自然や環境を学ぶことができる素晴らしい自然学校です。僕も小学生の頃とかにこんなイベントに参加したかった、何となく自然とかキャンプとかにあこがれていたけど、実際そんな経験をほとんどせずにここまで来てしまいました。

奈良ってどんなところ?奈良の「あたりまえ」と世界の「あたりまえ」

今回の探検隊長の本多です。普段は国連環境計画という国連の組織で働いています。皆さん、国連は知っていると思いますが、国連環境計画は知っていますか?国連環境計画と言うのは1972年に設立された国連の中で環境に特化した組織です。本部はアフリカのケニアの首都ナイロビにあり、その他43か国に事務所を構えております。その一つが大阪にあり、私はそこに勤務しています。私は日本人で大阪事務所に勤務していますが、直属の上司はスイス・ジュネーブにいるカナダ人、同僚はジュネーブやパリ、ナイロビにいるイギリス人、オランダ人、イタリア人、南アフリカ人、スリランカ人、など、多国籍の職場環境で日々仕事しています。

国連職員として、日々、分母を地球丸ごと一個として世界のごみ問題に挑戦しています。今日は奈良公園SDGs自然学校の「地球から見た奈良の暮らし - 奈良のごみ・地球のごみ」と題して、ごみ問題から色々と考えてみたいと思います。

さて皆さん、いくつか質問させてください。皆さんは今日どこから来られましたか?奈良市内?大阪?京都?関西以外?コロナ禍なので海外からはいないと思いますが、宇宙から来られた方?は、さすがにいませんよね。もしいたら楽しかったのですが。この「宇宙から来られた方」と言うのが実は今日のキーワードの一つになります。これはフィールドワークから帰ってきてからお話ししますので、皆さん、メモしておいてください。

もう一つ重要なキーワードは、もちろんSDGs。皆さん、もちろん知っていますよね、このキーワードSDGs。何の略でしょうか?「鹿・どんだけ・グレート」の頭文字を取ってSDGs(奈良版)でしょうか?

ではまずごみの話しをしたいと思います。皆さん、普段何種類のごみを分別しますか?5種類?10種類?20種類?それ以上?ちなみに日本国内で最も多く分別しているのは徳島県の大勝村、どれくらい分別していると思いますか?なんと45種類!!45種類もごみあるっけ?と思いますが、徹底した分別をするとこのような神の域まで達成します。では奈良市はどれくらい分別していますか?探検隊員の皆さん知っていますか?残念ながら私も知らないので、後でグーグルさんに聞いてみたいと思います。

今朝、近鉄奈良駅についてからここまで私はあるものを見つけるためにじろじろ見ながら歩いてきました。それはポイ捨てごみ。ちなみに、私が住んでいる大阪市内は、ぱっと見きれいですが、道の端っこにはたばこやペットボトル、ビニール袋などをよく見ます。きっと多くの人はそれぞれの家ではルールに沿ってちゃんと分別していると思うのですが、自分がその他多数となる外ではポイ捨てするのだろうか?と心が苦しくなります。

そのポイ捨て、人間から見ればごみですが、他から見た場合はどう見えるでしょうか?今日の重要ポイントはここです。自分の普段の目線や考え方、当たり前を別目線で考えてみること、これが重要です。普段の私たちの生活は、普通なのかどうなのか?海外と日本はどれだけ違うのか、と言うのをごみ問題とSDGsを通して考えてみたいと思います。

なんでSDGsが必要なのか、と言うのは色々な考え方がありますが、環境や自然で言うのであれば、人間は自然と共に生きなければならない、という事です。この地球上に存在しているもののうち、人工物の重量が自然に存在している量を越えてしまった時代、もはや人間が圧倒的な影響を自然に与える時代、人間と自然が共に生きる、という事を改めて認識しなければなりません。

でも、この人間は自然と共に生きる、と言うのは、人間目線だから考え付く発想です。今日はこの発想をあえて逆転してみましょう。人間以外の動植物目線でこの世の中をみたらどうなるか?

今日は、皆さん、人間目線も捨ててみましょう。鹿目線!!今日は鹿目線で色々と考えてみたいと思います。今日のあなたは鹿です!!

