西国街道19 富海宿→小郡宿
本格的に街道を歩きはじめて3年目、夏は歩く時間がまとまって取れるので、ぐいぐいと街道を進む事が出来ます。1年目は中山道、2年目は北国街道・三国街道、3年目に選んだ道は西国街道。
真夏の京都から下関まで約570km、猛暑との共存も年々コツを得てきましたが、身体と会話しながら西を目指します。
2023.09.14
1.富海宿
お世話になった宿、旅籠 野田西村。
上の画像が全景、里山に溶け込んでいます。
左の建物:1階が藍染工房・2階が客室
中央の建物:受付棟兼地域づくり団体の事務所
奥の建物:AIMAカフェ
右の建物:離れ2棟→こちらに宿泊
衣服の洗濯や夕食買出しのお付き合いなど、宿の心温まるおもてなし、本当にありがとうございました。
富海と書いて”とのみ”と読みます。
宿場の前後が峠に囲まれた陸の孤島に近い港の宿場町、陸路よりも海路の方が便利だったかもしれませんね。
朝から雨の街道歩き。
雨の街道も好きです。
景色がしっとりと鮮やかに見える事と、往時の人が雨でも歩いていた時の気持ちに、少しでも近づける気がするから。
2.船蔵
船蔵。
昨夜宿泊した宿の方が、夕飯の買出しに車を出してくださった車中の会話で、昔は海岸線が今より内陸側にあり、その海際に建っていた家の1階部分が、船が着岸出来る様になっていると教えて頂いたので早速寄道。
上の画像の道が海岸線で、建物の1階に当たる部分が船蔵です。
往時の人々が出かける時は、三方を山に囲まれていたので陸路ではなく海路だったのかもしれません。
船蔵、本当に面白かったです。
朝からテンションは最高値に。
富海宿を出て、雨の浮野峠に向かいます。
3.浮野峠
旧山陽道入口。
山口県に入ると、西国街道と言ってもあまり通じず、旧山陽道が標準語になります。
上の画像の風景、見た瞬間に東海道の薩埵峠を思い出しました。その時は晴れで桜が満開、富士山と紺碧の駿河湾と、これ以上ない条件が揃い、私の”死ぬ前にも一度観たい風景リスト第1号”にノミネートされました。
再び雨の浮野峠に戻ります。
古戦場。
通る際は必ず拝み、歩きながら時々振り向き、付いて来なくていいからね!と何度か呟きます。
この時は朝の7時ですが、雨で画像以上に薄暗く、足元を蛇がにょろにょろと横切ったり、とにかく不気味でした。
この先で砂防ダムの横を抜け、旧山陽道の標示を左折すると、その先は砂防ダム関係者が通行しない様で、急激に道が荒れて来ます。
上の画像の倒木を乗越えて進んだ先は、落ちた枝が道を塞ぎ、雨と薄暗さで視界不良なため、目安となるテープの目視も出来ず折り返す事に・・・・。
視界不良のお陰で諦めが早くなり、1時間のロスで済みました。
国道2号はトンネルが狭くて恐ろしいので、下まで降りて海辺の長閑なエスケープルートを進みます。
エスケープルートのお陰で、蛸壺の登窯を見ることが出来ました。
蛸壺ってこんな形をしているのですね。
ずぶ濡れなので、セブンイレブンの軒下でそそくさと立ち食い。
何かこんな悲惨な時って、よくわかりませんが、心に灯がともり燃えてきます。
ふと見た海側に降りる階段。
ここまでが海岸線で船蔵のある家の名残かもしれません。
ブラタモリの様な世界に没入してきました。
雨が小降りになってきました。
街道を歩く時は雨でも歩きます。何故なら往時の旅人もそうしていたから。日本は3日に1日は雨が降るとも言われてますので、天気予報は殆ど気にしません。
