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9月のShhh - 愛をどうするか

よかれと思い何かを働きかけること。それは多かれ少なかれ相手に愛情をかけるということ。しかし、相手にとってそれが受け入れたいものかどうかはまた別の話。

例えば、隣り合う人が自分の全く知らない文化や価値観をもつ場合、その愛情はどう渡すことができるのだろう。その愛はどう表出させるとよいのだろう。今回は、そんな答えのないことに向き合う作品が集まりました。

Shhhの定例会で共有された「静謐で、美しいもの」を、月ごとに編集・公開する企画「Shhhで話題になった美しいものの数々」。今月もどうぞお楽しみください。

世界は近くも狭くもなっていない。すぐ隣りにある精神という広大な世界。

📕 書籍『精霊に捕まって倒れる――医療者とモン族の患者、二つの文化の衝突』(著=アン・ファディマン、訳=忠平美幸・齋藤慎子、2021、みすず書房)

東南アジアに住む民族の一つで、今や居住域は世界中にひろがるモン族のある一家と、西洋思想に立脚する現代医療とが、1人の子どもの病気をめぐって対立する、異文化のあり方を物語るノンフィクション。

癲癇(てんかん)の症状で苦しむ少女を前に、モン族の家族も医師たちも骨身を削り治療に全力を尽くす。しかし、精霊や祖先を信仰するモン族と現代医療の思想はことごとく衝突し、言語の壁も相まって行き違いが積もりゆく。

著者は当該家族と医師はもちろんのこと、米国の文化に馴染んでいるモン族の人、セラピストなどにも細やかに聞き取りを行う。

それぞれの正しさや、愛情、善き行いがすれ違い、衝突していく過程が内側から丹念に描かれていて学ぶものが多い。最終章にあたる「第十九章 供犠」に描かれる祈りの何という強さか。今思い出しても心が震える。

なお書名「精霊に捕まって倒れる」は、モン族の言葉で「癲癇」を表現したもの。

📗 絵本『ぼくは川のように話す』(文=ジョーダン・スコット、絵=シドニー・スミス、訳=原田勝、2021、偕成社)

苦手な音をどもってしまう少年。学校のクラスでもまったくしゃべることができない。ある日の学校帰り、そんな少年を、お父さんは静かな川に連れていく――そんなある一日を描いた絵本が、吃音をもつカナダの詩人、ジョーダン・スコットの実体験をもとにうまれた。

物語に登場するお父さんの寄り添い方、声のかけ方、並んで歩くときの距離感、その全てから愛情とはこういうものかと、ひしひしと感じることができる。それから感情が紙面にそのまま染み出したような絵の瑞々しさ。物語と表現が凝縮された、絵本という形でしか語れないことがあるということがよく分かる一冊。

「好き」があることの風景

🎥  映画『カーマイン・ストリート・ギター』(監督・製作=ロン・マン、2018、カナダ)

米国ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジに変わらずあり続け、ギタリストたちを魅了するユニークなギター屋「カーマイン・ストリート・ギター」が舞台のドキュメンタリー。

主人公は、いつもそこかしこで工事が行われている街ニューヨークの、建物の廃材を使って世界にひとつの「ニューヨークの街のギター」を一本ずつ手作りする昔気質なリック。そして凝りに凝ったデザインでそのギターを装飾し、リックとは正反対にデジタルを駆使し、インスタグラムでバシバシ告知するパンキッシュで頼もしき弟子のシンディ。そこに店番と掃除を手伝うリックの老いた母と、ショップへ集うギター弾き達。この絡み合う関係性がたまらなく良い空気を醸していて、ただその光景を見てるだけで幸せな気分になれる。

「ただギター作りが好きなんだよね」と話すリック。ギター弾きたちが気持ちよく弾く姿をうれしそうに眺めるリックの笑顔がたまらなく良くって、ギターも喜んでるように見えてくる。「好き」が積み重なった先には、例えばこんな幸福な風景が広がっている。それをリックは教えてくれる。

🏛 展示『塔本シスコ展――シスコ・パラダイス
かかずにはいられない! 人生絵日記』(2021/9/4〜11/7、世田谷美術館)

歓びあふれる創造のエネルギーを発散しつづけた、塔本シスコ(1913 - 2005)の約200点の作品が集った展示。お気に入りの近所の公園で花を見た、孫とごはんを食べた――そういった日々が絵日記のように頭の中で繰り広げられ、歓びの絵として表出した作品群が広がる。

夫を亡くした悲しみから、50代に入ってから独学で油絵を始めたシスコさん。自宅の四畳半の部屋でキャンバスから空箱、空瓶、あげくはしゃもじにまで「描かずにはいられない」が伝わるプリミティブな力強さと、なんと言ってもシスコさんの「描くことが好き!」という感情。それが観る者へ直に伝わってくる。

その歓びの感情は、展示会場へ一歩入るだけで一気に視界へ飛び込んできて、身体ごと喜びの感情に包まれてしまう。それくらいの強いもので、絵画を観ること自体がただただ幸せ、という不思議な気持ちになった時間だった。

好きであることとはなんて尊いことなんだろう、それを思う一方で、どうしても描かざるを得なかったシスコさんの人生の切実さにも同時に想像を寄せてしまう。終始画面全体をびっしり敷き詰めるシスコさんの特徴的な絵は最後、心の中の満月ひとつの表現で終えられていた。それはシスコさんの人生の旅を表すにこれ以上ないほど象徴的に見えた。

📕書籍『旅情熱帯夜――1021日・103カ国を巡る旅の記憶』(
著=竹沢うるま、2016、実業之日本社)

1021日間かけて地球を一周、103ヶ国を巡るバックパッカーの写真旅日記。紀行文と写真、当時の手書きの日記をコラージュした臨場感のある構成で、金子光晴や沢木耕太郎の本がバックパッカーのバイブルだったように、竹沢うるまのこの本も今の時代のバックパッカーのバイブルになるだろうというオーセンティックさがある。

ぎゅうぎゅうのローカルバス、カヌー、馬、72時間以上の電車、などあらゆる手段を使いながら、まるで野良犬のように地を這い移動を繰り返し、旅を綴る様子からは、旅が好きで好きでたまらないという気持ちが伝わってくる。

日記中で何度も「時が止まっているような…」「タイムスリップしているような…」という文章が出てくるのが印象的。時の流れは西暦やカレンダーやタイムラインとは何の関係もなく、本当は均一じゃないということが分かる気がした。

今月の音楽

『Wood Circles』 / Thommy Andersson

今年一番驚いたアルバムだった。「1.Whirly Birds」の美しく伸びる声から始まるイントロ。「2. Wood Circles」のそれぞれの楽器と声の組み合わせの優美さ。安らぎと幸福感に満たされる「3. Floden」。優しく、温かく、美しく。これから冷え込んでいく秋冬シーズンに必要なものが全部詰まっている名盤。

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以上、9月にShhhで話題になった「静謐で、美しいもの」でした。

編集 = 原口さとみ

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