TOEICを受けよう

ずっと英語に興味があった。

話せたらいいな、理解できたらいいな。でも中学生の頃、英検3級に落ちて、僕は英語を捨てた。

あれから随分と年月が経った。沸々と英語を理解できない、読めないコンプレックスみたいなものが湧き上がってきた。その理由は後述するとして、英語をちゃんと勉強することにした。

日本にいて英語が理解できないコンプレックスを感じることは全くない。それに日本語というのはとても奥深くて、ちゃんと使いこなせるようになるまでに人生が一回終わってしまう。身の回りで英語が理解できなくて困ることも皆無だ。外資系とか、海外事業をしている会社に勤めていない限り、この国で英語を話せないことをネガティブに感じる人はいないだろう。

逆に「俺、英語全然ダメなんすよー」とか言ってるくらいの方が、コミュニケーションが円滑に進むことすらある。よく考えるとおかしい社会である。

でも勉強することはしなかった。だって「英語を勉強して自分が手に入れられるものは」と考えても、出てこない。勉強するメリットを英語が理解できるようになるメリットを超えてこないのだ。まぁ、向き合わない方がラクだ。誰も「なんで英語話せないの?」とかも聞いてこないし。

だが最近、海外に友達が欲しいと思うようになった。Netflixの海外ドラマを字幕なしで理解できるようになりたいと強く思うようになった。YouTubeで留学を目指して勉強している人や、アメリカの資格の勉強をしている人がいることを知り、自分もそうなりたいと思った。その人たちが掲げている夢を知って「こんな人生があるんだ」と思えるようになった。

きっかけはひとつだけとは限らない。色々な要素が積み重なって一つのきっかけを作り出していることもあるのだろう。

じゃあどうしたら良いか。すでに社会人として働いている身にとって、これから英検を取得しようという気にはなれない。

「よし、TOEICを受けよう」

調べるまで、TOEICがどのような試験なのかもよく理解していなかった。そして社会人としてTOEICで高得点を目指すことが、自分の働き方や稼ぎの幅を広げるということも知った。もちろん「この年齢から勉強しても、目を見張るほどの収入増は期待できないだろう」という気持ちはある。でも単純に思うのだ。

「英語を読み書きできるようになったらきっと楽しい」だろうと。

初学者がまず目指すべきスコアは600点台ということだった。満点では900点を超えるスコアを叩き出す必要がある。このレベルになったら、もう母国語と言っても差し支えないほど使いこなせるようだ。ここまでいったら、まず副業で翻訳の仕事だなとか、淡い期待を抱きながら勉強をスタートした。

きっとつまづいて、もう英語とかいいんじゃない?と思うことが何回もあるのだろう。でもそうなるたびに思うことにする。

「きっと英語が話せるようになったら楽しいよ」

まずは春にテストを受けたい(どんなに頑張っても撃沈予想だから)そこからさらに勉強を続け、年末までにTOEIC600点、それが設定した目標。

よし、やるぞ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?