あと経験上雨が連続して降ってもせいぜい3時間程度、雨は必ずいつかはやみます。
若い頃は仕事や人間関係でで辛いとき、”やまない雨は無い”と言い聞かせていました。年を取り最近は”時が解決する”に切り替わって行きます。
4.国分寺
多々良大佛、見事な保存状態です。
毛利氏博物館。
総点数2万点、国宝4件、重要文化財9件重要美術品17件、などが収蔵されています。今回は時間が無いので又の機会に。
寺には多く見かけますが、神社の入口にこの様な言葉が掲示されているのは珍しいです。
多くの街道を歩いて来ましたが、街道沿いにここまで保存状態の良い国分寺が残っていたケースは殆どありませんでした。
スケールの大きさに、ただただ圧倒され続けます。
5.防府天満宮
天満屋。
旅行会社で30年働いてきましたので、様々な観光地を見てきました。
昭和の時代に繁栄した土産店や食事処は、現代風に造りを変えるか、昔のままで衰退するか、二分される傾向がありますが、天満屋はどことなく違います。昭和の雰囲気のまま、活気とオーラを維持していました。
「ポケモンGOの使用は、神社尊厳維持の為禁止します」
禁止と言い切る姿勢が素晴らしいです。
防府天満宮は日本で最初に創建された天神。
国分寺も立派でしたが天満宮も立派でした。受験生がたくさん参拝に来そうですね。
萩往還。
歩いてみたい、あこがれの街道のひとつ、この先一部区間が西国街道と重複します。
あこがれの街道の、一部を歩けるだけでも幸せです。
6.宮市宿
山頭火。
恥ずかしいのですが正直に申しますと、ラーメン屋の印象しかありませんでした、俳人だったのですね。
句を詠むと、シンプルでゆるい感じでほっこりします。
萩往還の風景。
歩いてみたい街道のひとつ、萩に向かう道中の里山風景が楽しみです。
7.佐波川
山口出身者からの情報によると、黄色いガードレールは、萩の夏みかんが由来で、昔と比べると黄色いガードレールが減ったそうです。
この付近から山道に入り佐野峠を越えるのですが、入口が見つからないので、山陽自動車道 佐波川SA横の側道を歩きます。
8.間の宿 台道市
孝婦 石川阿石の碑。
孝婦とは親孝行な婦人のこと。地域に偉大な功績を残した人の石碑はよく見かけますが、孝婦は初めて目にしました。地域の特性かもしれませんね。
画像では伝わりませんが、上の画像の水田の周りの畦道が、綺麗に刈り込まれています。脚をとめて見つめるくらいに、美しい水田の風景でした。
石の台が祠の前に置かれています。
この上に座りお祈りするのか、この上に何かが鎮座していたのか、気になりますね。
工事中の寺はなかなかお目にかかれません。
上の画像中央上部をよく見ると、迫力がある一本柱の屋根の部材が見え隠れしています。
台道市は間の宿で、荷物を隣の宿に運ぶ際の、中継所の役割りを担っており、庄屋上田家は、大名や幕府の役人の休憩や宿泊を任されていました。
9.長沢池
長沢ガーデン。
長沢池の畔に佇む、食事・入浴・宿泊ができる三拍子揃った施設。地元では有名です。
食事を終えてシューズを履こうとしたら、左足だけ靴底が無い事が発覚…
夜は靴底を外して朝履くときに一緒に靴底をセットするルーティンなのですが、何故かこんな事に…
今日は途中雨が降ってきたので、靴を一旦脱いで履き直した時に外れたのか?
