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中山道22 細久手宿→太田宿

▽1991年3月
23歳 30年勤めた会社の入社前に、東海道を歩きました。
▽2021年3月
53歳 30年勤めた会社の退職後に、中山道を歩き始めました。

京都まで一気に歩く、"気力"、"体力"、"時の運"、が無いので、行けるとこまで歩く事を繰り返します。

2021.07.25

1.大黒屋の朝

朝6時目覚ましが鳴る5分前に起床。
本当は、朝食のお結びを握って頂き、
5時頃に出たかったのですが、
昨日の会話の中でご主人が、
宿での朝食をお勧めしている様な気を、
強く感じたのでそうしました。


大正解!大満足!大黒屋!


部屋に別れを告げ、


宿を後にします。


朝の静かな町並み。


2.サーキットの狼

走り屋風の車が"法定速度"を守って、
何台も通り過ぎて行きます。
大黒屋さんのご主人も、
今朝はずいぶん車が多いですねと、
話をしてました。


おぉぉぉ〜
すげぇ〜

これはサーキット場ですね。
そういえば昨日歩いていた時ずう〜っと
大音量のドリフト音が聞こえてました。


昨日撮影したサーキット場の看板です。


中心部らしき建物群がないまま、
宿場町が終わってしまいました。
鉄道路線から外れているのに、
建物が残って無いのは珍しいです。


3.石窟街道

十三峠近くは石窟観音が多いですね。
神様を大切にする姿勢を感じます。


背が低い道路標識。


くじ場跡。
人足が荷を運ぶ際にくじを引いた場所。荷物の重さの当たりはずれがあり、
こうなったのでしょうね。


向日葵、先々週は見なかった。
季節の変化は自然は裏切ることなく
今も昔も教えてくれます。


馬水池。
陸軍大将"福島正安"さんが通った際に、
馬に水をあげた場所。
本人ではなく馬に水をあげただけで、
名勝になるって凄い人ですね。


里山田園風景。
この緑色はこの時期ならではの景色。
景色に、"色"という文字が入る理由、
納得できます。


こちらの石碑は文字の羅列。
沿道の案内が淡々と書かれてる様です。
昔の案内看板は地図は使わず文で表現、
文だけで表現できる能力が欲しい。
いやいや、
欲しいではなく努力して身につけないと!


こちらには三連の立派な石窟群。
圧倒的な存在感です。


三尊石窟。
約250年前の馬頭観音もいます!


涼しげな緑のトンネルを歩きます。


4.ハイレベルな一里塚

またもや登場、ほぼ原形の一里塚。


これ以上立派な保存状態の一里塚は
この先の中山道にあるのだろうか?


御嵩町に入ります。
急に竹の木が混じってきて、
道路も急に狭くなってきました。
自治体が変わり山道がここまで
変化するのは珍しいです。


石窟も徐々に見慣れてきました。
贅沢な慣れですね。
竹に覆われたた薄暗い坂を越えて、
小さな集落に出ます。


時刻は08:30を過ぎました。
気温がぐんぐん上がってきて、
田んぼの緑が輝きを増してきます。


公民館の前にこんな看板が、
初めて見る緯度経度海抜人口表示。
46人で集落を維持するって、
相当の努力が無いと出来ないと思います。

沖縄に住んでいたときに、
西表島から船で行く人口約50人の鳩間島
に泊まりに行った事を思い出しました。

"限界集落"という現実を目の当たりにし、
私は何が出来るのだろうか…。
先ずは人に伝えることから始めてみよう。


5.コビトハウス

集落の風景、


景色の中に不思議な白い建物が、
コビトハウスか?


こちらは三連コビトハウス!!!


竹と杉が共存する坂道を越えると、


コビトハウスが茂みに埋もれてます。


そして遂にコビトハウス秘密基地を発見!


コビトハウスがあちこちにあります。


犬用コビトハウスまで!


