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読書は遅ければ遅いほどイイ(2024年7月の日記)

 2024年7月の日記です。皆さまいかがお過ごしでしたでしょうか。

 暑かったですね。べらぼうに。首筋に太陽をくっつけたかのようなめちゃくちゃな暑さのせいで、外に出る気力を奪われた7月。仕事漬けだった6月とはまた違って、とにかく外に出なかったせいで日常のおもしろさが全然なく。その一方で、エンタメ的な体験をいろいろした月にはなりました。アウトドア系は皆無ですが(ほんと夏フェスとか考えらんない)屋内でやるライブに行ったり、久しぶりに生放送のテレビを見たり、配信チケットを買ってみたり。ほんと平日と休日の差が激しくって、ずっと反復横跳びしてる感じです。ところで同世代の方々、ENTERTAINMENTといえば、SEKAI NO OWARI、ですよね。RPGでいうとまだ中ボスにすら辿り着いていない我が人生ですが、暑さに負け越すことなく(ちょっとは負ける)、それなりのペースで進めていこうと思います。なんて。

エンターテイメントまみれのJuly

2024/7/1 月

 読書は遅ければ遅いほどイイ。蓮見翔ならこれを「遅読書だね」と言ってのけるだろう。遅読書のススメ、というわけだ。私は今日も堂々と、遅読書をやっている。

 遅読書というと一冊をゆっくり読んでいるように思われるかもしれないが、そうではない。実際、私の本を読むスピードは亀の如く遅いが、こっちは直したいところだ。私の中での遅読書とは、本を刊行されてからしばらく経ってから読み始めるという行為である。芥川賞や直木賞の受賞作や話題書なんかは、少なくとも半年くらいは置いてから買う。そして、買ってからも半年くらい寝かせてから読みはじめたりする。

「話題書なんて、話題の間に読んだ方がいいだろう」と思ったあなた。わかっていない。私はそもそも本を読むスピードが遅いので、あまり何冊も本を読むことができない。そして、話題書だからといって私の肌に合うかどうかはわからない。だから、世間や周囲の評判がある程度出てから、その本を買うかどうか決めたい。刊行直後でもAmazonなんかでレビューは出ていたりするが、それは全然信用していない。それよりも、しばらく経っても書店に置かれているかどうかだったり、私の感性と近い人や憧れの人からの感想の方がよっぽど信用できる。遅読書の方が、ハズれなく読書を楽しめる。

 それに、本を買ってからの熟成期間も大切だ。買ったばかりだと勢いがよすぎてぺらぺらっと読み進めてしまう。しばらく置いてから「よし、そろそろ読むか」というテンションで読みはじめると、しっかり本と向き合いながら読書ができる気がする。早さや勢いというのは野暮であり、趣がない。感想戦に興味がなければ、ぜひ遅読書をやってみてほしい。

2024/7/2 火

 新しいパスポートを申請するために役所に行って、気がついた。文字書くの、めっちゃ久しぶりだ。うわ、ほんと久しぶりだわ。厳密にいうと宅配が来た時にサインを書いたりはしているが、あんな名字を一筆書きするだけのルーティーンを、文字を書くとは言わない。私は認めない。

 昔からきれいに字を書くのが苦手だった。私の書いた字は、私でもなんて書いたのかわからないほど汚い。当然ノートを提出するような課題は嫌いだった。人に見せられるような字でノートを書くのは、とんでもなく時間がかかった。中学生の頃、ノートを見せた同級生には「楔形文字で板書写してんのかと思った」と言われた。今以上に根暗だった当時の私は、誰がメソポタミア文明やねん、という安易なツッコミを返すことすらできなかった。

 今でも字にはコンプレックスというか、苦手意識はある。仕事で「メモ取ったら?」みたいなことを言われても、しない。書いたとて、読めないから意味ないし、人にも絶対に見られたくない。ほんとだったら、役所の人にも字は見せたくなかったくらいだ。

2024/7/3 水

 私は伸ばし棒が好きだ。なぜか、伸ばし棒にえもいわれぬ色気を感じている。伸ばし棒がない方がオシャレという人もいるが、私はできるだけ伸ばし棒を使っていきたい。したがって、タイムマシンじゃなくて、タイムマシーンに。ハロウィンじゃなくて、ハロウィーンにしていきたい。ただ、パフェはパフェ。パフェーは違う。パフェ―はなんか、気の抜けた音が響いてぶるぶるしてしまう。パフェ〜みたいな。千鳥ノブの引きツッコミみたいな。

