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火星探査

お題

火星
社会貢献
カルパッチョ

私はかつて、下層に生きる者でした。
私の生きる国で、ひょっとすると世界の中でも相当に低い位置を這いずり回っていると思います。
いえ、這いずり回るという表現すら当てはまらぬほど、何もしていませんでした。
経済的には恵まれていました。とは言っても、公務員である父の扶養を受けているだけでした。
「お前はいつまで家にこもりきりなんだ。高い学費を払って大学まで行かせたのに。」
父は理性的な人間でしたから、直接私にその言葉をぶつけたことはありません。しかし、銀縁眼鏡の奥から覗く目はほとんどいつも私にそう語りかけてくるのでした。
私も良い大学に通わせてもらったと自覚しています。しかしそれが、自尊心を過剰に高める要因となったのかもしれません。
周りは自分よりも馬鹿だと思いたいがために、自分が何も知らないまま飛び込む社会が怖くて仕方なかったのです。
一丁前に父が読み終わった新聞を毎日読み込み、夕食どきに私一流の政治哲学を披瀝しては、父親を呆れさせていました。

ある日新聞の一隅に書かれた広告に、私は目を留めました。
「火星探査 応募者求ム」
果たして火星探査に民間人が応募できるものなのでしょうか。私の知らぬ間に世間の常識というものは大きく変わっていたのでしょうか。
広告によれば、火星にはまだまだ未知の部分が多いと言います。
人類の謎を解き明かすこと、これは誰にでもできることではないと思いました。
これは立派な社会貢献であり、誰もが私に一目置いてくれる未来を想像して笑みがこぼれました。
私は両親に応募したい旨を告げました。
「なんでも挑戦することはいいことだ。少し突飛な気もするが、せっかくお前が興味を持ったのだから、嫌になるまで頑張ってみなさい。
 もしも挫けそうなことがあっても、父さんは応援しているからな。それに、もし諦めて家に戻ってくることがあっても、父さんはお前を叱ったりしない。
 むしろ我が家の誇りと思って、お前の帰りを待っているよ。」
銀縁眼鏡の奥の目は私にそう語りかけてくるのでした。
実際は、晩のおかずを頬張りながら私が話し終えるのを待ち、ゆっくりと咀嚼をして飲み込んだ後に
「そうか。」と呟いただけでしたが、私が家を出る時も止めはしませんでした。

私は厳しいトレーニングに耐えました。
火星に行くまでの3ヶ月間、泊まり込みで体力作りを行いました。
特に、光線銃やナイフの訓練に大きな時間を割きました。
意外なことに、私と共同生活をしていた人々は皆、募集広告を出した機関の職員でした。
よくよく聞いてみると、火星へは私一人で降り立つとのことです。大きな不安が私を襲いましたが、更に大きな期待がそれを跳ね除けました。
人類で私一人だけが、その任務を遂行できる。そう考えると興奮が止まりませんでした。

そして遂にその日がやって来ました。
今や一人乗りでも十分安全性を確保されたロケットは、快適なまでに静かに飛び立ちました。
飛行機にさえ一人で乗ったことのない私が、宇宙に向けて一人で旅立つという飛躍。
私の踏み出す大きな一歩を象徴しているかのようでした。
整備されたアスファルトの道にロケットが着陸すると、周辺には点々と小屋が見えました。
火星は数年前から整備が進んでいることは新聞から知っていましたが、探索者用の借宿まで作られているとは驚きました。
目についた小屋に入り一休みしていると、地球から指令が入りました。
「無事到着しましたね。任務は夜に行います。地球の時間であと6時間ほどありますので、体を休めてください。」
言われるがままにベッドで眠りにつきました。ロケットは乗っているだけでも力を使うものだとこの時気がつきました。

目を覚ますと、再び指令が聞こえます。
「ちょうどいい時間です。小屋の外に出て、裏手の山へ登ってください。くれぐれも光線銃とナイフを忘れずに。」
ごつごつした山を登り、あたりを見回すと、物陰に何かが横たわっています。
「ゆっくり近づいて、光線銃で撃ってください。」
まったく動かないそれを狙うことは容易く、いとも簡単に光線が命中しました。
近づいてみるとそれは、タコを地上の暮らしに無理やり馴染ませたような、気味の悪い生物でした。
「それは火星人です。さあ、小屋に持ち帰ってください。」
触れるのも嫌なほどでしたが、おそるおそる抱きかかえて小屋に戻りました。
「それでは、食べてみてください。」
途轍もない大声が出ました。大学を出てから今までで、これほど大きな声を出したことはついぞありませんでした。
「人類は火星人と共存することを諦め、駆除をすることにしました。しかしただ駆除するだけでは費用がかさみます。そこで食用としての利用価値を確認すべく、あなたを派遣したのです。」
人類代表の毒見役に命ぜられたとは知らず、のこのことこんな所まで来てしまいました。
諦めて食べてみようと思いましたが、火がありません。小屋の戸棚を開けると、小さな瓶が三つ入っていました。
一つずつ匂いを嗅ぎ、舐めてみると、油と塩と、何かの果汁のような酸っぱい汁でした。
「調味料はご用意いたしました。カルパッチョ風でお召し上がりください。」
生食を強制されていることに絶望しながらも、できるだけ薄切りにした火星人に調味料を振り掛け、一思いに食べました。
味は美味しく、ぬめりの少ないタコのような食感と旨味がありました。
ただそんなことよりも、これが初めて自分で手に入れた食事だという喜びに震えていました。こんなところに来てまで、月並みの喜びに満たされる自分がやや矮小であるとも思いました。
そのまま地球に戻り、一ヶ月もの間健康診断を受け、ようやく家に帰りました。
ロケットが着陸した際にも、家に帰り着いた際にも、カメラや新聞記者などは見当たらず、拍子抜けがしました。
異星の地で、見たこともない食事を口にしたあの経験を思えば、なんでもできるような気がしています。
有難いことに火星調査機関の一員としてお誘いをいただけましたので、翌月からそこで働いています。
私が人類で初めて火星人を食べたという逸話は、いつか私に部下ができた際に聞かせて、楽しもうと思います。


-数年後、居酒屋にて-
「お、来た来た。火星人のカルパッチョ、好きなんだよなあ。」


「なあなあ、丸のままの火星人って見たことある?この前ネットで調べたんだけど、結構不気味な見た目なんだよ。」


「どれどれ。うわっ、すごいなこれ。まあ美味しいからいいけど。」


「人類で初めて火星人食べたやつって勇気あるよな。」


「よっぽど腹減ってたんだろうな。」


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