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中山道23 太田宿→鵜沼宿

▽1991年3月
23歳 30年勤めた会社の入社前に、東海道を歩きました。
▽2021年3月
53歳 30年勤めた会社の退職後に、中山道を歩き始めました。

京都まで一気に歩く、"気力"、"体力"、"時の運"、が無いので、行けるとこまで歩く事を繰り返します。

2021.08.06


1.毎朝横切る中山道

只今の時刻は午前04:30、
朝陽を浴びる茜色?の雲が綺麗です。
茜色は陽が沈む西の空の色ですが、
朝焼けの色はいい表現が見つからず。

青春18きっぷの販売期間で、
時間に余裕があるので、
本来歩く予定の前日に各駅停車で移動。
ウォーミングアップ程度に一宿間を歩く、そんなルーティンを先々週から開始。

これがなかなか良くて、
酷暑の中早朝から歩けるので、
肉体的にとても助かります。
徐々に気温が上がってくるので、
茹でガエルの如く気温上昇に
身体が上手く対応してくれます。

写真は最寄駅に着く手前の交差点。
左右に走る県道164号が旧中山道。

オリパラバスケ会場が近いので、
左下には交通規制の立看板が見えます。

毎朝電車の時間しか意識せずに渡る、
この交差点、
今朝は中山道を意識して渡ります。
本日は右の遥か彼方の美濃國太田宿から
歩き始めます。

当たり前の日常に中山道がある幸せ、
ありがたやありがたや。


各駅停車の旅が始まります。
先々週は中央本線経由、
本日は東海道線経由、
品川駅乗り換えで小田原行きに乗車。


画像中央の樹が生えてる辺りが、
旧東海道品川宿に向かう道。
30年前に歩いた若き日を想い出します。


2.中山道には無き難関

富士川に大井川、本当〜〜〜に広いです。
写真にはありませんがこの後に天竜川、
諏訪湖の水が大河に成長します。

東海道の行手を阻んだ大河のお陰で、
参勤の江戸入りの遅延少ない中山道が、
発展したと言っても過言では無いと
思います。


各駅停車・快速を乗り継ぐ事8時間、
出発地の太田宿がある美濃加茂駅に、
ようやく辿り着きました。
先々週太田宿に到着後再開した、
美濃加茂市に出向中の元同僚が、
奇遇にも同じ電車に乗っていたので、
一緒にランチに行く事に。


ソースカツ丼、美味しくいただきました。
元同僚は職場に、私は灼熱の街道に、
いざ出陣じゃ〜〜〜〜!


3.太田宿

前回立ち寄れなかった脇本陣の隠居屋、
スタッフさんと雨の話をしていたところ、
昔に上流の堤防で放流量を間違えて、
洪水があった話題になり、
その際に要塞の様な堤防を作った様です。


こちらが前回紹介した要塞風堤防、
なかなかの威圧感です。


対岸の可児市の堤防はこんな感じ。
素人目には大丈夫なのかと思いますが、
戦国時代じゃ無いので大丈夫でしょう。


中山道会館の蓮が開花してます。
独特の蓮の育て方ですね。


本陣門の瓦に一対の亀が!
"鯱鉾"風に"亀鉾"と呼ぶのでしょうか。
ガメラみたいて、今にも飛び出しそう。

ガメラは飛ぶ時に手足を引っ込めて、
クルクル回転しながら飛んでいきます!


美濃加茂市のポストは美しく濃い赤。
何故でしょうか、不明です。
塗ったばかりだけかも…。

日本でポストが置かれたのが1872年、
"郵便箱"とよばれる黒い箱でした。
当時公衆便所が"垂便箱"と呼ばれており、
間違えて用を足してしまう人がいた為か、
区別しやすくする為にイギリスを見習い、1901年に赤く染めたそうです。


枡形をいくつか曲がり町中を抜けます。


木製の船と、"承久の乱"古戦場跡、
歴史に疎く、読んでも意味がわからず。
この後関ヶ原宿を通るのに、
もっと勉強しないと…


4.最後の木曽川

太田橋が小さくなっていきます、
そしてのどかな風景が戻ってきました。
心身共に落ち着きます。


"夏休みのあさごはん"を販売してます。
なんで朝ごはん販売か不思議でしたが、
この後の道中で気がつきました。
朝食を喫茶店で食べる、
"モーニング文化"先進中京エリアを
歩いていたのでした。


坂祝町に入ります。
栗が大きく実ってきました。


ん、コメダ珈琲店ではないぞ⁈
こちらでも朝ごはんあります、
とノボリに書いてあります。


"坂祝町酒倉"めでたく感じる地名。


路上に"アリコロリ"が⁈
ず〜っと並べてあります。

沖縄に住んでいたとき三階の部屋に
アリの行軍が侵入しゴールは砂糖ケース。
その察知力と行動力に感心しつつ、
侵入経路を特定し"アリコロリ"を設置。
一発で退陣、アリさんに合掌。

おそらく隣接する工場が、
蟻の大量発生に困っていたと思われます。


5.江戸から九十九里

取組の一里塚跡、あっけない…
江戸から九十九番目です!