鹿目線でこの世の中を見ると、どんな見え方をするでしょうか?これは完全に想像することしかできないのですが、例えばこんな感じかもしれません。鹿親子の話し。「ママ、なんである部分にしか森しかなくて、後の部分は固い場所しかないの?」「そうそう、これはあの二本足で歩いている別の動物が私たちの森を石の世界に変えたからだよ」「ママ、なんで森を石に変える必要があるの?」「それはよくわからないけど、森を壊して石にすることで、ものすごい速いものが動くことができたり、二本足の動物の家が増えたりしている。それと、なんだか、だんだん空気も汚れてきたのよね、この石の世界で」、とか言っているかもしれません。どう考えてもこの人工の石の世界は、鹿の世界では自然ではないかもしれません。

もう一つ、こんなこと考えてみましょう。「ねぇねぇ、ママ。最近、平べったくてまるい食べ物をくれる人が減ったよね。あれ楽しみにしていたのにな」。お母さん「そうなのよ、あれはおやつっていうの。でも最近人間が少ないね。私たちは人間と一緒にいるおかげで天敵から身を守れるけど、おやつが少ないのは残念ね」。小鹿「何かないかなぁ?あっこれは、ここに落ちている白いの。噛み応えがありそう」。お母さん「アッそれはダメ、噛み応えはあるけどおなかが痛くなるから」。人間目線に戻すと、その白いのはレジ袋です。そこで事故が起こります、レジ袋を餌と間違って食べてしまい、鹿がなくなってケースがあります。奈良では鹿ですが、世界中でレジ袋を食べてしまい、動物がなくなっている事例がたくさんあります。クジラ、海鳥、イルカ、亀、など。

ここでの人間としての当たり前は、レジ袋を含めたプラスチックは生活必需品があたりまえ。でもそんな当たり前を知る由もない鹿や他の動物にとっては、なんだか新たな食べ物として見てしまうかもしれない。ここ日本では、プラスチックごみは分別することになっていますが、残念ながらポイ捨てや強風にあおられたとかの事故的なポイ捨てはなくなりません。その一部が、例えば、ここ奈良公園で鹿が間違って食べてしまい、死に至る、という事例があります。

人間目線で考えればもちろんそれはプラスチック製のレジ袋ですが、鹿や動物にしてみれば餌に見えてしまうこともあります、しかも食べ残しやに食べ物のにおいがついているとなおさらでしょう。これが環境事故的な誤飲となり、鹿やその他の動物たちを世界中で苦しめています。

では、今日はこれからフィールドワークですが、今日は人間の目線ではなく、鹿の目線で奈良の街を歩いてみましょう。その時に、動植物にとっては良いこと悪いこと、人間にとって良いこと悪いこと、そして地球全体として良いこと悪いことを考えながら、奈良の街を歩いてみましょう。人間に良いこと、鹿にとって良いことはきっとSDGsに間違いない、人間に悪いこと鹿にとって悪いことはきっとSDGsの逆、逆SDGsに違いない、そんなことを考えてみましょう。

地球から見た奈良の暮らし

皆さんフィールドワークはどうでしたか?楽しめましたか?色々と学んだと思います。皆さん、人間目線と鹿目線の両方で歩いてみましたか?それぞれ良いこと悪いこと何か見つけましたか?

皆さんと今日歩いていて、そこそこごみが落ちていたと思います。鹿せんべいの帯、たばこの吸い殻、ストロー、ビニール袋、ビニールの紐、キーホルダーのリング、傘、タオル、などなど、おそらく普段はポイ捨てごみに目線が行かないと思いますが、今日はごみをみんなで考えた結果としてごみに目線が行くようになったと思います。

では、なんでこんなごみが落ちているのか考えてみましょう。例えば、鹿せんべいの帯。これは想像するのが簡単ですよね、鹿に鹿せんべいをあげた後、意図的にポイしたよりかは落ちてしまった、と言う方が多いと思います。それと、鹿に追いかけられて手から鹿せんべいを離した、というのも一つの理由だと思います。でもこの帯は紙製なので、鹿が食べても問題ありません。でも、何かこの代替となるような帯はないでしょうか?探検隊員の小学生が良い提案をしてくれました、それは鹿が食べる草で帯を作る事ができないか、さすが、採択です。鹿せんべい業者さん、いかがでしょうか?

