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韓国の思い出を韓国に行けるその日まで語り続ける【DAY1 2000年秋、初韓国】


2000年とか昔話じゃんね。BTSとか生まれてないんじゃないの?
韓流前夜。観光客の全てがキムチと焼肉、南大門市場と明洞を目指していた時代(しらんけど)。

初韓国は高校時代の友人ⅯとKと私の3人で行った。もともとアジアなんて全然興味のなかったⅯがソウルに行こうと言い出したのは、その前の旅行で知り合った外資系商社マンの長期出張先がソウルだったからだ。
仮にSさんとする。のちに知ったが、確かにSさんはスマートな風貌と長い海外生活からにじみ出るレディーファーストが板についた素敵な紳士だった。

Sさんが定宿にしていたのはベタに乙支路入口にあるロッテホテルだった。

日本人観光客以外には海外のサラリーマンが多く行き来していた。さすが高級ホテル、という重厚な印象だった。
私たちはちょっと安いツアーにしたので、宿は江南のはずれのほうだった。当時LCCなどなく、お気楽会社員の休日海外旅行にわざわざエアーと宿を別にとる、みたいなことはあまり一般的ではなかった気がする。ネットで予約、みたいなことが一般的になるのって確か2005年頃からだった。

スマホがない時代だ。Sさんとの待ち合わせも簡単ではなかった。
日本を発つ前に「〇日の18時にはロッテホテルに戻れると思う」という電子メールがⅯのところにきて、あとは当日その時間に行くしかなかった。今では考えられない。

無事Sさんには会えて、当時20代だった私たちが食べたこともない「時価」のあわび入りプルコギを食べさせてもらった。4人で40万ウォン(当時で約4万円)はした気がする。そんなことされると好きになりますよ、ええ、好きになりましたね。その後のイロコイ(泥沼化)はまた次回書くかも。

ロッテホテルの下にある高いプルコギを食べたあと、私たちは歩いて南大門市場に向かった。そしてその日、mesaがオープン初日だった。鮮明に覚えている。今やちょっとした幽霊ビルになってるmesa。22時にオープンという営業形態も、上から下まできらびやかなファッションビルだということも、みんなみんな新鮮すぎてクラクラした。
そこでラインストーンの派手な髪留めを買った。今も実家にある。

翌日は東大門にいって、また夜にSさんと待ち合わせをして江南のホテルの近くでデジカルビをごちそうしてもらった。昨日とはうってかわって4人で5000円ぐらいだった気がする。そのあとウォーカーヒルのカジノへいった。そこでもSさんは紳士的なふるまいで、私にルーレットを丁寧に教えてくれた。日本円で5万円ぐらい勝った。Sさんは18万円勝っていた。いるよなーそういう人。

私たちは翌日帰路についた。残ったウォンで韓国のりを買えるだけ買った。


そして2か月後、私は一人でソウルに行くことになる。Sさんに会いに。




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