そして遂に横たわるコビトハウスに
接近する事に成功。
底辺側からの内観。


頂点側からの外観。


頂点側開口部からの借景。
潜水艦みたいです。


6.竹の森

一体何だったんだろうか…
モヤモヤしながら西に向かいます。


馬の水飲み場。
この近くは坂道がありながら、
水の沸く場所か多いからか、
同様の史跡がいくつもあります。

今読んでいる浅田次郎さんの"一郎"、
参勤の差配薬であるお供頭が、
美濃路から中山道を江戸に向かう物語。
参勤に同行している馬二頭の会話が、
馬目線で時々出てきてホッコリします。

馬頭観音が随所にあるのも、
街道において馬が大切な存在だったから
でしょうね。


東邦ガスの森の案内看板。
十三峠を過ぎてから企業などが森を守る
看板がこれで2枚目です。
昨日は道路を清掃する看板も2枚、
見かけました。


昨日見かけた、企業などが行っている、道路清掃活動の説明看板。
素晴らしい取り組みです。


突然お洒落な建物があらわれます。
うまく撮影できてませんが、
上の画像の階段の上に店舗を構える、
洋菓子店"ラ・プロヴァンス"。


お店には入ってませんが、
この後立寄った茶屋のオーナーさんが、
地元では人気の店だと言ってました。
ホームページをみても美味しそう。


栗がもう落ちてる、猿が投げたのか?


水がこんこんと湧いてます、
こちらは人間用で使用されてました。


鬱蒼とした森とは、
こんな時に使うんだと例に使えそうな、
朝なのに暗い竹の森を越えると、
集落が現れます。


一軒の家にこんな看板が。
竹が急に増えた理由が判明、
竹炭の産地だったのですね、きっと。


皇女和宮様がお気に召された清水。
屋根で囲い丁寧に守られてます。
石窟といい雨風から観音様を、
大切にする地域性が随所に見られます。


7.令和の茶屋

"いろは茶屋"の看板が。
峠道を歩いていると茶屋跡はあるが、
現役の茶屋がある事は稀で、
いま迄日本橋から歩いてきて、
峠道で営業していた茶屋は、
碓氷峠熊野神社近くの力餅の店、
くらいしか思い出せません。
期待を胸に坂を昇ります。


何故か紅葉してます。
私みたいに慌てん坊なのか、
こういう種類なのか、
どちらでしょうか…


拾って本の栞にしようと考えてたら、
美しさに見惚れて拾うの忘れました。


紅葉の後には頑張って咲いている
一輪の紫陽花が、
こちらはのんびり屋さんかな…


一里塚の説明文読んだら、
十里ごとに"松"、他は"榎"が、
植えられたそうです、今頃知りました。

道中どこかの案内看板で読んだのですが
三代将軍家光が街道は松の木ばかりで、
退屈だろうから一里塚を作って、
"余の木"を植えよと指示をしたが、
聴きまちがえた担当が"榎"を植えたという
エピソードがあったそうです。

調べたらこちらのブログに、
わかりやすく書かれてます。


読むと、面白い事が書いてあります。
街道の松並木は陽よけだったのですね。
確かに暑い日に街道歩いていると、
晴れより雨が有り難くなってきます。


茶屋跡の看板読んでいたら、
目の前の奥様から摘んでいた
ブルーベリーのお裾分け。
道中て初めて差し入れを頂きました。
嬉しかった!

ちなみに30年前に東海道歩いた時は、
一万円札を頂いた覚えがあり、
日光街道歩いた時は拝まれました。
きっと若い方が待遇良いのでしょうね…


ブルーベリーを食べながら振り向くと、
そこには令和の茶屋がありました。
接待所もあります。


昨年の秋冬にオープンしたと、
おっしゃってました。


オーナーは隣町の方で、
第二の人生をゆるりと楽しんでます!


