伊勢参宮道2 津宿→松阪宿
多くの街道を歩いてきた中で、日本一の参詣道を歩いていない事に気付き一年が過ぎ、ようやくその時がやって参りました。
日本人の庶民の旅の原点、お伊勢参りを楽しんで参ります!
2024.07.01
1.津宿
津市内国道23号の歩道と自転車道の幅は、自動車の二車線分くらいあります。
街に余裕があるって良いですね。
百五銀行 大門町出張所が本陣跡。
駅からかなり離れたこの付近が津の中心でした。
この付近は唐人町とも呼ばれています。
由来は、地元の祭りの唐人行列。
唐人行列とは、江戸時代にこの地を歩いた朝鮮通信使一行をまねた行列。商店街のシャッターに唐人の絵が描かれてました。
街道を歩いていると、松尾芭蕉の句碑をよく目にします。所縁が深い地域には立像が建ってます。
街道を歩いてきた中でお目にかかった、六体の松尾芭蕉立像を紹介します。
日光道中千住宿は、奥の細道を江戸深川から船で出立後に上陸した地。ここから歩き始めました。そちこちで芭蕉所縁の句碑や説明書を目にします。
日光道中千住宿を歩いた時の記録はこちら↓
日光例幣使道の鹿沼宿は木材の街、木彫りの芭蕉と曾良がお出迎え。
芭蕉は鹿沼宿に宿泊した翌日に、日光参詣をしています。
日光例幣使道鹿沼宿を歩いた時の記録はこちら↓
仙台出張中に一日時間が空いたので、仙台宿から松島まで、芭蕉が歩いたと思われる金華山道を歩きました。
芭蕉の真似をしようと、塩竈港の松島遊覧船ターミナルに行くと、待合室の片隅にひっそりと佇んでいました。
金華山道を歩いた時の記録はこちら↓
そして、奥の細道むすびの地が、美濃路の大垣宿。この地を選んだ理由は出立時から決めていたとか、弟子が多かったからとの説があります。
美濃路大垣宿を歩いた時の記録はこちら↓
2.岩田橋
岩田橋昭和絵図。
よく見ると、大きな時計台の様な建物が見えます。百五銀行でしょうか、立派です。
百五銀行。
○と×を組み合わせたロゴマークが特徴的。◯は百を表す符丁、×は五を表す符丁です。
現在、銀行名前に数字が入る「ナンバー銀行」は全国に8行あります。
数字の由来は、明治時代に開設された国立銀行が、設立順に番号を冠した名称であった為。第一国立銀行から第百五十三国立銀行まで153行が設立されました。
※厳密にいうと、上記ナンバー銀行8行のうち、2行は国立銀行由来の番号ではありません。
八十二銀行は、第十九銀行(長野県上田市)と六十三銀行(長野県長野市)の合併により、足し算で八十二銀行。
三十三銀行は、三重銀行(三重県四日市市)と第三銀行(三重県松坂市)の合併により、両行の頭文字を並べて三十三銀行。
奥深い世界ですね。
茅の輪くぐり。
あちこちの神社で目にします。
神宮遥拝所。
伊勢神宮が近づいている事が実感できます。伊勢神宮遥拝所と言えば、意外な所にあった事を思い出しました。
それは中山道の十三峠という、大井宿(岐阜県恵那市)から大湫宿(岐阜県瑞浪市)までの約10kmのアップダウンを繰り返す山道。
おまけ七つと言われるくらいで、二十の坂道が旅人を待ち受けます。
その道中、山の中にひっそりと遥拝所がありました。
そして33年の月日が経ち、伊勢参宮道を神宮に向けて歩みを進めています。街道は様々な点と点を、時空を超えて結んでいますね。
中山道十三峠を歩いた時の記録はこちら↓
ヤマニ造酢。
造酢という言葉を初めて知りました。
創業明治20年、地元酒蔵の酒粕を主原料に、毎日飲み続けられる飲みやすさにこだわり、造り続けているそうです。
上の画像の様な建物が増えてきました。
風情があって、ホッコリします。
3.雨宿り
1時間に5mmを超えると、まぁまぁの雨なのですが現在は30mm超。尋常な雨ではないので、こんな時は諦めてじっと我慢。
焦る必要はなく、そのレベルの雨は1時間以上続きません。
