見出し画像

中山道13 長久保宿→下諏訪宿

▽1991年3月
23歳 30年勤めた会社の入社前に、東海道を歩きました。
▽2021年3月
53歳 30年勤めた会社の退職後に、中山道を歩き始めました。

京都まで一気に歩く、"気力"、"体力"、"時の運"、が無いので、行けるとこまで歩く事を繰り返します。

2021.05.30

1.落合橋

画像1
画像2

民宿"みや"さんの超家庭的な朝食、土鍋で炊いたご飯が美味しくて、たらふく食べて、いざ出発します。

画像3
画像4

途中までは中山道では無いのですが、羊牧場の門番のヤギが、朝まで任務を全うしてたので、ご覧ください!
昨日はここにたくさん羊がいたんですよ。
緑のビニールハウスの中で、行儀良く整列している姿が、目に浮かんできます。

画像5
画像6

写真の橋から中山道に戻ります。
昨日感動した浮世絵の場所らしいですが、
背景の稜線も違いますし、
まぁ、こんなものでしょう。

画像7
画像8
画像9

綺麗な流れです、依田川。
ふと疑問が、この水は太平洋・日本海、どちらに辿り着くのだろうか?
日本海だろうねきっと。

2.季節労働車

画像10
画像11
画像12

夏の活用方法考えたら、"雪国ノーベル賞"もらえそうですね。
もしも"季節労働車"がなかったら、
ぞっとします、ライフラインですね。

某豪雪地帯の自治体の方から、
雪が降らないと建設業者さんが
困ると聞いたことがあります。
除雪後の道路を見たことあるのですが、
な数センチも狂わず道路の端まで見事に削ってました。

某豪雪地帯の山奥の宿に
大雪の夜宿泊した際に、
このままふり続けたら、
孤立する恐怖感に襲われながら、
窓の外をみていたら、
朝まで1時間毎に除雪車が来るんです。
かっこよすぎて見惚れちゃいました。

某豪雪地帯の方は、
「うちの除雪技術は隣町には負けねえ!」
と豪語してました。

3.思いやりバス停

画像13
画像14
画像15
画像16
画像17
画像18
画像19

いろんな種類のバス停があり、

楽しかったです。
待ってる人見ませんでしたが、
雪の日など助かるでしょうね。

4.思いやりミミズの碑

画像20

街道歩きの先輩のUさんが、
一昨日のオンライン飲み会で、
和田宿行ったらミミズミミズと、
連呼してた意味がわかりました。
質の良い土をつくるミミズに、
感謝を込めて、碑を作ったそうです。
思いやりですね!

画像21
画像22

和田宿は、あちこちで水が飲めます。
とても贅沢なおもてなし。
ご馳走さまでした。

画像23
画像24

三千僧接待碑。
通りががった僧侶一千人に、
接待した事の記念碑。
やがて二千三千と増えたので、
後から文字を二→三と刻んだそうで、その跡が見てわかる碑です。

画像25

三千人にご接待、簡単では無いはず。
思いやり文化ですね。

画像26
画像27

かわいい!
獅子舞も楽しそう。

5.のどかな風景

画像28

しばらくは、のどかな風景が続きます。

画像29
画像30
画像31
画像32

赤い屋根が多いですね。
山の風景に合いますね。

画像33

青い看板を道標に迷わず行けます。

画像34

江戸から四十九里、中山道は百三十五里、いつの間にか三分の一超。
残りの里数が減るのが怖くなってくる。
早くも中山道ロス⁈

画像35

胡桃畑。

画像36

芸術家の家。

6.和田宿

画像37

のどかな和田宿にみえますが、峠を超える前の宿、当時はほぼ全員が宿泊しますし、荷物を運ぶ人や馬も、さぞ多かったと思われます。

画像38
画像39

小学校と中学校、美しい佇まいです。

画像40

古民家カフェ、メニューは長和町産の食材をふんだんに使った、マフィンサンドなど。

画像41
画像42
画像43

八幡社。
そびえ立つ根本しか残っていない大木が本殿より存在感がありました。

画像44

ガソリンスタンド、現役です。

画像45
画像46
画像47

当たり前のように、町並みが残されてます。当時は人だけでなく、荷物を運ぶ馬などもたくさんいたのでしょうね。

画像48

蕎麦屋さん、いい感じです。


画像49

旅籠 大黒屋、今にも草鞋を履いた旅人が出てきそうです。
残念ながら今は泊まれません。

画像50
画像51

本陣跡、入りたいけど、和田峠に心が向かっててスルー。
街道は2回歩かないとだめですね。

画像52
画像53

現役バリバリの商店、落ち着いた雰囲気で、ガラスもピカピカに磨かれてます。"うだつ"も立派!

