鬼滅の刃を連載から見届けた面倒臭いオタクが最終巻を読んだ話

私は面倒くさがり屋で面倒くさいオタクだ。

鬼滅は連載当初から読んでいたが、ただ偶然週刊少年ジャンプを家族が買ってきていたので偶々読んでいただけだった。
新連載は数話、ないしは一話で読み続けるか判断していたが鬼滅は非常に刺さった。アンケートは面倒くさがり屋なので出していなかった。だが鬼滅の掲載順が後ろになる度に「終わらないでくれ!」と不安になったし、SNSで鬼滅は面白いと何度か発信したり、友人各位にはダイマもしていた。


※余談だが結果論として鬼滅は飛ぶ鳥を落とす勢いで人気が出たものの、今思えばアンケートは出しておけばよかった。いくらネットで話してもせいぜいが数人の目に止まる程度だ。それなら出版社の目に届く方法の方がいいだろう。


話を戻そう。つまり何となく読んではいただけで特に行動はとっていなかったのだ。だが毎週鬼滅を読むのが楽しみだった。知っている方も多いが鬼滅は展開が早い。その子気味良さと、反面他者を慈しむ描写を柔らかなシルクで包んだような丁寧な優しさが好きだった。厳しさの中でも変わらぬ美しさを持つ主人公は素晴らしかったし、善一が出てきた辺りから「この作品更に面白くなってきたぞ!?」と一人興奮したものだ。
そんな中転機が起こった。アニメ化だ。嬉しかったがやっぱりなという気持ちもあった。こんなに面白い作品がようやくアニメ化されるのか、という思いだった。

だがアニメが始まって流れは変わり始める。

コミックスが本屋から消えた。
アニメ主題歌が至る所で流れた。
テレビで鬼滅の売り上げが取り上げられるようになった。


だがこの時は凄いことになってきたと思いつつも私の考えは「布教用にコミックスを買おう」というなんとも間の抜けたものだった。
そんな一個人の思考は他所に、勢いは益々増していった。

そんな怒涛の中、私が違和感を感じたのはコミックで言えば20巻あたりだった。

話の展開が早いのは最初からだったが、どうもおかしい。暴言を承知で言えば、早く終わらせたいというような逸りを感じた。この話をすると友人からは「無限城前の修行シーンから巻きに入った様子はある」と言われたが、私が明確に感じたのはあくまで20巻あたりだ。
終わりに近づいているのは無限城に向かった時点で分かっていた。それはいい。ダラダラと引き延ばされるのは好まない。作者の意図したタイミングで終わりを迎えて欲しい。
だが何故か違和感を感じる。説明はしづらいが、唯一ここだと話せるのは無惨様が「遺す」事に可能性を感じた所だった。
あまりにも唐突すぎた。読者に理解出来ない存在として描くという意図があったのかもしれない。だがそれ以前から感じていた違和感のせいで、キャラクターとしての理解不能さを描いたというより、話の展開として無理やり濃縮して描いたように感じた。
呆然としながら時間が経ち、ついに本誌は最終回を迎えた。私は何も言えなかった。愈史郎の展開と親方様の展開だけはとても好きだったが…。
悲しみにくれ、SNSを見るが私のように呆然とする人間をついぞ見つけることは出来なかった。「ダラダラと続かなくてよかった」というコメントを見た時は怒りが湧いた。確かにそれはそうだが、今回の場合そうではないだろう!と。
何かの要因で早く風呂敷を畳まざるを得なかったのではないかとしか思えなかった。あんなに丁寧に描いていた作者が、残っていた伏線をなぎ払って終わらせたのが信じられなかった。
公式からは主だった提示はされていないので、結局は分からない。ただの邪推であるし被害妄想だ。だがどうしても最終にかけての終わり方が許容出来なかった。


しかし私が許容出来なくとも世間は更に鬼滅を知って盛り上がっていく。そして映画が始まった。
私は見る気が無かったが、友人に誘われて観に行くことにした。
そして途中で一度泣いた。煉獄さんが死んだからではない。無限列車の頃の鬼滅が、私が愛した頃の鬼滅だったからだ。面倒くさいオタクだという自覚はある。だから一緒に観た友人には「映画ヤバかった」「凄かった」としか言えなかった。小学生に戻って、先生に読書感想文の書き方を教えてもらわなければならないレベルだ。


そんな面倒くささを引きずったまま、最終巻の発売が決まった。最終巻は予約していなかった。買えなくてもいつか買えればいいかと思っていたからだ。だが何となしに気が向いて、発売日に気づけば最寄りの本屋へ向かっていた。
普段はまばらに人がいる程度だというのに、レジは行列だった。列に並ぶ人は皆前にならえをしたのかと思うほど同じ本を持っている。どこに置いてあるのかと探すと、ジャンプ棚の所に鬼滅は置いてあった。ラスト三冊だった。
こんなに捻くれている人間が買っていいものかと思いつつ、周囲にいた人間はもう殆ど鬼滅を買い終わっていたので結局レジに通した。
そしてようやく今日、最終巻を読んだ。正直に言うと辛くて読み飛ばした部分もある。だが見ていくと、本誌には入っていなかったシーンが差し込まれている事に気付いた。
書き下ろしがあるのは事前に知ってはいた。だが、本編を補完する形で入っていたのは知らなかった。
子孫から見知らぬ祖先に対して思いを馳せるシーン、鬼殺隊のその後、柱たちと鬼を狩る為に尽力を注いだ人達のシーン。

読み終わった後、子供のように泣きじゃくった。未だに不満はある。もっと見たかった展開があった。じっくり描いて欲しかった。だけど本誌で終わった時一番悔しかった「先生は満足のいく最後が描けなかったんじゃないか」という感情がほろほろと崩れた。

そしてようやく私は鬼滅が終わったのだと実感する事ができてしまった。

私は面倒くさいオタクだ。世間が鬼滅一色だというのに、未だに一般受けする作品だとは思っていない。
面倒くさがりで頭の出来もめでたくはないので、考察はしていないししてもたかが知れている。アンケートは電子版に移行したので、忘れそうにはなるが、なんとか出している。

けれどようやく、また鬼滅を純粋に楽しめていた気持ちで読み返せそうだ。


五峠先生、作品を生み出してくださり、そしてその物語を最後まで遂げてくださりありがとうございました。

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