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赤い車は消防車じゃなかった

話がしたい。笑うのももちろん楽しいよ。たのしくて、また会いたいねって思う。
でもそうじゃないやつ。心の底から、話しながら考えて、一緒に読み解いていく、みたいなやつがしたい。学生のころはゼミの後とかにコーヒー飲みながら喫茶店で夜まで話し込んで、お腹すいたねって言って馴染みの中華屋に移動して、お酒飲みながらさっきの話なんだけどさって続けられた。だからあなたと溶け合えたと思った。ふれなくても、強くつながっていると思える人がいた。

今思えば、話していたことなんて無知の青くさいなげきみたいな感じだったのかもしれないけど、その時に引っかかってるテーマを声に出して会話できていたことがとても重要だった。会話がしたいよ。仕事して帰ってお風呂入って、好きな人と電話するけどすぐ寝ちゃって、またもくもくと働いて、ちょっとあった面白いことも人に言えないまま写真だけ撮って、思い出したように週末友達に言うけど、その時にはもう全然おもしろくなくて。1番仲良い友達とは、たまに起こる人生のハプニングの話と、仕事の愚痴。わたしは仕事の愚痴がないからなにも言わない。たまに会話するけど、私たちは考えが同じだからかわらない。分野も違う。お互いのプライドがある。進まない。

大人になって、だんだん胸の内を見せたいと思うことも減って、声に出さないまま埋もれていく。パズルのピースがぽろぽろ、落ちたことにも気づかなくて、気づいたら穴だらけ。かなしくてむなしい。誰かに言わなくても溜めていけるのがほんとうはのぞましい。わかっていてできない。どこかに、理解してほしいと言う気持ちが残る。伝えたいし、伝わってほしいと思う。わかってほしい。知っていてほしい。

こういうの考えてると昔付き合っていたひとのこと思い出して嫌な気持ちになる。
彼はいつもご飯が運ばれてくる間や電車の移動時間に自分の仕事の話や、日々のことを携帯の写真フォルダを見ながら教えてくれた。でもそれだけだった。わたしの話はきいてくれなかった。わたしが話していて、珍しく聞いてるなと思うと、ゲームしてた。何か言うと、ネガティブなところが嫌いだと言われた。わたしは自分のネガティブな部分がきらいじゃない。考えに考えて、それを昇華する方法を知っている。それができなければわたしはわたしを認めてあげられない。だからそのエネルギー部分は大切だから。
ちゃんと話がしたいと言ったことがある。よく電話もしていたし会っていて、話す時間はそれなりにあったけど、話したいことが話せてなかったし聞いてもらえてなかったから。出来事じゃなくて感情が知りたかった。なにがあなたをそうさせたのかを知りたくて、知ってほしくて、もっと話がしたいと言った。
じゃあ、いつも話してるのはなんなの?俺が聞いてないって言うこと?って不機嫌な顔してた。今だったらそうだよって言える。
今でもたくさんのことを思い出しては悲しくなる。5年も経ってるのに。わたしはもう全然泣かないし、悲しみを渡してくる相手とは一緒にいないのに、今でも悲しい。
たぶん相手にじゃない。なにもできなかったわたしに。彼の強さに萎縮して、黙って泣くことしかできなかったわたしに。否定されて、わたしの大切なものをとられないように丸まって守っていた自分に。
何度も、もういいよって言ってあげてるのに、過去の悲しみは離してくれない。似た人を見るとぞっとするし、遠ざける。もう十分救えてあげてるのにね。それより後にあった嫌なことはもう大丈夫なのに。

先週より気持ちが落ち着いた。楽になった。よかった。

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