焼肉一億、気になります。


木曽川の土手沿いを歩きます。
あと少しでお別れと思うと淋しい…


行幸巌、昭和2年昭和天皇陛下
と記されてます、来られたんですね!


きっとこの山が御幸巌。


河原で遊ぶ子どもたち。
木曽川は自然と友情を教えてくれる
大切なフィールドであり先生です!


日本ラインロマンチック街道。
坂祝町の木曽川沿いの4km区間。



参考までに、
日本ロマンチック街道。
長野駅上田市から栃木県日光市を結ぶ、
全長約320km区間。

紛らわし過ぎて面白過ぎ。


これからはトンボの季節ですね。


木曽川と山が共存する眺め、
目に焼き付けておきます。


水神の石碑と、
刀鍛冶で有名な関に向かう道。


6.岩窟・岩谷観音

交通量の激しい県道からそれて、
街道は岩谷観音に向かいます。


高山本線の真横を通り、
木曽川を眺めて岩谷観音に到着。
後から気付きましたが、
この一枚が中山道から眺めた、
最後の木曽川の風景となります。


岩窟の中はこんな感じです。


再び県道に戻ると廃墟と化した食事処が
並んでますが、なんと1件が営業中!


美味しそうですね!


7.うとう峠

各務原市に入りました。
これから、うとう峠に入ります。
以前の中山道は鵜沼宿は通らず、
木曽川の対岸の可児市から犬山市を、
経由していたものの危険な為、
うとう峠開通と共に今のルートに
変わりました。


この階段を降りて、
県道と高山本線を潜り峠に入ります。
時刻は16:00、iPhoneの性能が良過ぎて
画像では明るいですが、
階段を降りるのを躊躇う薄暗さでした。


画像よりもっと薄暗い中トンネル内を、
蛭を恐れながら抜けます。


こちらがトンネル出口、
雨降ったら通行止。


坂を昇ると、おどろおどろしい看板が。


おどろおどろしい、まむし注意の看板。


ようやくいつもの看板の登場で一安心。


峠付近に水防ダムがあり、
お楽しみの生き物探しに行くと、
子供の手のひらサイズの超巨大な
オタマジャクシがのびのびと泳いでます。

騒音公害レベルでカエルの合唱が轟く、
茨城県の田舎育ちの私でも、
このサイズは見たことありません。
大きなカエルになるのでしょうね。


石畳を抜けるとうとう峠一里塚が。


うとう坂の名の由来が諸説記してあり、
"鵜沼の東"かと思ってたら、
"疎い"などの意味もあり、
どちらの看板が正しいかわかりません。
"諸説あり"とは実に便利な言葉です。


お地蔵様、みんなおべべ着てます。


8.鵜沼宿

鵜沼宿の町並みが見えてきました。
坂の上から眺める宿場町の景色は、
何度見ても良いものです。


犬山城が見えてきました。
テンション上がります!
よし、上まで行くぞ!


東の見附跡。見附とは宿場町の、
入口の境界を意味します。


さて、ここで中山道から離れて、
木曽川を渡り犬山城を目指します。
30分以上歩くのは勿体ないけど、
日本最古の国宝天守閣、前進あるのみ。


9.犬山橋

この橋有名な橋で昔は鉄道と道路が、
併用された橋でした。
よく鉄道の本に出てた気がします。
中学生の頃旅行が好きで犬山城を、
見にきた時はまだ併用されてました。


結構頻繁に電車が通過します、
よく自動車と併用してたと感心します。、なんとも言えない、味がありますね!


鵜沼の対岸で鵜飼やってるんですね。


10.犬山城

今夜宿泊する川美屋さんを通過して
城を目指します。


が、なんと閉園、天守の近くにも入れず。


城の麓の三光稲荷神社では、
縁結びを売りにしており、
着物女子が撮影してました。


黄昏の犬山城。
山城のシルエットは
いつ何時どこから見ても絵になります。


今夜お世話になるお宿、川美屋さん。
目の前が木曽川なので選びました。


美味しく食べて、
オリンピックみて寝ます。

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