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桜を見ると思うこと

桜の季節だ。家の近所で桜を見れる場所を探し、ネットで検索をする。カメラの充電を忘れてしまったので、スマホで撮影することにした。

混むと嫌なので、朝の9時には到着できるように家を出る。(本当は8時に行こうと思ってたけど、無理だっただけ)すでに何台かの車が止まっている。でも混んでいるほどではない。前日の雨でだいぶ花は地面に落ちてしまっているようにも見えた。

初めてくる場所はどきどきする。どうやってこの桜を堪能しようか考える。考えるだけだけど。さっそくスマホを取り出し撮影を始める。天気はあいにくの曇りだ。10分もすると駐車場が混み始めた。やっぱりみんな朝の9時くらいを目指して来るのだなとわかる。川があって土手沿いに桜並木が続いている。

朝早くから出店の準備をしている人がいた。近くで発電機がうなりをあげており、まるでお祭りにでも来たかのような気持ちの昂りを演出してくれる。しかも準備しているというか、ソースの良い香りが辺りに広がっている。すでに作っているようだ。買えるのかな。朝ごはん食べてないしな、なんてことを思う。頭の中は食べることでいっぱいだ。

やっとのことで店の前を離れると、桜並木にたどり着く。年配の夫婦、若い家族、カップル、友人と。自分意外で一人で歩いているのは、ウォーキングか、ワンちゃんの散歩をしてる人くらいだった。癒されにきたはずなのに寂しい気持ちになる。みんなカメラやスマホを花に向け、思い思いの写真を撮っている。10人くらいで高そうなカメラを抱え、写真を撮りに来ている年配のグループがいた。一人の男性が「それはだめ!こっちからのアングルの方が!」なんて指導をしているようだ。写真くらい自由に撮っていいじゃんか。

「じゃあ今度はあそこに歩いてる子供を被写体に」なんてことを言い出す。え、いいのそんなことして、とかマナーの問題を考えてしまう。だめだ。他人の言ってることに耳を傾けてたら、心がいくつあっても足りない。足早に横を通りすぎる。

しかし朝の散歩というのは気持ちが良い。嫌なことを少しでも忘れさせてくれそうだ。まぁ忘れてしまえるわけではないんだけど。少し雨も混じってきたが傘が必要なほどではない。そのまま先に進むと広場のような場所に出た。女性の二人組がお互いに写真を取り合っていた。持っているカメラはスマホではなく、本格的なものだった。近くにベンチがあったので少し座ってみる。濡れてはいないようだったが、すぐにお尻が冷たくなったので立ち上がる。静かな場所だが風が吹いているので、桜吹雪のようになっている。まるで映画かドラマのワンシーンみたいだと思った。

ここがどうやら終点みたいなので、戻ろうかとスマホを取り出す。駐車場までの別ルートがあればそっちの方がいいだろう。しかし別ルートはなさそうだったので、きた道を戻ることにする。同じ道であっても、逆から見る景色は全く違うものになるのが面白い。自分はこっちの方が好きだな、と思った。

散っていく花を見ていると切ない気持ちになる。春の出会いと別れ。永遠に繰り返すそのサイクルのたびに桜が咲いているのだと思うと、人間の歴史に寄り添っている桜ってすごいな。一体これまで何人の人生を救ってきたんだろうか。なんてことを考えてしまう。

実のところ、僕は桜という花があまり好きではない(おい、突然何を言い出す)他の花が大好きかと言われるとそういうわけでもないのだけど、桜の花が醸し出す情緒感というか切なさみたいなものが、見ていて心が癒されることもあるけれど、キュッと胸が締め付けられるような感覚になることの方が圧倒的に多いのだ。だから「桜が開花しました」みたいなニュースを見ると、思わずチャンネルを変えてしまうことすらある。だけど「桜を見た」という口実が欲しいだけのために、こうやって足を運んでいる。自分も世の中の人と同じような体験をしたという事実だけが心を救う。でも本当は何をしにきたんだろう?なんて、それでも迷いながら土手を歩く。

それで理由だ。たぶんこれは新しい人生が始まる人がたくさんいることへの嫉妬なのかもしれないと考えたこともある。変わり映えのしない人生の時間を送っている、自分自身へのいら立ちとも言えるかもしれない。わがままだよな。

土手道を戻って来ると、さっきの写真家集団が川と桜を一緒に撮りたいのか、橋の上でわちゃわちゃしていた。そそくさと横を通り過ぎ、出店のところまで戻って来る。さっきよりも開いている店の数が増えている。あ、大判焼きがある。

駐車場は車でいっぱいになっていた。遠くから来てる車もあるようだ。途中でコーヒーでも飲んで行きたいな。そう思ったがこの近所には中で飲めるような店舗はなさそうだった。家でコーヒーを淹れよう。

エンジンをかけると、空に青空が見え始めた。あと5分早く晴れてくれたらいいのに、なんていうタイミングの悪さを少し恨んだ。

今日もたくさんの人が働いて社会を回している。蛇口をひねれば水が出る。スイッチを押せば電気がつく。外へ買いに行かなくても、荷物が届く。24時間365日変わりなく。

ちょっとネットの調子が悪いだけでイライラする自分がいる。いつも通勤で使ってる道が工事をして渋滞してるだけでイライラする。あとから考えればイライラしている自分が恥ずかしいのだけど。

どんなに花を見て、酒を飲んで癒されたところで会社に行けば嫌な人がいる。嫌な仕事がある。やらなきゃいけないことに忙殺され、何をしているのかわからなくなる。面倒なことばかりが押し寄せ「なんでだよ」と思う。圧倒的に時間が足りなく、右から左に物事を流しているだけの人生に腹が立って来る。

きっと桜の花が散っても気づきはしないのだろう。日々にいっぱいいっぱいで。また来年どこかで桜が開花し始めた頃「そういえば去年の桜は」なんて思い出すのだろう。

圧倒的な成長をしていたい。

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