画像54
画像55

高札場跡、悪いことする人いなさそうですけどね。

画像56

扉屋さん?

画像57
画像58

徐々に町の賑わいが、峠に向けた静寂に変化していきます。

7.峠路までのアプローチ

画像59

歩き始めて2時間、下諏訪26Km、標高差約800m、峠越えもあるので、焦ってきます…。

画像60

森林の伐採を考えてみました。
写真の三角形の場所が今伐採してます。
きっと順番に伐採するので、山をよく見ると、色が違います。

画像61

こちらが伐採した場所に植林して伸びる途中の状態。
何十年もかかる、壮大な計画なんでしょうね。

画像62

峠が近いとお食事処がが増えてきます。
上り坂の途中の左側が原則、ガソリンスタンドと同じで、減速しやすいからです。
杉の屋さん、昭和の雰囲気出しながら、現役バリバリオーラを放出してました。
入ってませんが、蕎麦とピザがおすすめみたいです。


画像63

ホッコリします。


画像64

カエルのたまごだ!
子どもの頃育った茨城を思い出します。
この後和田峠の登山道は、
カエルの大合唱を聴きながら登るとは
この時思ってもいませんでした。

画像65
画像66
画像67

廃業してしまったドライブイン、
バス停はかろうじて現役、
ゴミを捨てないように柱の影から、
お地蔵さんが見張ってます。


8.唐沢一里塚

画像68

歩き始めて2時間30分、
登山道にはまだ着きません。
国道を歩くの飽きた頃に救いの道、
左上の山道に向かえとの看板が!
よっしゃ〜!

画像69
画像70
画像71

あぁ最高!
早く峠路歩きたい!

画像72
画像73

青い看板を道標に歩くと
そこには感動の風景が!
一里塚のこんもりおやまが、
なんとほぼ原形っぽいまま、
道の両側に二つあります。

画像74
画像75
画像76

説明書き読んでも、原形のまま残っていると書いてある。
一里塚に掌を添えて、勝手にパワーをいただいてから出発。

画像77

振り向いて別れを告げます。

画像78
画像79

妙な木を発見。
イバラの木?触ったら結構痛い。
那覇の街中にはもっと太い街路樹で、棘付きがありましたがタイプが違う。
そうだ、Googlelensで調べよう!

9.Google Lens の使い方

町で見かけたわからない花や木、
建物の部材、書籍、など何でも、Google Lensが画像から
検索してくれます。

❶Google TOP画面の、カメラマークをタップ。

画像80


❷調べたいものが目の前に有れば撮影すれば完了。
今回はアルバムの画像を検索するので、
アルバムマークをタップ。

画像81


❸ アルバムから画像を選ぶと、
あぶく見たいな○がぽこぽこ出てきて
数秒で結果が複数出てきます。

画像82



画像83
画像84

いやしかし、いつになったら、
登山道があらわれるのか、
歩き始めてもう3時間を超えました。 

画像85
画像86

とその時、それらしき雰囲気に!
標高1,100mか、あと700mで峠か。

10.和田峠登山道

画像87
画像88

やっと辿り着きました。
くたびれかけてたのに、
急にテンション上がります。
私、登山が好きなんです。


画像89
画像90


熊が結構出るらしいので鈴を装着。

画像91
画像92

三十三体観音のお見送り。
見護られてる事を身体で感じながら
登り続けます。

画像93

獣の足跡、鹿かなぁ?