2024/7/4 木

 やっっっっっとこさ、仕事が一区切りついた。はー。お疲れ様、私。今日ばっかりは自己中でいいよね。他の人のこと労っている場合じゃない。私も疲れたし。疲れた。疲れたよ。疲れちまったよ。疲れた時は、疲れた以外の言葉が出てこない。脳も声帯も疲れている。

 なんて言ってみたが、ほんとうはわかっているのだ。私が休職していた期間、同僚たちにはけっこうな迷惑をかけた。私より、他のみんなの方が全然疲れている。私は2ヵ月の休職で体力を失ったから疲れているような気がしているだけで、実際の仕事量は少なかった。

 ちょっと休憩して、息抜きして、はい、自己中タイムは終わり。みんなお疲れ様。ありがとう。

(その後、疲れがピークの時に書いたものがこちら)

2024/7/5 金

 私はよく見たら変な顔をしている。「よく見たら」とか言っちゃうところが私のイタさであり、カワイさであり、やっぱりイタさかもしれない。メンドクサさでもあると思う。今も仲良くしてくれている、数少ない友人たちには感謝しかない。毎朝、友人たちがいる方角を向いてお礼を捧げなくてはならない。話が逸れてしまったが、私はよく見たら変な顔をしている。自分の顔の左右対称じゃない部分や、少し形が歪なところは見れば見るほど気になってくる。これはいつになれば許せるようになるのだろう。今のところ、生まれてからこの方、不満は単調増加である。

2024/7/6 土

 夜、難波のあたりをぷらぷら歩いていたところ、知らないおじさん声をかけられた。なぜか無視することができず、私はイヤホンを外した。おじさんは私に「あんた、日本人?」と聞いてきた。私は首を横に振って、絞り出したような声で「いいえ」と答えた。おじさんは「そうやんなぁ」と呟いて、難波の夜に消えていった。おじさんは、どうして私が日本人かどうかを知りたかったのだろうか。その後どこに行ったのだろうか。そして、日本語の質問に本後で返答したのに、なぜ私の「いいえ」を信じたのだろうか。

2024/7/7 日

 久々に京都に来た。いや、帰ってきた、と言わせてほしい。夏でも新京極通は涼しい〜、嬉しい~、ビタミンC~。京都の全てを受け止めたくて、いたるところに目を向けながら河原町通を歩いていると、ミンヒジンの帽子をかぶった人をたくさん見かけた。もちろんミンヒジンのつもりはなく、ただただ青のLAキャップを被っていたのかもしれない。だけど、なんだか嬉しい。

 三宅香帆さんの読書会に参加してきた。もう2回目だ。課題図書は『ある行旅死亡人の物語』というノンフィクション作品。人生ではじめてノンフィクション作品を読んだ。そして、やっぱり読書会は楽しい。はちゃめちゃ楽しかった。会の終わりに三宅香帆さんサインをお願いしに行った。名前を聞かれ「普通のシラカワで」と答えたところ、「白河さん」と宛名が書かれていた。あぁ、シラカワは白河の方がメジャーなのか。これは、アップデートしておかねば。

2024/7/8 月

 生まれてから今の今まで、歴史上の偉人を好きになったことがない。まったくもってない。興味を持ったことすらない。やれ戦国武将がどうだとか、維新志士やあるいは新選組がどうだとか、昔の政治家だとか、どうでもいい。親戚のおじさんより興味がない。小さい頃にお年玉をくれたおじさんよりも、偉人を好きになるところなんてあるはずがない。

 関連して、名言にも興味がない。なんだ名言って。どのタイミングで言ったんだ。「名言、どうぞ!」みたいなインタビュアーでもいるのか。日常会話で出てくる言葉ではないし、文章ならまだしも、口に出していったとするなら驚くべき名言もたくさんある。ちなみに、歴史的な出来事についてはおもしろいと思うこともある。人物と名言に興味がないだけ。

 暇だったのでその理由を考えてみたところ、生きている姿を観たことないからだという結論に至った。歴史というのは、あくまで書かれたことだけで語られる。書かれたことが歴史になるとも言える。そうなると、その偉人が何を成し遂げたかなんて本当のところはわからないし、名言も文脈がわからない。コロンブスのように評価が変わる偉人もいるくらいだから、パーソナリティもわからない人を好きにはなれない。

