江戸幕府と国防

著者は長崎県立大学の松尾晋一教授。タイトルに国防とあるが中心は長崎県の出島である。こういう研究がされるってことは地域研究って大事なんだなって思わされる。

内容は徳川家光の鎖国政策の完成からペリー来航までの幕府の外国船対応を
長崎を中心にまとめたもの。教科書だとポルトガル船追放による鎖国体制の
完成からペリー来航まで飛んで行ってしまうが、その間も実はいろいろあり、よく幕末ものの小説やドラマに見られるようにペリーが突然やってきて脅されて開国したというものは、実際は違うんですよというもの。自分も当然そのイメージでいたので抜けていた期間に何があったのか非常に驚いた。

第一に幕府の情報網はかなり正確であったということである。
鎖国といってもオランダとは交易関係があったのでオランダ経由でヨーロッパのこともわかっていたし、ペリー来航なんて一年以上前から知っていたのである。第二にわかってうえでちゃんと対応しているということ。けっしてなにもできずおろおりしていただけではない。例えばロシア船などにより
北海道などで日本人が被害にあったりしたら、その情報をもとに全国に対して不審船の情報提供や防衛体制の構築を指示している。また最終的に外国船を武力で追っ払うことができないとなると薩長のようにいきなり戦争せず、現実的な方向(開国)へ転換している。決してペリー来航から開国したのではなく、アヘン戦争などの西洋の武力も踏まえたの決定であったのである。むしろ今よりも情報を収集、分析し政策へ反映させるというプロセスが生きているように思った。
3つ目は国際感覚があるということだ。外国船を日本側の都合で武力で追い払うと当然外交問題になるが、これを「海賊」として両国の法秩序の外の存在として整理しており、それでロシア側とは外交問題化を回避している。自国の守りたいもの(鎖国)を守りつつ、それを単に相手に向かって主張するだけでなく相手も納得できるような屁理屈をこねることができていることに驚いた。
そして最後は、鎖国体制が決して頑迷な合理性の欠けた政策ではなく、今の徳川政権の権威を守るという判断においては合理的であったということである。政権としてはその維持が当然であるので政治的行為としては必ずしも不合理とは非難できない。政権に権力の維持よりも政策を優先させることは期待するほうが無理というものである。これを維持しえないばかりに結局幕府が倒れたという歴史的事実をみると当時の判断は政治的にみていかに妥当であったのか驚かされる。

分量はそれほど多くなく、ただ歴史的事実を並べている部分が多いので読んでいて退屈することが多いが、江戸幕府への認識が大きく変わるような一冊である。司馬遼太郎とか好きな方にも読んでいただきたい一冊。

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