何も考えずに大学生活をした末路

この記事は、私が実体験の記事になります。
もし、同じような境遇の方がいれば読むことは損はしないと断言します。

大学を進学する前の高校生活では、成績を常に上位に維持しつつ、学生生活をすごしていました。そして、高校3年生の二学期に推薦で決まる大学の枠があったので、比較的に良い大学を選びました。推薦を頂く前は、高校1年生から受験の対策をしていたので、一般での受験を受けれましたが、そこまで続けて勉強したくなかった為、推薦を選びました。受験から逃げるように思いますがリスクより確実にいける方を選ぶべきだと思い、選んだのでその頃の自分には後悔はしてなかったです。

推薦の試験が終わり、結果合格になり、そのまま数カ月後には、高校を卒業しました。

そして、4月の春には、大学一年生になりました。
この頃の私は、「絶対に充実した生活を送り、安定した仕事に職をついてみせる!」と心に決めていました。
最初は、就活のネタになると思い、ボランティアの部活動に入部しようと思いました。ボランティアの部活動の説明会に参加しました。
ボランティアの活動の種類は色々ありました。
例えば、カンボジアで言語の絵本をつくったり、アクセサリーを作って、学際で販売しその売上をカンボジアでの募金を出す事募金活動等
幼稚園や保育園に人形劇などする。
大学のサポートや災害の支援などをする事など。
いろんな種類の活動のグループがありました。
私は、その中の人形劇をするボランティアを選びましたが、表はよさそうにみえましたが、実際に入部してみると、あまり性格の合わない先輩がいて、その先輩はあまり単位を取得しておらず留年ぎりぎりな人でしたがどの組織でも中には性格が合わない人がいて当たり前だと思ったので我慢して活動を続けましたが、結局は数カ月頃活動をし、辞めました。
理由は、人形劇は台本があると思いましたが全てがアドリブが多く、対応ができなく、憂鬱な日が続くため嫌になり、辞めました。
その頃の私は、後悔というより、解放感が出ていたのでスッキリしたような感覚は今でも覚えています。
その後の大学生活は、平凡な生活を続いていました。朝、通学→講義→飯→講義→帰っては課題やゲームなどをし生産性がない生活をしていました。
そして、友人から学園祭の団体の活動を誘われましたが何もしないよりましだと思い、説明会に参加しましたがその参加した日が書類を提出する日だった為、軽く先輩に作業内容を聞き、その団体に入りました。
しかし、これは落とし穴がありました、それは学園祭の当日に着るジャケットを買わないといけなく、7000円を払わされました。この時の7000円は私にとっては出費でしたがアルバイトをしていた為、ぎりぎりでしたけどなんとか払えました。大学生活ではお金がかかるのに、もうちょっと注意深く聞いて、情報収集をすればよかったと今でも後悔しています。
私が所属した部署は、子供向けゲームのアミューズメント系の部署に配属されました。そこは、あまり忙しくなかったのですが、企画を考えるのが大変でした。子供が怪我をしないように気を付けて、ボーリングや輪投げやお宝さがしゲームやスライム作りなどを考えました。学際前は講義終わりの夜の7時からだった為帰りが遅くなり、学業が疎かになり、おもうよう生活ができなかったと思います。学際前日の日は大学の近くのキャンパスに住む友人の家に泊まり、翌日の7時頃に集合時間だったので友人の家から出発だったので早起きせずに余裕に出れたのであの時は助かったと思います。そこから朝から準備、確認とそして自身が与えられた役割のスケジュールを実行して、なんとかやりとげました。そこから片付けをし、終えましたが学園祭を活動する中でトラブルがありました。それは、立ち入り禁止エリアがあり、そこを通さないようにしていましたが一部は解放していいと認められたエリアがあり、混乱をまねきトラブルがおきました。それは、グループ内での伝達不足が原因である為です。それ以外は何も起きなかったのですが、もう、少し、班のリーダーに伝達をすればトラブルは免れたと思います。