ストローも落ちていました。これはなんで落ちたのでしょうか?きっと、何かの飲み物を飲み干した後、残念ながらごみ箱がないのでポイ捨てしたか、飲んでいる最中に事故的に落としてしまったけど知らんぷりしている、かも。この解決方法は何かありますか?探検隊員の小学生からの提案は、①ごみ箱を設置する、②ごみを持って帰るようにアナウンスする、③土に帰る素材のストローにする。どれも良いアイデアです。

一つずつ考えてみましょう。①のごみ箱を設置するはいいと思います。皆さんにそこに捨ててもらうことで、奈良の街、奈良公園の美化につながりますね。でも、もう一歩深く考えてみましょう。ごみは誰の責任でしょうか?もちろん、出した人の責任ですよね。という事は、②のごみを持って帰るようにアナウンスする、とすると、ごみを出した人の責任でちゃんと家に持つ手変えるので、ごみの管理からはこちらの方が良いでしょう。でも、ごみ箱を設置すると、ありとあらゆるごみが捨てられます。例えば、家庭ごみの持ち込み、特に捨てにくい家庭ごみを持ってくる人は必ず出てきます。実例としては、コンビニのごみ箱や自動販売機横にあるごみ箱、なんで多くの人はそれぞれの家でちゃんとごみを捨てるのに、コンビニや自販機のごみ箱、公共施設にあるごみ箱は、ルールを守らないのでしょうか?僕はそれを見ていつも心が痛みます。

③も素晴らしい考え方だと思います。こっちももう一歩深く考えてみましょう。土に帰る素材のストローを使用する、その心は?ポイ捨てもOK!!となりませんか?土に帰るので、心置きなくポイ捨てしてくださいと。この素材は一つの解決策だとは思いますが、根本的な解決方法にはなりません。根本的な解決方法は、みんながポイ捨てをせずに、地球にやさしい形でリサイクルすること、処分することです。特にごみ管理先進国の日本はより高度なリサイクルを目指さなければなりません。逆に、埋立処分場が唯一の処分方法の開発途上国では、このような素材は効果的な解決方法かもしれません。でも根本的な問題、私たちの日々の暮らしと行動を地球環境にやさしくすることにはつながりません。

もう一つ、今日の探検中に初めて知ったことは、奈良には、美化ならぬ美鹿の大切なお仕事がありました。それは、奈良公園の美化を守るための重要な活動、それが美鹿活動です。奈良美鹿の会小さな小枝の皆さんが、大切な奈良公園を守るために、日々活動されています。皆さんのその活動、かっこいいです。応援します。

宇宙の目線

最初にした質問、皆さん覚えていますか?宇宙から来た人はいますか?もしどこか遠くの星で、宇宙人が望遠鏡で地球を観察していたらどう思うでしょうか?ちなみに、この宇宙人は人間と全く異なる生命力を持っていて、平均寿命が1万年だったら?多分こういうでしょう、人間て素晴らしい、さすが自然、自分自身で社会や街を作ったと思ったら、そこで破壊した環境汚染によって自らも破滅した、自然って素晴らしい、と。

地球環境問題は私たち人間の目線です。地球環境問題を鹿目線で考えると、なんだか最近空気は汚いし、気温は上がってきているし、ごみは落ちているし、ここ奈良公園にもう住めないかも、と思っているかもしれません。少なくとも、今の地球環境に合わせた生活を送っていますが、そのうち、この人間と鹿が1300年以上も共存していた社会にピリオドが打たれる日が来るかもしれません、あらたな環境を求めて鹿たちが別の場所に移動してしまうかも。

地球上には何種類の動植物がいると思いますか?探検隊員の小学生が答えてくれました、3700万種類、ちょっと多かったけど、そのレベル感は近いです。国連が使っている数値は約870万種類、でも人間が破壊した地球環境汚染のせいで、そのうち約100万種が絶滅の危機に瀕しています。たった1種類のせいで、そうです、私たちのせいです。

少なくとも、人間は約270年前の第一次産業革命が始まるまでは、自然と共存した社会を送っていました。でも、その第一次産業革命は全てを変えました。人間は自然をコントロールし始め、自然を我が物とし、自然を富に変えて資本主義がしみ込んだ社会を創り上げました。でも、そこには、大きな落とし穴があることに人間は最近まで気が付きませんでした。

それは、地球環境問題。今まで人間が生み出してきた富が増えるほどに、地球環境問題の深刻度は増していきました、しかも高所得国とそれ以外、特に低所得国との格差は格段に広がっています。高所得国の住人が富を手にしている一方、世界人口の1/7、つまり約11億人は低所得国に住んでします。地球環境問題は、特にこの低所得国にしわ寄せがきています。日本国内で環境問題を解決した、ごみ問題を解決した、街はきれい、と言う考え方は目線が狭すぎます。それは高所得国内だけのエゴになるでしょう。地球は全てがつながっています。地球全体で地球環境を基に戻すこと、77億人の人たちが、約870万種類の動植物の中に再び溶け込んで、一緒に美しいこの地球で暮らしていく事、その日を目指さなければなりません。それには、日々の私たちの小さな生活内のその行動が重要です。その行動、地球にやさしいですか?

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