予想通り1時間で小降りになったので、歩き始めます。
ファミリーマート津結城神社前店さん、ありがとうございました。
雨上がりの街道は美しいです。
空気中の埃を全て地面に落とし、見るもの全てを鮮やかに彩ります。
後は、暑くなるので、晴れない事を祈るのみ。
交互通行式信号。
滅多にお目にかかれません。
道が狭い区間の交通量を、信号で制御する仕組み。工事現場の交互通行の常設版です。
この区間の住民向けに、今どちら向きに走って良いか判断する為の信号機が、家々の道路側に設置されてます。
上の画像、画面左右の中央付近にその信号機が見えます。
4.銅製常夜灯
この様な常夜灯は見たことがありません。
並んで建っている石碑に刻まれた、加良比乃神社と関係があるそうです。
5.高茶屋
高茶屋神社。
参道に紙垂が付いた恵比寿様が待ち構えてます。
クセが強そうな神社です。
参道の階段を昇り終えると、社務所の中から、
「お疲れ様でした!」
と元気な声が飛んできます。
先程、市杵島姫神社で覚えた茅の輪くぐりの回る順番を思い出しながら、しどろもどろで参拝していると、
「左にもう一回転!」
と再び元気な声が飛んできました。
嬉しくなってきますね。
拝殿の賽銭箱にも紙垂恵比寿様が…
地域に愛されている雰囲気の素敵な神社でした。
水田のあちこちに、野いちごの様な、赤い不気味な粒々の固まりが見えます。
これはジャンボタニシの卵。タニシではなく、正式名称はスクミリンゴガイ。3cm位に成長した姿も不気味です。
6.雲出宿
立派な常夜灯が、当たり前の様にあちこちに建ってます。
建てたのは江戸や上方の裕福な商人。常夜灯本体・設置する土地・火を灯す油にかかる費用を全て出していたそうです。
松浦武四郎、北海道の名付け親の様です。
金剛寺の山門と生垣が、イヌマキで出来ています。この形になるまで、相当の年数がかかったのでしょうね。
7.月本追分
月本追分。
圧倒的な存在感の常夜灯と道標。
今まで見た中で一番のインパクト、暫く見惚れてました。
この付近では、判断に迷う分かれ道が三回程続いたのですが、各ポイントに必ず道標がありました。
左さんぐうみち、この通りに歩みを進めます。
何世紀にも渡り現役で活躍し続けている小さな道標に、大きな感動を頂きました。
道標といえば、東海道で新旧道標が仲睦まじく並んでいる、微笑ましい光景を目にしました。
普通は道路標識は認視性を高めるために高い位置に設置しますが、立地的に困難だったのか人間の目線の高さにあり、たまたまそこに昔から立ち続けていた道標と並んだのでしょう。いい風景でした。
東海道を歩いた時の記録はこちら↓
8.六軒茶屋
先程渡った三渡川、元々は泪川でしたが、伊勢参宮道の渡しが潮の満ち引きで、三箇所設けられた事が現在の名の由来の様です。
三階建ての蔵。
街道を歩くと多くの蔵を目にしますが、殆どが二階建。おそらく1,000以上の蔵を見続けてきた中で、記憶に残る三階建ての蔵を紹介します。
陸前浜街道原町宿で目にした上方風三階蔵。
かなり目立ってました。
説明書きを読むと、江戸以前は三階建ての蔵があったそうですが、幕府が三階建ての蔵を禁じた影響で、幕府の目が届かない地域に残っていたそうです。
上記の蔵は再現されたと書かれてます。
陸前浜街道、原町宿を歩いた時の記録はこちら↓
六軒茶屋の町並みは、往時の雰囲気がよく残っており歩き応え十分でした。
9.青銅窓の蔵
南北朝時代から続く名家、舟木家の長屋門。
なまこ壁は17世紀に作られたもので、街道から脇道に入った奥にありますが、圧倒的な存在感でした。
10.松坂宿
松阪宿に入りました。
道路面が黄土色に舗装されています。往時の街道をイメージしているのでしょう。
本日は見所が多かったので、午後の部は次に投稿します。