宿泊した、旅籠"野田西村"に連絡すると、靴底が片方ある事が判明。夕方電車で取りに行きますと話すと、
「歩いているところに追いかけて持って行きます」
ありがた過ぎる二つ返事。
申し訳無いので、取りに行きますとお断りしようとしましたが、長沢ガーデンなら30~40分くらいで行けますので大丈夫ですと言われ、お言葉に甘える事に。
なんと長沢ガーデンにはうどん自販機があったので、靴底が届くまで、一杯食べて見ることに。
只今の時刻15:26。
食事時でも無いのに、食べている20分位の間に、4人のお客さんが購入してました。恐るべし自販機パワー。
売店では自販機うどんグッズの、テーシャツやトートバッグが販売されています。
うどんを食べ終えて、ぼ〜っとしていたら、本当に30~40分で届けに来てくださりました。
もう感謝でしかありません。
届けて頂いた喜びを力に、下関まで完歩を目指します。
その後ふと思ったのが、9時間もかけて歩いた道のりが自動車では30~40分で行けてしまう事実に、文明の凄さと人力の弱さを痛感しました。
待っている間に気になったのが、上の画像の軽食コーナー。
たこ焼き・ソフトクリーム・回転焼・カレーライスなどが売られており、ひっきりなしにお客さんが来てました。
上の画像の白い花。
ニラの花で、葉の匂いを嗅ぐと、当たり前ですがニラの香りがし、可憐な姿は街道の風景をさり気なく彩ります。
山陽本線の車両。
岡山県内と山口県内は、上の画像の黄色い車両が中心。広島県内は7枚上の画像のシルバーの車両が中心。
シルバーの車両はどことなく味気なく、撮影する気になりませんが、黄色い車両は風景に馴染むので、毎回撮影しちゃいます。
長沢池の中に、宮島厳島神社の如く弁天社の鳥居が聳え立っており、感動して視線を右に移すと、ゴルフ打ちっ放しが。
ゴルファーの皆さんは、この鳥居を目印にしているのかと思うと、可笑しくなってきました。
10. 鋳銭司
鋳銭司と書いて"すぜんじ"と読みます。この付近はかつて鋳銭司村でした。
鋳銭司の意味は、 10世紀まで存続した貨幣を鋳造・改鋳するための官職。
この付近ではお金を作っていたのか、お金を作る偉い人がいたのでしょうね。
今歩いている道は、国道2号でしたがバイパスが出来て、交通量が激減した区間。上の画像みたいに、道のど真ん中を歩いて撮影も出来ます。
[⬆︎下関]の大きな行先表示に、気合が入りました!
建石には、文字が刻まれていませんが、東西・南北方向と平行して建てられていたそうで、方位を伝える道標だったかもしれません。
煉瓦の塀の家は、赤い屋根の傾向があります。彩りがとても綺麗で、何度見ても飽きません。
艫綱とは、船着場を意味する言葉。
この付近まで海岸線が来ていたのですね。
この付近は陶(すえ)という地名で、この地で作った焼き物を船で国内各地に輸出したと伝えられてます。
小郡宿の街並みが見えてきました。
次に訪れる宿場町が見えてくるとホッとします。
往時の旅人も同じ様な心境だったと想像する瞬間が、街道歩きの目に見えない楽しみでもあります。
11.小郡宿
一里塚には赤間関十四里と刻まれており、あと二日で到着出来ます。
わかってはいるものの、数値で可視化してあると、人は嬉しくなるものですね。一里塚の重要性をしみじみと感じました。
この道を進めば萩に行くことが出来て、憧れの萩往還を歩く事も出来る。
街道はどこまでも続いてます。
只今の時刻は18:45。
日没が遅い山口県でもこの時間だと暗いですね。
気温が高いので夏の気分でいても、日没の時間は秋です。
本日はここまで、宿泊先に移動します。
宿泊先が前日夜の時点でどのホテルも満室。経験上当日の昼頃にキャンセルがでるので、昼に電話して予約が出来たホテルまで新山口駅を跨いで移動。
途中、サリーの姿のご婦人集団の渦に巻き込まれてしまい、パーティですか?と聴くと、そうよ!と嬉しそうな返事が返って来ました。
今日は、小学生の頃から好きな、阪神タイガース優勝の可能性がある日なので、夜のパトロールは中止して部屋で観戦しながらの夕食。
優勝出来ました、おめでとうございます。
岡田監督インタビュー後に甲子園に流れた、監督現役時代と同じ応援歌のトランペットの音色にグッときました。
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