まぁ私がちょっと人間不信だということもあるが、坂本竜馬が好きだというのは、芸人やアーティストの顔ファンと同じようなものだとしか思えないのだ。

2024/7/9 火

 駅のホームにあるトイレに入ったところ、蛍光灯がチカチカしていた。これは、早めに引き返さないといけないんじゃないかという気がしてきた。ゲームのやりすぎだろうか。日常のちょっとした異変でも、すぐに引き返さなくちゃと思ってしまうのは悪い癖。あのゲームは、周りの環境に異変が起きたら引き返すという内容だったが、現実には人間の異変もある。私は、友人から怪しい投資を勧められた時、異変に気がついて引き返せるのだろうか。

2024/7/10 水

 スタバでアイスコーヒーをオーダーして、待つ時間がある。たった数十秒の時間。あの時間ですら、肩身が狭く感じる陰の人間が、この私です。陽のお店の、一番人の目に晒されるスポット。注文カウンターは最も居心地が悪い。とにかく早く持ってきてほしい。入店するより前に、先にカップにコーヒーを入れといてくれてもいい。じゃんぼ総本店のたこ焼きのように、ちょっと割引きで。

 アイスコーヒーを待っていると、店員さん同士が軽い会話をしてるのが聞こえてきた、内容までは聞いていなかったけど、一言「ひっぱたくよ」という言葉だけが聞こえてきた。スタバの店員が言う「ひっぱたくよ」、こわー。

 そんなスタバで、今日も短歌を作っていた。短歌を詠みはじめてから早くも3ヶ月が経った。まだたった3ヵ月だし、完全に満足できる歌なんて一首も作れていない。そうは言いつつも、3ヵ月前に作った短歌を見ると「なにこれ」と思うものばかりなので、ある程度の成長は感じられる。成長は、今ではなく過去を見て実感するものなんだと思う。

2024/7/11 木

 コニカミノルタのカメラを買ったことを同僚に話したところ、「あー、ゴミノカルタって聞いたことあるわ」と言われた。もうおしまいです。カルタノゴミならまだわかる。ボロボロになって使わなくなってしまったカルタなのだろう。悲しい。でもゴミノカルタは、ゴミでカルタやってるやん。いや、ゴミ、触りたくないし。何を読みあげられて、何を取ればいいんだ。「ペットボトル~」と読まれて、飲み終えたペットボトルに手を伸ばす、近距離不衛生ビーチフラッグを誰がやりたいんだ。同僚との飲み自体はとても楽しかった。

2024/7/12 金

 いい日旅立ちを歌いながら自転車を漕いでいる男とすれ違った深夜一時。やっぱり京都は最高だ。

 時を戻そう。今日は大学の部活の同期飲み会に参加してきた。普段10人以上人がいる飲み会には参加しないで知られている私だが、こればっかりはさすがに行く。久々に会う同期。みんな変わってないなーと言うと、お前は変わりすぎだと言われた。ああ、あの頃のフレッシュさは失われたかと思ったが、どうやら髪型と髪色らしい。たしかに、大学時代はピンク髪パーマだったので、今の黒髪ストレートは逆に新鮮だったのかもしれない。

2024/7/13 土

 飲食店なんかでたまに、自動ドアが自動で動かなくなっている時がある。そんな時、店が紙に手書きで「手動です」と書いてドアに貼ったりしている。私はそれが、少し気に入らない。「故障中です。手動で開閉してください。」とかならわかる。まるで元からそうだったかのように「手動です」って、なんやそれ。

 あー、イライラする。ちょっとしたことでもイライラしてしまう。全部夏のせいだ。川口春奈にそう言ってほしい。暑い。夏フェスと祇園祭には絶対に行きたくない。せめて秋口にやってくれたならな。考えてあげてもよかったんだけど。

2024/7/14 日

 Aマッソの単独ライブ『縦』を観に行ってきた。おもしろかった。あんまり語ると加納さんに怒られそうなのだが。なんだろう、それぞれのネタがおもしろいのはもちろん、それぞれを超えた展開・繋がりがあって、また別のおもしろさが生まれていた。全体を通して『縦』という一本のコントを見ているような感じがした。最後まで、縦が「たて」なのか「ほしいまま」なのかはわからなかった。また観たくて、配信チケットも買ってしまった。

