愛情はどこからくるか
今、仕事で必要なヤゴを飼育しています。
ヤゴというのは正式に言えばトンボの幼虫です。
今までチョウの幼虫は毎年飼育していました。ヤゴは今年初めて飼育します。
彼ら?は草食なので葉を与えて放置しておけば勝手に食べてくれるのですが、ヤゴはそうはいきません。
肉食なので肉(ヤゴの場合、赤虫という蚊の幼虫)をこちらから与える必要があります。
しかも、ただ与えても食べてくれず、目の前で動かしてやることでやっと餌として認識してくれます。
…大変!
まずは餌の赤虫が購入できるところから探さないといけない。
最初は生の赤虫を与えていたのですが、途中から店頭から無くなってしまって、冷凍赤虫を与えることになりました。
冷凍されてキューブのようになった赤虫のかたまりを小さい容器に入れて解凍、ほぐしたものをピンセットでつまんで与えます。
それがかわいい。
食べる気がないヤゴは目の前にあっても無視、または逃げていきます。
食べる気があるヤゴは赤虫が水面に近づくと顔をこちらに向けます。
そして、ピンセットにつままれて、水中を動く赤虫をジーッと見つめて、餌と認識すると飛びついてきます。
顎を伸ばして噛みついてくることもあるのですが、大体飛びついてきます。
時々噛みつくのをミスったり、ピンセットに噛みついてくるヤゴもいます。
それがかわいい。
お嫁ちゃんはヤゴがこちらを向くと「こっちを見た!」と喜ぶのですが、見ているわけがありません。認識しているわけがない。影などの動きに対して、反応しているに過ぎません。
それでも反応してくれるとうれしい。手(ピンセット)から餌を食べてくれるとうれしい。
この反応がもらえてうれしいという感情はどこからくるのか。
「食べて欲しい」という気持ちと「食べてくれた」という反応が組み合わさるとそういうことになるのでしょうか。
そういう意味では、私たちが感じる愛情というのは半分くらいは自分勝手な期待に寄るものなのかもしれません。
いただいたサポートは明日の食費に使わせていただきます。だが、お前のために食事は作らない。