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親しい会話

もう3月も終わりか。今年の3月はあっという間だった。去年も仕事が忙しかったけれど、今よりも気が回らなかった分やることも少なかったと思う。与えられた、目に見えることだけをこなすのは楽だけれど、もうすこしその先に行きたいとは思う。わたしの仕事は何かを作ることではないし、わたしがどうしたからって何かが大きく変わるわけではないはざまの仕事。それでもできることはやりたいし、何かの力になれる可能性があるならがんばりたい。好きなことができている以上、これよりもいい環境はそうそう現れないと思っている間はやれることはやりたい。一生懸命やらせてほしい。

自分が仕事にいっぱいいっぱいになって、それの余剰でさらになにかをやって内側にこもってしまった時、いろんな人が手を伸ばしてくれた毎日だった。こんなに守られて、わたしは何かできてるんだろうか。支えてもらう人と支える人に分かれるならわたしは支えてもらってばかりだと思う。誰かに何か渡した量よりも人からもらう量が多すぎる。こんなに毎日くたくたでも落ち込まず、やりたいことに邁進できるのはまわりの人のおかげ。ひとりきりだったらこんなにがんばれない。春に思いつめることを知っている友人たちはご飯ではなく散歩に誘ってくれる。夜の少しだけの時間に一緒にいてくれる。言葉がうまくでないわたしに最近どう?と聞いてくれる。話すのを待ってくれる。遮ることも否定することもせずに、隣を歩いてくれる。人に優しくされるたび、自分のことが好きになる。自分がまっすぐであればそれは返ってくると体験を持って教わっているから、あの時間があるからわたしはまだ進むことができる。

自分が作ったものを見てほしい人がいる。それは頑張ったとかすごいとかそういうことを思ってほしいのではなくて、わたしがどう物事を見つめて、これからどのように生きていきたいかを知ってほしいし少しだけその人の片隅に入れてほしいのだと思う。わたしと一緒に過ごした時間があって、わたしが大切だとあなたを思っている以上は、その気持ちの一端を持っていてほしい。それはもしかすると相手への過度な期待なのかもしれないし、押し付けになってしまうのかもしれないけれど、こればかりは許してほしい。

理想の自分ばかりを追い求めて辛かった時間があるけれど、今は気持ちのいい自分でいると思う。快楽ではなくて、自分の足で立てているという自信。全部落ち着いたらみんなにありがとうと伝えてまわりたいくらい、今のわたしは光に満ちている。

とはいえなにもまだはじまっていない、スタートを切っただけの浮遊している準備期間。探していた時期とは変わったし、きっと5年後もまた違うことになる。今は今のできることを。

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