 同行してくれた友人と、天満にご飯を食べに行った。元々同行予定だった会社の後輩が予定をミスって旅行に行ってしまったので、急遽来てくれた友人はまさに救世主だった。餃子を食べながら友人に「私も人付き合い悪いから、相対的に親友だわ」と言われた。相対的に親友。聞いたことのない概念。たしかに、私たちは頻繁に会っているわけではないのだが、他に会っている人がいなければ相対的には親友なのだろう。ふと、中学校の成績相対評価を思い出した。10段階で各段階の割合が決まっている、かなりシビアな評価。賢い学校とそうでない学校でかなり差が開くんだろうなと、中学生でも理解できる残酷さがあったが、これのおかげで相対的の意味も理解できたので、悪いことばかりではなかった。

2024/7/15 月

 Adoの全国ツアー『モナリザの横顔』を観に、大阪城ホールに行ってきた。Adoのライブを観に行くのは2回目。昨年行われた全国ツアー「マーズ」の、同じく大阪城ホール公演ぶりだった。Adoのライブは何度見ても異質だ。そもそも顔出ししていないアーティストのライブを他に観に行ったことがないので当然だが、籠の中に入って黒いシルエットしか見えないアーティストが歌っているのは、とても現実とは思えない光景である。さらに今回のライブは昨年よりも照明が強化されていた(ように感じて)、より現実離れしているような気がした。

 会社の人たちと行っていたので、ライブ後、休憩と感想の共有のために近くのミスドに向かった。私は、やっぱりミスドが大好きだ。会社の人といることも忘れて、ドーナツを一心不乱にむさぼってしまう。どう考えてもミスドのハニーディップが全ての食べ物の中で一番うまい。群を抜いてうまい。ライブの感想なんか言っている場合ではない。そう思っていたのは私だけではなかったようで、他のみんなもまずは無言でドーナツを食べていた。

 ミニオンコラボのドーナツを食べている人がいたので、何味ですかと聞くと、マンゴー味でしたと言われた。バナナとちゃうんかい。ライブの感想は、それぞれ気になった部分が違っていておもしろかった。

2024/7/16 火

「白川さんの住んでる家って、将棋会館の近くですよね」と会社の同僚から言われた。私が住んでいるエリアには同じ会社の同じ部署の人が多く住んでいるので、なんとなくどんなお店や建物があるか知っている人は多い。しかし、私は将棋会館の存在を知らなかった。同僚には「そうです~」と、なんとなく肯定の返事を返した。

 仕事終わり。その帰り道。家までの最後の信号を待ちながらふと目線を挙げたところ、でかでかと「将棋会館」と書かれたビルが目に入った。存在感だけだと渋谷109の「109」と変わらない。これに今まで私は気がついてこなかったのか。ということは、どれだけ下を向いて歩いていたのか。たまには少し上を、水平+5°くらいを見て歩いてみようと思った。

 私は行っていないのだが、今日は応援していた「Kep1er」という9人組KPOPアイドルグループの、9人で行う最後のライブだった。元々2年半という期間限定で始動したグループで、9人の内7人はその後もKep1erとして活動していくことになったのだが、(事務所の意向もあって)2人は別のグループとして再デビューすることになっていた。

2024/7/17 水

 「いい人すぎるよ展」でおなじみのentakuが、韓国で展示をやるらしい。素直にすごいと思った。そして羨ましいとも思った。もちろんentakuにもたくさんの課題や苦労、悩みがあるのだろう。それにしても、仕事が楽しそうに見えてしまう。こんな感情には、なりたくなかったな。私も、楽しみながら仕事ができると思っていたんだけど。楽しくないものだと思って就いた仕事が楽しくないのはいいけれど、楽しいと思った仕事が楽しくないと、楽しい仕事なんて存在しないような気がしてくる。entakuも、外から見る分には輝いて見えるが、もしあの光の中に入れたとしても、内側は暗かったりするのだろうか。それはそれで嫌かもしれない。

 夜には近所のトップバリューに買い物に行った。豆腐を買おうとしたところ、トップバリューの絹豆腐が2種類並んでいた。「きぬ」と書かれた豆腐と「絹」と書かれた2種類。値段もいっしょ。なんでやねん。ほな2種類いらんやろ。

