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結局ずっと怒ってたんだとおもう

連絡が返せない。ほぼ毎日のように連絡取ってる3人以外。こんなことははじめて。今まではいそがしくても夜には返していた。休まなくても寝れなくても、連絡の通知はたまらなかった。
今は毎日おおよその生活リズムが整っているのに、深夜に帰ってくることも早朝に家を出ることもないのに。辛いこともない。悲しくもない。なのに返せない。なんでだろう。

ルーティーンが出来てきて、会う友達も限られてきて、それ以外に避ける時間がない。自分から会おうということも滅多になくなった。会いたい人はいるけれど、連絡をして予定をたてるまでが億劫だし、空いてる日も近くなったら空いていないかもしれない、予定を埋めるのが嫌だとも思ってる。ずっと人といたかったのに。たくさん話していろんな人のこと知りたかったのに。大人になってから、人と人で話すのがあんまり出来なくなった気もする。

人となにを話して仲良くなってきたのかも思い出せなくなってきた。自分をさらけ出すこと以外でどうやって距離をつめるんだろう。話せば話すほど、わたしの脆さがばれて、それにつけいられる。強くならなきゃ、無関心で執着とかそういうのに意味を持たないようにして、自分は自分で抱きしめてあげられる人の顔をして。もっと早く大人になりたかった。自立していたかった。甘えてたくさん助けられてなんとかなってきて、今も友達にたくさん甘えて許してもらってばかり。わたしだってみんなのこと許してるよ、許すとか許さないとかそういうレベルでもないけど、大切にするって、ずっといるってそうゆうことじゃん。大人になれなかったわたしは、大人のわたしからしか知らない人には許してもらえないんだろうか。

気持ちを推しはかるのと慮るの違いがむずかしい。去年やっとそれが違うって知って、びっくりした。自分を削ってでもだれかが求めてることを渡したり、傷つけないようにすること、その場をまるくしていくことが慮ることだと思ってたけど、わたしがあなたを受け入れたようにわたしも受け入れてもらえるのかもしれないと思わないといけなかったね。信用してないみたいだよと言われた。性善説でいるつもりが、だれよりも被害者意識持ってたのかもね。

いまだにその線引きは難しいけど、相手が自分をどう思ってるって考えたって仕方ないんだよって言われて、確かにそうだなと思った。明らかな敵意とかはあれだけど、この人がわたしのことどれくらい好きとかわかんないよ。言われなくても目に見えなくても、会ってるだけでいいじゃん。連絡取ってるだけでそれはありがとうなんだよ。逆にこれで推しはかるほうが失礼だ。あなたの好きを疑ってるんだから。
学校みたいに会わなきゃいけないとかないし、もう自分の自由だけで友達と会えるんだから、それでこうやって会えてるのだけでいいんだよって教えてもらった。

自分が渡した量と同じものが返ってこないのは当たり前。かたちが違うかもしれないし。そう思い始めてからほんとうに連絡が続けられない。好きの反対は無関心でだって呪文のように習って、今は本当にそうなんだと実感する。無関心よりも考えたくないとかのが強い。日常から乖離するのが面倒なのかも。毎日ばらばらの仕事してた時、本当にいろんな人と会ってその場その場でそうゆう顔してたから、友達と会うと安心したし好奇心とかもあった。


結局、今はいっぱいいっぱいなんだよ。仕事大変じゃないけど、好きだけど、毎日間違えないように何度も画面の数字確認して、知りたいことたくさんあって、オフィスにいるのに手がかじかむほど冷えて。仕事変わったとかももう説明したくない。したい人にはした。

わたしがずっとふらふらしてどうやって生計立ててるのか謎で、なんでか北海道行ってて、楽しそうで、どこに住んでるのかもわからなくて。なんでそういう生活してるのか気になってるの知ってるよ。ほんとのこと全部言うわけないじゃん。好きな人にしか言いたくないよ、色々ありすぎてこの3年間本当につらくて、でもその辛いときに一緒にいてくれた人にしか言いたくないよ。

たくさん迷って全部やって、できないことはつぶしていって、そのためにお金も時間も惜しまなかった。あとけっこう人よりラッキーだった。この時間を馬鹿にしたり興味だけで聞いてくる人、無関心でいいよ。


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