冬はここでお茶を飲みたいですね。
本日は茶屋でホットコーヒーを飲んで、
身体を更に休めました。


茶屋を過ぎると下り坂、
石窟がこちらにもあります。


謡坂石畳、
昔は坂がきつかったので歌いながら
坂を昇ったことからこの名前に。
静岡の茶摘み唄や草津の湯揉み唄、
日曜昼にはのど自慢、
年末には紅白歌合戦、
唄が好きな国民です。


8.街道にマリア様

キリシタン信仰の遺物がこの地で発掘、
先人の想いを継ぎマリア像が建立。


鐘を鳴らして感謝と祈りを。


こちらのご婦人が第一発見者、
いつもここに座っている感じでした。


場所は街道から5分くらいの田んぼの傍。
弾圧を受けた時代に街道の近くで、
ご苦労が多かったのでしょうね。


再び石畳を歩きます。


9.桃太郎になれなくて

突然目の前を大きな獣が横切ります。
カモシカですね。
猿・鹿・雉・犬・猫、残るは熊か…

よく考えると団子持ってたら
私、桃太郎になれてました。
桃太郎は街道沿いによくいる動物から
家来を選んでいたのでしょう。


耳神社。
耳の病にご利益がある神社、
何故かその謂れが書いてありません、
きっと謎なのでしょう。


なかなか複雑な参拝方法です。


吹きガラス工房。


牛の鼻欠け坂、最後の急な坂で、
この後の中山道は平地が続きます。


大好きな山道とここでお別れ。


チャリダーが向こうからやってきます。
さっきの坂を昇るのですね。
挨拶したらテンションMAXでした!


クロネコヤマトのトラックが走ってる、
CMに使えそうです。


天気が良いので街道では
洗濯物も良く似合います。


竹の扉、珍しいですね。


この建物の外壁、判りづらいのですが、
1階が薄茶、2階が黒になってます。
この付近から暫く黒い外壁の建物が、
急激に増えてきます。


中山道沿いの建物の意匠の変化、
一里一里刻々と変化して行くので、
飽きることがありません。


蓮の花が鉢植えで咲いてます。
こんなアップで花弁みたの初めて。
蓮の花は本当に美しいですね。

10.御嵩宿

寺のお堂の前に象が…。


宿場町中心地は住宅地と商店街が
混在しています。


みたけ華ずし、その名の通り華やか!
体験プランが楽しそう。



商家"竹屋"跡。
竹がよく取れたからでしょうか。


御嵩宿新旧案内看板。


御嵩宿の中心部もこの辺りまで。


こちらは御嵩駅。
細久手宿・大黒屋さんのご主人から
聞いた気の毒だけど笑っちゃった話。

外国人向けの"御嵩駅"に集合するツアー、
歩いて夕方に大黒屋さんに着くコース。
集合時間に来ない参加者からガイドに、
「集合場所に誰もいない」
と連絡が、よくよく聞くと、
東京都奥多摩の"御嶽駅"いたそうです。
その後電車で大黒屋さんに向かったら、
ツアーより早く着いたそうです。

コロナが収束して、そんな笑い話が、
もっと聞ける様になって欲しいものです。


この日の最高気温は35℃、
只今の時刻は11:30過ぎ。
灼熱のアスファルトの道を歩きます。
お腹が空いてきました。


アスファルトの道と常夜灯、納涼感0、
峠道の緑が懐かしく感じます。


向日葵は華やかすぎて、
暑さ感を増長させるんですね。
今になって気付きました。


可児川。
川面が鏡の如く夏空を写します。


一つ目信号。


名鉄電車、短い編成の赤い電車って、
絵になりますね。


比衣一里塚跡。
江戸日本橋より九十六里目、
あと少しで百里かぁ…


おおっ
五平餅の幟が!
食べ損ねてたので嬉しい!


110円、カリっとモチっと、
美味しかったです!


百日草、綺麗なんだけど、見た目熱い。


突然あらわれた田んぼが涼めてくれます。


11.伏見宿

伏見宿、建物があまり残ってません。


街道沿いの唯一の飲食店が、
古民家カフェでした。


豚肉と豆腐の炒め物、
デザートは一口サイズの"ういろう"、
一口サイズなら土産に買いやすいですね!


町並みはずっとこんな感じです。


御嵩宿・伏見宿は常夜灯を
大切にしてます。


可児才蔵、明智光秀に仕えて、
関ヶ原の戦いで活躍をした武将。


伏見宿を後にして、太田宿に向かいます。
久々の木曽川との再会が楽しみ!