2024/7/18 木

 一般に、ズボンを履く女性はたくさんいるが、スカートを履く男性は少ないだろう。そのため、女性の公衆トイレの表示は間違えずに入れるが、男性の表示の方は一瞬「あれ、これは入っていいんよな」という考えがよぎってしまうのではないかと思う。特に若い世代なんて、ズボン=男性でもなければ青=男性でもない。これは、いつか誰か、シンプルに間違ってしまうような気がする。

 私は公衆トイレの個室に入った時、ふと、逆の方に間違って入ってしまっていたらどうしよう、と思うことがある。不思議な感覚だが、わりと頻繁に思うことだったりする。私は今、疲れで視界が朦朧としていて、逆の方に入ってしまったのではないか。ドアを開けて外に出た途端、他の利用者に見つかって、訝しげな目で見られたりしてしまうのではないか。意味もなく不安に襲われる時がある。自宅の外で用を足すという無防備な状況が、私にこんな思考をさせているのかもしれない。なんであれ、こういう無駄な不安は生活から減らしていきたいものだ。

2024/7/19 金

 難波の街を歩いていると、キャッチみたいな見てくれをしたキャッチみたいな男がキャッチみたいな声で電話をしていた。キャッチみたいな一音目から輪郭のはっきりした声で「お前さ、そんなんやったら社会人としてやってけへんで」と誰かに言っていた。いや、うん、いいんだけどさ。私にはそのキャッチが、声色と詰め方も含めて、社会人だとは思えなかった。

2024/7/20 土

 27時間テレビを見た。久しぶりにテレビを見てワクワクした日になった。私は粗品さんが好きだ。世間でどう思われていようと、粗品さんのスタンスは好きだし、何よりお笑いが大好きだ。今回の27時間テレビは新しいカギチーム、チョコレートプラネット・霜降り明星・ハナコの3組がメインMCに抜擢されていた。もちろん全員おもしろかった。チョコプラの人間力、霜降りの技量、ハナコの努力。日本一たのしい学園祭というコンセプトに完全にマッチした演者と企画で、27時間常にエンジンかかりっぱなしで最高だった。

 その中でも、特に粗品さんのすごさを改めて実感する放送だったと思う。全体の進行をし、放送ギリギリのボケを放ち、大先輩にも果敢に挑み、主催のコーナーは企画から入って回しきり、逃走中でも話題になる展開を作り、高校生相手には腐すことなく真剣に応え、終わってからはすぐに反省。もう、全部やってるやん、と思った。

2024/7/21 日

 コーン寿司を食べられるようになったら、ほんとの大人になれたんだと思う(既視感)。新宿歌舞伎町の居酒屋で。大学の友人がそう言っていた。小さい頃、回転寿司のお店に行くと、ハンバーグ寿司やコーン寿司、ツナマヨ寿司を必ず食べていた。無邪気に美味しかった。いつからか、私は、私たちは、それらの寿司を食べなくなった。歳をとって魚の美味しさが分かってきた、というのは理由の半分でしかなく、きっともう半分はただの虚栄心だ。最近、ネギトロ寿司は恥ずかしがることなく食べられるようになってきた。コーン寿司まで、あと一歩だ。

2024/7/22 月

 仕事の休みを取れたので、地元の病院に入院中のおばあちゃんのお見舞いに行ってきた。おばあちゃんは食べ物でも何でも好き嫌いが激しい人なので、お見舞いの品はなく手ぶらで向かった。おばあちゃん、ひどく弱気になっていた。早く死にたいと言っていた。これが、うつ病の人の言葉であれば、精神的に寄り添って話を聞いてあげたいと思う。ただおばあちゃんは、
体の痛みが辛いから死にたいんだと言っていた。こういう時、どんな言葉をかけてあげたらいいのだろう。言葉で痛みを取り除いてあげることはできないし、痛くても耐えてほしいというのは、間違いなく本心ではあるのだが、無責任にも思えてくる。私は、そこで何と答えたか、帰るころには忘れてしまった。たぶん、はっきりしたことは何も言えなかったんだ。

2024/7/23 火

 車の運転をしないので、道路が全くわからない。やれ御堂筋がどうだとか、イナイチがどうだとか言われても、全くわからない。その道が縦なのか横なのかもわからないし、でかいのかでかくないのかもわからない。逆に、運転もしないのに道路に詳しい人はすごいと思う。京都くらい、車道だろうが歩道だろうが格子状に引かれた通りの名前で管理してほしい。あまりに道路がわからないので、話の中で誰かが道路の話を言ったら反射的に昭和っぽいなぁと思ってしまう。私の世代とは関係ない話のようにして流してしまうが、それは母親やタクシー運転手さんなど、今まで運転してきてくれた人が昭和生まれだっただけなのだ。同世代でも道路を知ってるやつは知っている。