このように学園祭が終わり、一旦落ち着いた後、普段の学生生活に戻りました。そして、オープンキャンパスのスタッフの案内がありましたので、まず説明会に参加しました。内容は、部署の説明と業務内容の説明がありました。そして、広報部に所属しましたが思ったより、男性の割合が少なく女性が多かったので肩見せまい想いでしたが先輩方が優しかったので続けられそうだとおもいました。そして、講義や団体の活動などを併用にコツコツと過ごすうちに後期が終わり、2月か3月の春のオープンキャンパスで初めて活動をしました。私が担当した役割は、受付、見回り、ガイダンスへの案内、オープンキャンパスに参加した高校生にはがきを書く作業でした。これといっては、学園祭と比べると力仕事がない為、楽でしたが一番驚いた事が給与がもらえる事にびっくりしまた。これは、ただのボランティアだと思いましたが実際に報酬がもらえるとは、ホワイトだなと思いました。
そして、オープンキャンパスの活動が終わり、春休みが終わると同時に2年次生になりました。2年生では、情報の講師アルバイト、講義が専門の科目を取りレベルが難しくなったり、団体の活動では、学園祭の団体は総務の部長とそしてオープンキャンパスのスタッフは同じく広報で活動をし、忙しい年だと思いました。
学園祭の方は責任感が多い部署で部署であった為精神的につらい時がありました。物品の管理や説明会での資料作り、先輩からの圧力やほぼ毎日LINEをさせられ、夏休みが入る前まで我慢し続けましたが精神的や体力的に限界や講義での勉学の支障があったため、会長に相談し、辞めました。急にやめてしまうと困ると思うので、引継ぎの資料を作り、後が困らないようにしていました。しかし、夏休みのオープンキャンパス参加をしたかったのですが、学園祭の準備のスケジュールが重なり参加ができず、夏休暇が終わりました。そして、2年次後期に入ると、オープンキャンパスでの活動が始まりますが、あまり、オープンキャンパスが出れなかった為、気まずくなり、休みがちになりましたが逃げては意味がないのでなんとか続けました。そこからオーブンキャンパスの活動に参加できましたが他の部員と顔が分からなかったので孤立をしていたのを今でも覚えています。そこから3年次生になり、情報の講師の補助アルバイト、オープンキャンパスの活動と就活のインターンシップの年になります。結局オープンキャンパスの活動では、学内のインターン関する活動やゼミの活動が重なり、オープンキャンパスの活動が重なり参加ができなかった為、結局はやめてしまいました。
あの時は、もうちょっと続けたい気持ちがありましたが結局は参加しないと意味がないので結果的には現在はよかったと思います。3年次生の前期の講義は無事に何事もなく、終わりました。そこから、夏休みは、積極的にインターンシップを参加し、そこで、壁にぶち当たる事はありました。それは、グループワークでのコミュニケーション能力不足、自身のスキル不足などがあり、苦労しましたが何社も参加していく内に克服をしました。そして、3年次の前期が終わる頃には成績発表がありましたが多くの単位を落としてしまい、後期には、余分に保険で科目を取らないといけなかった為、冬のインターンでは講義が重なってしまい、なかなか参加ができなかったです。そして、後期の講義が終わる頃に就活が始まりました。そこでは、業界を絞って就活をしていましたので、1月から面接を受けていましたがなかなかうまくいけず、そして3年次後期委の成績発表がありました。しかし、卒業要件に含む単位が後少し足りなかった為、4年生前期では、取り終えるように頑張りました。しかし、今現在問題となっているコロナの影響で大学や就活の影響がでましたが、リモートでの面接に切り替わりましたので、いろいろ大変でしたが、なんとかできました。しかし、前期の大学の講義の課題が多かった為、就活と併用に活動するのが大変でうまくいきませんでしたが、なんとか内定をとれました。しかし、これは自身が志望する業界ではないので、後悔はありますが仕方がないと思いました。

ここまで読んで頂きありがとうございます。

ここからまとめです。
結局何がいいたいかと言うと
大学を入学してからのどのように学生生活を過ごすか考える事。
部活動は、情報収集すべき。
過去と現在の成長したエピソードや学生時代何を頑張ったかエピソードを作る。
今日の出来事日記にし、今後の目標を計画を立てる事。

上記の要点を確認しながらすると後悔はしないと思われます。


ブログを読んで頂きありがとうございます。 内容は、他の記事と比べれな拙いかもしれません。 これからは、少しづつ投稿しますので、温かく見守っていただければ幸いです