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モルガン家

「旧モルガン商会が権力を持っていたのは、各国の大蔵省、企業、資本市場が未成熟だったことによるものだった。」
「われわれがいま生きているのは、旧モルガン商会の時代よりもはるかに規模が大きく、はるかにスピードが速く、はるかに個性のなくなった時代なのである。」
「これからも、はるかに多くの金融取引が行われ、はるかに大きな財を成す人々が出てくるだろうが、モルガン商会のような金融王国は二度と現れないだろう。」  
                      全て最終章の最終段落より


著者はアメリカ人で2011年には伝記、自伝部門でピューリツァー賞をとっている著名な作家、ジャーナリストである。本書は1990年に「The House of Morgan」として出版されたものの邦訳で1993年に出版された。

内容はアメリカの金融業で財閥を形成したモルガン商会の成立から現在(1990年)までの歴史を記述したノンフィクションである。タイトルがモルガン家となっているがモルガン家を中心にした19世紀後半から現在までの金融史なので血縁上のモルガン家の個人的なゴシップはあまりない。元の本と翻訳がいいのですいすい読めてしまう。金融や世界史に興味のある方はぜひ読んでもらいたい一冊である。金融の知識はほとんど必要ない。もしちょっとわからなかったらスマホで確認する程度で十分である。

 冒頭に本書の末部分をそのまま記載したが、これはモルガン家の栄枯盛衰の物語とは異なる。「モルガン・スタンレーは、疑いもなく成功企業であり、また恐るべきやり手でもあった。」(下巻36章 ¶2)とあるように現在のJPモルガン、モルガン・スタンレーともアメリカの一流金融機関である。モルガン商会は常に時代に合わせて変化をしつづけ、そのために苦労と努力を重ねた結果、今日に至っても一流企業として存在している。
 ではなぜ金融王国が二度と現れないのか。それは単純にもうそういう時代ではないからである。金融王といわれたジョン・ピアポント・モルガンの時代は、中央銀行もなければ有価証券に対するルールもなく、そもそも株やら債権なんて部外者には関係がない、それゆえ今と比べれば非常にこじんまりとした時代なのである。そういう時代では有力な個人が王のごとく権力をふるう、恐慌が起こってもモルガン商会とその他有力個人銀行、金融機関の程度の資本力で市場を救済する、ことができたのである。それが徐々に工業が発達してくるとこじんまりとした商会だけでは必要な資金を用意できなくなり、それを調達するために他行を合併したり、株式を公開したりして資金を集めるようになる。大規模化し株式が大衆にも開かれると当然個人の権能は小さくなっていき、恐慌などへの対応が民間金融機関から政府へと移っていく。資金の供給側が変化していく一方で資金を必要とする企業側も自分たちが稼いだ金でやっていけるようになるので金融機関にあまり頼らなくなる。
(ロックフェラー財閥はでかすぎでむしろ預金していたシティバンクがスタンダードオイルの傘下にあるような例外もあるが)こうして金融機関がただのいち民間営利企業になっていく一方で、営利の基となる企業への貸し出しや証券の引き受けは徐々に減っていき、現在の投資銀行のように企業を売買する会社へと変貌していった。
 著者は表立って指摘していないが今日のM&Aが活発な世界について、懐疑的な意見を持っているようである。健全だった会社が買収防衛のために多額の借り入れをした結果、労働者のリストラなどをしないといけない状況に追い込まれたり、買収した側もその資金を借り入れで賄うためその債務負担によって買収前よりも業績が悪くなったりするケースが多々あるからである。
本来なら労働者への給与や設備投資、研究開発に使われる資金が必要のない借り入れの利払いと投資銀行への手数料へ消えていっているのではないかとしている。企業が企業を共食いしている様子はマルクスの資本論にあるように大資本が小資本を呑み込んでいく資本主義の発達過程の一態様そのものであるように感じられた。
 また、そのような現代金融の有様を見て著者は金融王が権勢をふるう時代について懐かしんでいるように感じた。マホガニー材の机に座って、山高帽とステッキを身に着け、財務諸表なんかあてにしないで人物を見て貸す、もちろんそういう時代が今よりも格差も大きく、仕事に就けるのはキリスト教徒の白人男性だけの差別的な世界であり、そもそも著者は戦後生まれでそういう時代を生きてはいないので、ある意味虚構の郷愁である。それが巻末のコメントにつながっているのではと思った。

 また最後に本書はロスチャイルド陰謀論に興味ある人にも手に取ってもらえればと思う。モルガン商会が権勢をふるっていたころ、モルガン家はイギリスの手先としてアメリカ経済を支配していると非難されており、今に通じる陰謀論の原型がこんなところにあったのかとちょっと驚くと思う。フィクション作品でしかも上下1000ページを超えるのでなかなか骨が折れるが、きっと山奥にある川の源流を見つけた気持ちになるのではないかと思う。



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