 そういえば昭和で思い出したのだが、テレビ番組やニュース記事なんかで、「昭和vs令和」みたいな文言を見かけることがある。平成が不憫でしかたがない。私は平成11年生まれで、20歳になるまでのほとんどを平成で過ごしてきた。まぎれもない平成世代である。「昭和vs令和」が育ちのことなのであれば、昭和育ちなんてもうけっこうな高齢だし、生まれのことなのであれば、令和代表は最年長でもまだ5歳だ。平成にものすごく思い入れがあるわけではないが、平成が軽視されてしまうのはなんだ寂しいような気もする。

2024/7/24 水

 一年半前に別れた元恋人と、一年半ぶりに会ってきた。天満の飲み屋で、餃子を三種類注文。私はこの人との別れをきっかけに、もう恋愛をするのはやめておこうと思うようになった。外見も内面も好きだったし、喧嘩をしたこともなかったし、なにも不満はなかった。それでも別れてしまったのだから、誰がということではなく、恋愛自体が向いていないのだろう。私は、結局は恋愛して、結婚して、子どももできてというような将来になるのだろうと思っていた。そうじゃない正解を探せるようになったのはこの人おかげでもあるんだよなと思いながら、絶対にそれを口にはしなかった。

2024/7/25 木

 母から、祖母の余命が一年らしいと聞いた。どうにも実感は湧いてこなかった。人の死は、まだあまり実感ができない。

 大学一回生の時、友人を亡くしたことがあった。友人とは言っても、学校の同級生でもなければ共通の友人もおらず、中学生の頃にたまたま家族のつながりで知り合った人だった。当時はまだガラケーの時代で、メールでやり取りしていた。好きだったこともあった。高校生になってすぐ、一回ふたりで遊びに行ってから、それ以来会うことはなかった。親から、友人が亡くなったらしいと連絡を受けて、久しぶりにその友人の名前を聞いた。お通夜には参列することになった。泣き崩れている友人の友人たち(おそらく同じ高校の)の中にいながら、私はまだ、友人が死んだということがよくわかっていなかった。そんなことも、もうすっかり忘れていた。

 夜、なんとなく、スマホでGoogleカレンダーを見ていた。予定はこれで管理している。最近仕様が変わったのか、連絡先に誕生日を登録しているとGoogleカレンダーにも反映されるようになっていた。カレンダーの画面の中で、一つの表示に目が留まった。亡くなった友人の誕生日だった。25歳の誕生日と書かれていた。友人は、19歳で亡くなった。原因は今でも知らないけど、友人は、まだお酒も飲めない年齢で亡くなったのだった。なぜか、私野目に涙が溢れてきた。私は今24歳で、友人は本当だったら私より先に25歳になっているはずで、でも友人は成人すらしていなくて、「久しぶり」とか言ってお酒を飲みに行ったりすることもなくて。そこで初めて、友人が死んだということを実感した。

2024/7/26 金

 久々に実家で妹と喋っていた。私たち家族三人はそれぞれすれ違ってきていて、母と妹はそりが合わないし、私と母は他人行儀だし、私と妹は互いに無関心だった。三人で会話したのなんて、何年前だろう。妹とは全く話さないわけではなかったが、ここ数年は共通の趣味であるアイドルの話題を通してしか話してこなかった。そんな妹と、朝4:00くらいまでリビングで二人で喋っていた。いろんな話をした。特に、家族の話。それぞれどんな思いがあったのか、あの時なぜあんなことをしたのか、これからどうしたいのか。たぶん、完全に全員が打ち解け合うことは今後もないけれど、それでも一歩進んだ気がした。

 最後に、私がしたことや言ったことの中で、今まで何が一番不満だったか聞いてみた。妹は、お互い小学校の時に家族でFUNKY MONKEY BΛBY'Sのライブに行く予定が合ったのに、私が熱出してせいで行けなくなったのが嫌だったと言っていた。私は、そんなこと、完全に忘れていた。

2024/7/27 土

 さてさて、今日は地元の会。だいたい月に一回くらいは開催していたが、たまたま今回は2ヵ月ぶりの開催になった。メンバーは、私とKとYのいつもの三人。大都会、梅田で集合。したはいいものの誰も何も考えてきていなかったので、Kの車で地元までドライブすることになった。地元から電車で梅田に行って、車で地元に戻る、無駄しかない最高に贅沢な休日のはじまりだ。

