文章を書けるようにする練習は質より量だと、4年間毎月5〜10万字教材を書き続けてわかった。

毎日更新している。そんなつもりはなかったのだが、続けられるだけ続けようと思う。継続は力だ。

いつも記事は1時間程度で書く。仕事が終わって、毎日見舞いに病院に通っているので、病院で書く。帰宅後、加筆・修正して、投稿する。

毎日の記事を書くのが苦にならない程度には、そしてあの程度の分量を1時間くらいで書ける程度には、書くのに慣れた。

他の人たちは、どのくらい時間がかかるのだろう。わからない。というより、周りに日常的に何かを書いている人がいないので、知らない。

しかしこんなに書くのが苦にならなくなったのは、おそらくここ数年のことだ。私は新型コロナウイルスの流行で学校が休校になったころから、自作の教材を書き、授業するようにしてきた。感染防止の観点から、いろんなことができなくなり、できなくなったことの代替案として、私の解説をまんま文章として配付することにしたのだ。

これはやってよかったと思っている。生徒にも好評だった。

所属校にいると、「生徒が文章を読めない」とよく聞く。文章を配って読ませても、読めるわけがない、と。

しかし私の実感としては、生徒たちはそんなに読めないわけではない。もちろん詠んで理解できないことはある。しかし、ちゃんと自分たちに向けて書かれた文章は読めるはずだ。実際、年度はじめは慣れていないこともあって、教材を読むのがしんどそうな生徒が多いが、読み続けるうちに、どんどん読むのが苦でなくなっているように見える。

また、生徒には読むだけではなく、書くこともかなりの量を強いてきた。強制的に量を書かせた。前も書いたが、強制はだいじだ。

生徒たちはだんだん書くのがうまく、そして早くなる。質的な指導はそこまでしてない(今年度の後半はちゃんとやろうと思い始めた。実際に取り掛かっている。)。しかし、書くのに慣れると、ある程度すらすら書けるようになる。

すらすら書けるようになると、思考も深まる。書くことは考えることだ。考えるのも苦でなくなる。

私が毎日更新できるのは、書くのが得意だからではない。書くのに慣れるくらい書きまくってきたからだ。

とにかく量を書くのがだいじだ。

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