東海道 復路13 (姫街道) 御油宿→気賀宿
31年前、卒業旅行で東海道を江戸日本橋から京三条大橋まで歩いたので、今回は江戸に向けて歩きます。
調べたところ、大坂高麗橋が起点の様なので少し長めの、東海道"五十七次"の独り珍道中を始めます。
2023.01.07
1.御油宿
東海道で新居宿まで辿り着きましたが、浜名湖を渡る今切の渡しの舟が、船宿に片っ端から連絡しましたが調達出来なかったので、御油宿まで折り返し、姫街道を歩くことにしました。
既に15時を過ぎてますので、本日は豊川まで進みます。
単調な道が続き社寺仏閣以外には、往時の街道を彷彿させる建物などが見当たりません。こんな時は近代文化を楽しみます。
今回の東海道歩きでは、大坂高麗橋から、ベーカリーを記録し続けてますが、どのお店も美味しそう。江戸時代にはなかった食文化、これから100年後にはどの様な姿に進化していくのか楽しみです。
2.八幡宮
国府八幡宮と呼ばれるだけあって、一ノ鳥居をくぐってから本殿に向かうまでの、池や橋や岩などが凝っており見事。
本殿は国の重要文化財に指定され、屋根は茅葺きで立派な木彫りが施されています。
夕飯を購入しに宿泊先の隣のスーパーに。流石豊川、お稲荷さんが安いですね。赤だしのモツ煮と共に、抹茶色のおつまみで乾杯します。
2023.01.08
3.豊川稲荷
ホテルの朝食が06:30開始、本来は日の出前の06:30には、歩き始めたかったので、大慌てで食べて豊川稲荷に。
冬の日が短い時期は朝の30分がとても大切、暗くなっても市街地は近代の常夜灯である街灯がありますが、山間部は真っ暗になります。
豊川稲荷の杜が見えてきました。
どこまでも続く長い塀、近隣の駐車場には早くも参拝者の車が入り始めてます。
参道はとても賑やかで、お店がシャッターを開けて商いを始めてます。
豊川稲荷の入り口に辿り着くと山門がありビックリ⁈
豊川稲荷は寺だったのかと、驚きつつ門を潜ると鳥居があったり、出店が所狭しと並んでいたりする不思議な空間、本殿でどう参拝して良いか前の人を見ていたら、拍手をせずに静かにお寺の参拝をしてました。
奥のたくさん祀られたお稲荷さんは圧巻の眺め、その道中に見た事がないくらいの幟が並んでいます。
よく見ると、奉納する人が自分で書く仕組みの様で、書いている様子と奉納に向かう様子を運良く写真に収める事が出来ました。
豊川の街は想像以上に賑やかで驚きました。姫街道を歩かないと出会えなかった街、その光景を目に焼き付け東に向かいます。
4.単調な道
昨日に引き続き再び単調な道をひたすら歩きます。
こんな時は近代文化を楽しむと退屈しません。
愛知県と静岡県の県境近くまで来ましたが、まだ昭和風喫茶店が多く残っています。
営業している喫茶店の駐車場は自動車が溢れんばかりの勢いで停まってました。
愛知県の喫茶店は隅々まで行き渡ってますね。
成人式の男女がセブンイレブンに集まってます。
中学校を卒業すると、デジタルで繋がっているZ世代とはいえ、リアルでは案外と会わなかったりしているので、顔をあわせて懐かしい話に花を咲かせているのでしょうね。
5.現役常夜灯
常夜灯の前で声を掛けてくださったお母さんから、いままで街道を歩いてきた中で、最も感動した話を聴かせていただきました。
なんと去年まで、ご近所の人たちが当番で、毎日蝋燭の火を灯していたそうです。
この時代に毎日蝋燭を灯していたなんて、本当に素敵すぎて、話を聴きながら驚いて、空いた口が塞がらないというのは、こういう事なのかと実感。
高齢者が増え、燭台に登る階段が危険なため、今は電球が灯る様になり、常夜灯は電灯という形で今も活躍しています。
遠州ご出身の私の知人曰く、
「遠州地方の常夜灯の多くは秋葉詣でのために設置されたと聞いています。
火を使う商いをする人が寝る時間を惜しんでまで秋葉山を詣でたために、その人達の夜の安全を祈願して灯したようです」
その言葉に感動が倍増しました。
長閑な街道の風景が大好きです。
街道歩きは遺構も楽しいのですが、自然の風景も同じくらいの楽しさがあり、それはきっと自動車の交通量が少なくて、より往時の旅人に近い旅の環境になるからかもしれません。
6.嵩山宿
嵩山と書いて"すせ"と読みます、読めないですよね。
街道を歩いていると、駅の近く以外では、歩いている人に殆ど会いません。
ところが嵩山宿では偶然かも知れませんが、宿場の中心地を500mくらい歩いた中で5人に会いました。これは大袈裟かも知れませんが奇跡です。
7.本坂峠
本坂峠に向かう昇り坂の途中、足元にシダ類が生い茂り、正面から木漏れ日の陽が差し、まるでこのまま歩いたら天国に行けそうな世界観でした。
本坂峠を越えると、山一面のみかん畑に圧倒されます。
全国的に有名なブランドみかんの生産地、三日日に入りました。
8.三ケ日宿
流石三ヶ日。
山一面に広がるみかん畑、玄関先の露店みかん、柑橘の選果場、みかんと共に生きる町ですね。
三ヶ日宿は平らな土地が少なく、浜名湖北側の緩やかな斜面を抜けて行きます。
途中東名高速に分断され、恨み節の様な看板には笑えました。東名高速は海側ではなく山側を通っていたのですね。
浜名湖周辺に来ると、生垣のある家は殆どがイヌマキの木。街道の風景を美しく彩ってます。
9.引佐峠
引佐峠途中に像鳴き坂と呼ばれる場所がありました。
江戸時代にベトナムから献上された像が、長崎から江戸まで移動した際のエピソード、所々で目にしますが、何度見ても面白くて、運ぶ人たちはどんな気持ちで任務に就いたかとても興味があります。
こちらが中山道武佐宿でみた像の記録。中山道から東海道経由で姫街道に来たのですね。
この付近は、平な道があるのに何故街道が山道を通るのかが不思議です。
おそらく浜名湖の深い入江があったのでしょうね。
途中、元細江町長の清水みのるさんが姫街道について説明した一文
尋ねようもない
幾歳月の流れの中で
姫街道は
今も静かに息づいている
素晴らしい言葉の使い方ですね。
10.気賀宿
三ヶ日に入ってから、道端に転がるみかんをよく目にします。
気賀宿に入り、食べかけのみかんを発見しました。人間が捨てたのか動物が食べ散らかしたのか、とても気になります。
気賀宿は関所があった影響か、賑やかな雰囲気が、ほのかに残っています。
懐かしいNTTの建物があるということは、浜名湖北側地域の中心地だったのでしょうね。
街道沿いで唯一空いていたお店で購入した鮮魚が絶品でした。
さぁ姫街道を楽しめるのは明日まで、楽しみです。
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