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さむくてもあたたかくても

なんだかぼんやりな日々。久しぶりにだるくて、頭もずっといたくて、いつもよりごはんを多く食べてしまって体も重くて、こんなの久々だなあと思った。でも精神はそんなにぴりぴりしてない。

毎日電車に揺られて、座れるかな、座れないかな、を繰り返して、10時に出勤して、残業もせずに定時に帰る。前の会社より定時が1時間遅くて、でも融通がきいて、そんなに辛くないかなと思っていたけど、日々の繰り返しなことに心は少しこたえているみたいだった。仕事とか、最近会った友達とか、書き出したことが夢に出てきて、現実なのか夢なのかわからなくなってきている。もう会わないって言ったのは、このnoteをみつけた友達は、お腹が痛くて起きたのは、どれが本当で夢かちょっとだけ混ざっている。お腹痛い以外は夢だけど。

今の仕事はなんですかって聞かれて、さっと名刺が出せるようになったのはやっぱり良かったことだと思う。仕事は説明しづらいし、ニッチなことだけど、わたしが考えたことが誰かの目にふれるようになる。知らなかったことをたくさん知って、毎日忘れないためにメモをとって、わたしはずっと知りたかったんだなと思った。自分の中で、ずっとずっと自分に問いをかけて、今は何をしたい?何を撮りたい?なんでこれが好き?って聞きまくって、それも少し答えられるようになった。次は外を通して見ていく。今まで知ろうとしなかったことを知っていく。

大学の時に行った森美術館のLOVE展の図録を10年ぶりに見ることがあって、あの時はとにかく何かを見なきゃって思って行っていたけど、今見たらわたしが好きなアーティストの名前が結構あった。あの時からビッグママを目にしていたんだな。知っているだけでものの見方がかわっていく。こうやってめぐりめぐっているんだなと思えた。他にもあ、これ見たじゃんって思うものたくさんあるもん。がむしゃらに吸収しようとした時間は、経験としてわたしを生かしている。あの時あの場所で見たことがわたしを支えている。

いまだに自分は半透明なんじゃないかと思ってしまう時がある。それを感じないように、ずっとなにかを引っかきますように、巻き込んでいけるように動いてきたはずだけど、ほんとうにうらやましかったのは、そんなことしなくても輪の中にいつも巻き込まれている人だった。受け身でいいならほんとうはそうしたいよ。でもふと来る透明さから逃げたいんだよ。わたしはわたしが特別だって知ってるけど、そうじゃないのかもって思うのがこわいからね。まだまだ臆病だなあ。とはいえ誰かのペースより自分のペースで生きていたいから、これはこれでいいのかなとも思う。それでもやっぱりイマイチうまくいってないかんじ。かみあってない。押して押されて、バランスがかなり崩れてる。気持ちは凪が1番いい。落ち着いて、余裕を持っていたい。とはいえ考えることも仕事もたくさん、うれしいことのが多いのがありがたい。

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