 昼食は地元に比較的新しくできたはま寿司。着飾らないチョイスも、またいい。地元にできた店は、オープンしてから5年経っても新しいとこだと思ってしまう。私たちは、その店ができる2つ前くらいからそこを通っているのだ。はま寿司では昔の思い出話をしていた。一番印象的だったのは、小学校の臨海学習の話。当時、海に行って1kmくらいの長距離を泳ぐという根性論丸出しのイベントがあった。「今は絶対ないよね~」とか言いながらおそるおそる小学校のホームページを開いたところ、まだやっていた。しかもホームページに記されていた場所を検索すると、13年前くらい前に行った海と全く同じだった。

 また少し車を走らせて、地元から少し離れたカフェに向かった。駐車場で車をとめたところ、すぐ近くにドアが全開で停められているBMWを見つけた。車に詳しくない私でも、BMWがいい車だということは知っている。大丈夫かなと思いながら、どうすることもできないのでそのままカフェへ。カフェでは近況の話をした。Kはどうやらいい感じの人がいるようだったが、お相手はもうすぐ留学に行ってしまうらしい。Yは少し前に恋人ができて海まで旅行しに行っていたが、体調が悪く海を見るだけ見て帰ってきたらしい。二人ともなにやってんだとは思ったが、私だけがなにもやっていなくて、それはそれでなにやってんだとツッコまれてしまった。

2024/7/28 日

 今日はゆったりカフェ・ダラダラ・デーな一日。本を読んだり、日記を書いたり、短歌を詠んだりしてやるぞ。と意気込んでいたのだが、気がつけば時刻は15:00。全然いいんだけど。もうちょいカフェに時間充てたかった気もする。

 とはいえカフェには行きたかったので、支度をして外に出た。少し遠いところにあるカフェに行くので、電車のに乗る。改札の手前に、膝を引きずりながら親に手を引かれている子どもがいた。連行されているようにしか見えなかった。ホームでは、ベンチで寝ている人がいた。まだ16:00ですよ。日光浴かと思った。

 カフェについて、短歌を詠みはじめてから最初に作った短歌連作を引っ張り出してきて、大幅に手を入れた。過去の歌を見るのは恥ずかしかったが、テーマだけ残して全部の歌を修正した。なんとか今の私がギリギリ納得するような形になったが、振り返ると、カフェより駅での出来事が印象に残った一日だった。

2024/7/29 月

 名字にもなれる名前に憧れる。理由はない。自分でもなぜだかわからない。だけど、そんな名前に痺れる憧れる。精神じゃなくて身体で憧れているのかもしれない。名前に身体性なんてないんだけど。むしろけっこう概念でしかないのに。たぶん、ミステリアスな人が好き、みたいなことと同じなんだろうと思う。人の不安定さ、揺らぎみたいなところに惹かれることはあって、私は名前にそれを特に感じるのかもしれない。

2024/7/30 火

 「事実は小説よりも奇なり」という言葉があるが、それは事実の方が小説よりも驚きの展開があるということではなく、事実は小説ほど整理されたものではないということなのだと思う。例えば何かの事件が起こったとして、ミステリ小説だとかなりきれいなトリックがあったりするが、事実だと「たまたま誰も気が付かなかった」みたいなこともあるだろう。そして、「たまたま誰も気が付かなかった」はけっこう奇だったりする。フィクションは設定こそ超常だったりするが、展開はキレイでしっかりとオチがあったりするので、完全な奇にはなれないのかもしれない。

2024/7/31 水

 多様性ってむずかしい。やなやつだって受け入れなくちゃいけないし。多様性を盾に他社を叩くのも、また多様性から遠ざかる行為かもしれない。そもそも人間なんて自分の目線以外になり切るのなんて不可能で、必ず偏見・差別は生まれてくるのかもしれない。差別・逆差別の応酬の中で、うまいことバランスとりましょうくらいが現実的なのだろうか。

 ま、ほんとはそこまで悩んだり考えたりしているわけではないのだけれど。私はレーズンパンにマーガリンを入れないでいてくれたら、それでいい。そこに多様性はいらないし、マーガリンなしのレーズンパンが淘汰されるのだけは間違っている。



先月の日記



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