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牛丼屋さんで何を食べますか

仕事で夜が遅くなったり、嫌なことがあると、ちょっと遠回りして「すき家」で食事をして帰ります。本当に疲れてしまったときは週2とか週3で行くときもあります。

通勤の通り道にあるとすごく助かるんだけど、ちょっと遠回りしないとお店がないというところが悩ましい。それは僕の通勤経路の問題なので、すき家さんの問題ではありません。

夜遅くまでやっているし、手頃な価格(最近は手頃では無くなってきたけど…)で素早くお腹が満たされる。そしてなんといっても美味い。

一人暮らしを始めた頃、最初は頑張ってご飯を用意したりしてたけど、1ヶ月もすると何もかも面倒くさくなったり、夜の23時に帰ってくると、家で食べることそのものが面倒くさくなってきたりするんです。そんなとき、当時の家から歩いていける場所にすき家がありました。

実家にいるときは家で食事するので、牛丼も年に1、2回食べるかどうかだったんです。でも店の明かりに吸い込まれるように食事をしてみると、びっくりするほど美味しいんですね。疲れた体に染み渡ったのを今でも覚えています。そのうち牛丼だけだったのが、卵を頼むようになって、次第におしんこと豆腐のセットとか頼むようになって、それじゃ飽き足らず味噌汁を豚汁に変更するようになって、豚汁の美味しさを知ってからは豚汁を飲むために行くようになり、最終的には休日の朝ごはんのためにすき家に行くという時期もありました。

いろんな牛丼を食べてきましたが、今のところ「ねぎ玉牛丼と豚汁」という組み合わせが最も好みです。まず食事が届いたら(の前に出してもらったお茶を飲み干してしまうので、食事が届いたときに「すみませんお茶もう一杯」とお願いするのを忘れずに)豚汁を一口。ああ温まる。次にちょっとピリ辛のネギに卵を落として、紅生姜をたっくさん乗せてかきこむ。刺激のある味わいに、眠ってた細胞が叩き起こされるような感覚に。バランスよく食べ進めたいところですが、気づくと牛丼は最後のひと口になっている。そのまま牛丼を食べ終えたところで、豚汁に移ります。

具だくさんで、一人暮らしでは到底買うことのないような「ごぼう」などの具材を味わうことができます。しかもごろごろサイズなのに柔らかくなっているから、とても食べやすいんですね。本当にお腹が空いているときは豚汁だけおかわりしようかな?という気持ちになる。

豚汁の最後の一滴を飲み干すころには額にじんわりと汗をかいています。寒い時期に食べると、お会計をして外に出た瞬間の温度が心地よく感じるほどです。

牛丼の話になると話題になるのが「どこの牛丼屋さんが好きか問題」です。僕みたいにすき家一択という人もいれば「いやいや牛丼は吉野家だろ!」「松屋も悪くないぞ」という人もたくさんいるわけです。本当は松屋にも行ってみたいのですが、僕の職場や家からは、車で何十分も走らないと辿り着かない距離にあるので、いまだに松屋を食べたことがありません。松屋さんは定食が充実していて「うまトマハンバーグ」という衝撃的な美味さのメニューがあると聞きました。毎年期間限定のようなんですが、今年こそは松屋デビューを飾りたいと思っています。

最近はメニューが多様化しており、牛丼だけで何種類もあって、カレーもあってネギトロ丼みたいなのもあって、デザートまである。よほど通わない限り全メニューの制覇は難しい状況にあります。一回近くにあった定食屋さんで「メニュー全制覇」に挑んだことがあったのですが、一年かかっても、唐揚げ定食と焼肉定食と餃子とチャーハンしか頼んでなくて、途中から自分で決めた企画そのものを忘れてしまっていたこともあります。

飲食店さんって、大体「代表的なメニュー」がありますよね。牛丼屋さんだったら牛丼だし、ファミレスならハンバーグ系のイメージがあります。つまり、その代表メニューを食べたくなったからその店舗に足を運ぶというのがあるわけです。だから完全に頭も口も「これを食べたい」という理由で訪れているので、季節限定とかのメニューがあっても「こういうのを今やってるんだね。よし、ハンバーグセットで」ということがほとんど。もちろん「限定メニューやってるんだ。じゃあこれで」という人もたくさんいることでしょう。

例えばすき家だと、カレーも有名なのですが、僕はどんなにカレーフェアをやっていても、うなぎフェアをやっていても、普通の牛丼を食べます。もちろんねぎ玉だったり、チーズ牛丼だったりすることもありますが、基本的に「牛丼」しか食べない。

きっと無意識に新しいメニューに挑戦して「失敗したらやだな」という感情が強く働いているんですね。だから確実に美味しいと想像できる安定したメニューしか選ばなくなるんです。世の中の人がどこにいってもハンバーグ食べてるとか、カレー食べてるというのも同じことだと思います。これを選んでおけばまぁ後悔はしないだろうという理由で食べてることも往々にしてあると思うんですね。食べ慣れてるものを無意識に選んでしまって冒険しなくなるんです。

人間は「失敗した」という経験を「面白いことが起きた」という思考に中々変換できない生き物です。特に日本人はそうかもしれません。失敗したという感情は「損をした」という思考にもつながっており、その先にあるのは後悔です。せっかくお金を出して食事をしているのに、チャレンジしたという経験以上のものを自分は得られていない。だから損をしたと感じる。「たくさん失敗すれば良いんだ」という寛容な言葉を良い人ぶって口にする割に、目の前で起こる選択ミスによる失敗を受け入れられない。

日本って「失敗は悪」と捉えられる場合が多いですよね。誰も手を上げないチャレンジに参加して10点になるよりも、チャレンジしないことで減点を極限まで抑えて80点を取ることが正義の社会。どこにでもいるような上司は「どんどんチャレンジして」という割に「なんでこんな結果になったんだ!」と烈火のごとく怒りちらす。部下はそれ以上の失敗を恐れ、画期的なアイデアがあっても、それを自分の心の中に死ぬまで持ち続ける。そしてこれなら失敗しないという守られた境界線の内側で、同僚より1点でも減点されないような競争に人生を捧げて死んでいくことになる。だってちょっとしたミスで、集中砲火を浴びせて立ち直れないくらいに潰すまで頑張るじゃないですか。

なんとなくなんですが、自分も社会の一員として、新しいメニューや取り組みに挑戦しなくなるのは当たり前の流れなんだろうなと思います。いやだいやだと感じているくせに、大きなチカラに飲み込まれて自分の立っている場所や、立っていたい場所に気付けない。

挑戦しない方が評価が落ちないので楽なんですよ。これまでと同じことをやって給料も上がらないし満足度もあがらないけど、給料が減らないならこれでいっかという流れになる。そうやって「ありふれたおじさん」になっていく。

よし、今度は牛丼屋さんでカレーを食べよう。

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