ここにも一つ目信号。
可児市に入りました。
可児才蔵さんの名前の由来でしょうか。


この地形はきっと木曽川の河岸段丘、
この丘の向こうに木曽川が流れてます。
どのくらい大きくなっているか楽しみ。


"廃車王"、なんとも微妙な看板…。
"破壊王"橋本真也はお隣の土岐市出身、
関係あるのかも知れません。
※私昭和のプロレス大好きです!


"今渡の渡し"の表記、いざ木曽川!


太多線踏切、太田と多治見を走ります。


久々の人形屋さん、街道らしいですね。


coffeeミロ、いい店のオーラ出てる!


昭和感出過ぎてます。


向日葵にみまもられながら、
灼熱の一般道を歩き続けます。


かわいい。


浅間神社。
岐阜県は御嶽山信仰が強いので、
富士山信仰の浅間神社があるのが、
不思議なので調べてみました。

国内で浅間神社がある西限は、
広島県内に一社ある以外は、
岐阜・愛知県であることが判明。
街道を歩くと知識が増えます。


12.木曽川との再会

このカーブを曲がると木曽川です!
少し直進して右折したあたりに、
今渡の渡し場の跡があるそうですが、
暑くて行く気力0。

最後に木曽川の流れを目にしたのは、
7/10三留野宿の付近が最後。
2週間ぶりなのに再開とは大袈裟ですが、
鳥居峠過ぎてからのお付き合いで、
川のせせらぎを聴きながら、
共に歩いてきたからかも知れません。


宮ノ腰宿手前の木曽川、21.06.26。


三留野宿手前の木曽川、21.07.10。


さぁ太田橋が見えてきました。
立派な橋です!
芸術作品みたいです!
三留野宿の桃介橋とは違った趣。


うわぁ、川面が見えてきた!


広い!
こんなに立派になっちゃって!
いつの間にか成長した甥っ子姪っ子を
みている様です。


SAPやラフティングをやっている人々が
たくさん見うけられ、その奥は今渡ダム。
更に上流には木曽川と飛騨川の合流地点
があります。
分水嶺を過ぎてみていた小さな川が、
母の様な川に成長しているようです。


美濃加茂市に入りました。
太田宿のある自治体です。


こちら木曽川の美濃加茂市側の堤防。
まるで要塞みたいですね。


眼下から対岸迄が今渡の渡しの航路跡。
こんなに長い渡しが中山道にあったなんて
大河を避けたルートなのに驚きです。


太田橋、力強く美しいフォルム。


太田橋と同じ色の欄干の堤防を
川のせせらぎを聴きながら暫く歩きます。


寂しい一里塚跡。


本流の横で流れに身を任せる若者たち、
さっき太田橋からみたSAP軍団。
川の流れがかなり速くて驚きます。


13.太田宿

堤防を降りて町並みに合流。


目安箱、開けて読むの怖そう…


飛騨街道追分跡、太田宿は交通の要。


写真上から。
黒い建物→ギャラリー
茶色い建物→本屋さんと花屋さん
石の建物→喫茶店

かなりいい感じです。


旧輪島屋骨董店。
案内説明が無理矢理で笑えます。


枡形と町並み。


旧中山道沿の居酒屋さんは貴重な存在。



あっ、ここにも蓮の鉢植えがある。
この地域の特徴かも。


吉川家旧宅、一般公開されてます。


御代桜酒造。


こんな立派な"うだつ"、見たことない!
脇本陣でこんなに立派ということは、
本陣はもっとすごかったのでしょうね。


ちなみにこちらが本陣跡。


中山道会館を見学して、街道歩きは終了。


駅に向かう途中驚きの光景が!
人気の宝くじ売場らしく、
警備員さんが付いてました。


夜はこちらのお店で。
前職の仲間が偶然にも今月から、
美濃加茂市に観光戦略推進役に!
再開して未来について語りました。

ボーノポークのトンカツが絶品。
山葵と塩で美味しくいただきました!
これは癖になります。


暑かったなぁ身体がホカホカしてる、
さて、新幹線で読書しながら帰ります。

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