見出し画像

こういう日は晴れていていい

10月から年末にかけて途端に忙しくなる。毎年のこと。でもまだ頑張れる。まだ、頑張れる余地がある。そういうとき、自分のいる環境について考える。一人で暮らしていたらどうだろう。時間、全部なげうってたかな。生活をおろそかにしていたと思う。できていないと思う。起きたら食べたり寝たり、それ以外のこともどんどんしないで、注力していたのかもと思う。だれにも気をつかわない分、慮らない分、自分のこともできなくなる。わたしはそういう人間だと思う。足はずっとついていたい。宙ぶらりんでも生きていけるけど、たぶん逃げ出してしまう。誰かと暮らしたほうがいい。辛いけど、自分のためだと思う。真っ当でいるためには人の目が必要。そんな自分のことを少しずつ知っている。

気が付いたら11月も半ばになって、会社に勤めて1年が経った。はやかったな。わかんないことだらけだったのに、知らないことだらけだったのに、まだまだだけど、少しだけ肌に馴染んだ気がする。苦しくない。息のしかたを忘れてない。もっと長く広く自由に泳げる気がする。知れば知るほど、もっと海が広いんだと知る。まだ先がある。そういうことを会社の人みんなが思っている。だから大丈夫。みんな運命のアンテナがついている。わかってくれることが重要。話したら伝わっている。近いのだと思う。紆余曲折、いろんなところで働いて、知り合って、ずっと何も積み重ならなかった毎日が少しづつ意味のあるものに思えてきて、がむしゃらに立ち止まらなかった自分のことを誇らしく思うよ。あきらめてなかった。絶えず言葉を残してよかった。大事なことをたびたびかみしめている。忘れないように、忘れても立ち戻って来れるように、道標であるように。誰のせいにもしたくない。

また少しずつ写真を撮る機会に恵まれるようになって、不思議だなと思う。軸があるほうがコンパスのようにくるくると動いていける。作家一本で行く道もあったと友人に言われた。それでもよかったけどこわかった。辛い道だからとかじゃなくて、わたしは情報を遮断することがとても得意だから、大切なことを知り逃してしまう。しっかりと社会と繋がっていないといけない。じゃないと写真を撮れなくなった時にわたしには何も残らない。だから今の生活の上でやっていけることが、現状のベストな気もする。空間を持ちたいという夢は忘れていないし、もっと間にいろんな可能性があるとも思う。長く続けることに意味がある。いまのわたし。好きなこと、興味があることがもっと増やせたらいい。

今日が晴れていてよかった。自分の誕生日の日も気持ちがいい風に包まれていた。節目節目の風を覚えているよ。記憶の中に色がついて忘れられない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?