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タイトル未定

今年は文章をたくさん書いた。最後まで書くということができていなかったから、それができるだけでもひとまず十分だと思った。言葉にとらわれてしまうこともあるけれど、その日を持ち越さないために日記はとても有効だと思えた。

友人たちの間でコロナになった時から1年の振り返りの文章をあげるようになった。会社に勤めてから大きな変化はなくて、日々一生懸命学びの毎日。知らないことがこんなにも世の中にたくさんあって、まだまだ知りたいことが増えるというよろこび。行き止まりだと思っていた去年までに比べると、どこまでも行けるような揺蕩う気持ちは幸福だと思える。仕事がこんなにも人生を豊かにしてくれることってあるんだ。ありがたいよ。知らないことがこわかった学生時代に、無理をしてでももがいていてよかったと思える。その力はまだ生きている。
次の日、友人から「あなたの一年が進展していた日々だと感じられてうれしかった」と言われた。書いていなかったのに、友人たちは想像よりずっとわたしのことを理解してくれているのかもしれない。まっすぐであること。昔のわたし、大丈夫だよ。悩んで泣いてうずくまっていた日々の先に、きちんと報われる日がくる。つらい思いをわざわざすることはないけど、おかげさまで、と言える日が来るのかもね。

「何かを好きだということは差別をすることになる」という言葉について考えている。好きな写真家の人からもらった。わたしの中にその感覚はないけれど、理解はできた。わたしは好きなことがあるってすごくうれしくて、自分の中で何かを選ぶ力が残ってるっていいなと思う。好きなことばかりを選ぶのが正解かはわからないけど、明日着る服も、誰といるかも、これから何をどこでするかも、自分で選びたいと思う。選ぶって自由だな。最近はちゃんと責任を取りたいと思うようになった。誰のせいにもしたくない。「差別」という言葉はあまりにも強くて、それだけで目を引いてしまうからあっているのかはわからないと思う、その反面、その言葉を選ばずにわたしに渡してくれたのはうれしかった。理解できると思ってくれたんだろうか。そういうのちゃんと受け取りたい。うそじゃないと思うから。たまに人は、心の言葉を渡してくれる。それがどこから来てる言葉かはわかるつもりだよ。だからわたしも渡したい。諦めたくないって、諦めなくていいって思えた1年だった。間違ってない。

この1年間、支えてくれた人たちに安心と感謝を。

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