画像94

クリン草、峠付近以外は、
ずっと山道に寄り添うように
可憐に咲いてました。

画像95
画像96

クマが怖くて、
振り返ったり上見たりしてると、
突然国道142号が現れます。
この後何度も国道を渡ります。

11.接待茶屋

画像97
画像98

接待をした茶屋が、
和田峠には何ヶ所もあります。
そりゃ大変だったのでしょうね。

画像99
画像100

こちらの茶屋は江戸呉服町の豪商が、
寄付して作られたもの。
SDGs、社会貢献ですね。

中からの眺めがほぼ京都の古刹。
最高でした。

画像101
画像102

休憩用の石の椅子に常夜灯、
そのまま残ってるんですね。
この石に何人が座ったのでしょうか。
タイムマシンに乗って見に行きたい。

画像103
画像104

クリン草にオシダ、
目に新緑の癒しが飛び込んできます。


画像105

近藤谷一郎巡査殉職の石碑。
明治時代に犯人を護送中に、
犯人から殺されてしまった巡査の碑。
旧中山道を護送していたのですね。
合掌。

画像106
画像107

何故かこの付近だけ石畳のみち。

画像108
画像109
画像110

清流を橋で何度も渡ります。


画像111
画像112

峠路にも一里塚。
ここは片方しかありませんでした。

画像113
画像114

突然昔のドライブインの廃墟が。


画像115
画像116

窓が割れてたので中を失礼。
調味料がそのまま置いてありました。
トラック野郎恒例のドライブインの
喧嘩のシーンが終わった後みたいです。

画像117
画像118
画像119

少し国道歩いて再び登山道に。

画像120
画像121

えっ、ここ通るのか?

画像122
画像123

借景窓みたい。


画像124
画像125

ザクロ石。
金になるのなら欲しいところだが、
どれがザクロ石だかわからない。

画像126
画像127

視界が明るくなってきた峠が近い。


12.和田峠

画像128
画像129

なんかあれれ、
息が切れることもなく
あっさり着いちゃいました。
民宿のオーナーが、
言われる程きつくないですよ、
と言ってたのがわかります。

画像130
画像131

お地蔵さんにご挨拶。

画像132
画像133

民宿で作ってもらったお弁当食べて、
上諏訪町サイドの案内マップを手に、
下山開始!
頭の中は温泉とビールと蕎麦。

画像134

遥か彼方にみえるのが上諏訪?
えらい遠いなぁ…


画像135

賽の河原。

画像136
画像137

しばらくはこの看板との旅になります。
傾斜は下諏訪側の方がきつく、
しかもガレ場が多いです。


画像138

道祖神様。

画像139
画像140

石小屋跡。
雪などの時の避難所で、
なんと長さ50mもあったそうです。

13.熊?

画像141

前方100mに黒い影が。
げっ、忘れた頃に、
温泉とビールと蕎麦に、
浮かれている場合ではない。
先月出たとの情報もあったし。

熊鈴鳴らしたら拍手したり、
しかし動かない。
おそるおそる前進したら…

画像142

普通の岩でした。


画像143
画像144

茶屋の跡に一里塚。

画像145
画像146

しばらく道路を歩き、
茶屋本陣のあった樋橋村を抜け、
そうか、茶屋にも本陣があるんですね。

画像147

あっこのタイプの避難所、
久々にみたけど、
使ってるとこ見たことない。

画像148

ひたすら道路を歩いて標高930m、
和田峠は1,530m、
下り始めてちょうど2時間。
下諏訪の町はもう少しです。

14.御柱

画像149

おおっ!道祖神の前に御柱。

画像150
画像151

ここは御柱祭のクライマックス
木落坂、45度の傾斜は尋常じゃない。
申年と寅年にやります。

画像152

毒沢ミネラル?
もっといい名前ないのかと思ったら、日本三大酸性泉の毒沢温泉、
PH2.4のミネラル鉱泉でした。


画像153

こちらにも御柱。

画像154

おぉ〜〜〜
この瞬間待ってました!
諏訪湖だぁ〜。
海はないので次は琵琶湖か?

画像155
画像156

下諏訪大社春宮に寄り道。
この御柱は本物ですね。


画像157

16:00に下諏訪大社秋宮で、
勤めてた会社のOB宮腰さんと待合せ。
早速温泉に直行!

画像158
画像159

宮腰さん海外勤務が長く、
30年ぶりの故郷下諏訪、
昔と変わってないそうです。

画像160
画像161

上諏訪に移動してお蕎麦とビール!

宮腰さん、
温泉の下見してくださったり、
車で上諏訪まで送ってくださったり、
バスタオル貸してくださったり、
お蕎麦ご馳走してくださったり、

たり・たり・たり・たり、
何から何まで
ありがとうございました!

画像162

あずさでチビチビやりながら帰ります。
下諏訪は次回歩く前に、
じっくり巡ります。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?