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〈COMME des GARSONS〉は宵闇のように女をうつくしく

COMME des GARSONS(コムデギャルソン)〉の服は、女をうつくしく魅せる。

〈COMME des GARSONS〉が似合う女にであった。今から30年ほど前のことだ。

真っ白な顔に、少年のように切りっぱなしのショートヘア。前髪が瞳すれすれまでかかっている。アイラインで囲われた大きな瞳は、傷ついた猫のような印象を与えていた。

彼女がまとっていたのは、シンプルな〈COMME des GARSONS〉のワンピースだった。


少女のように細い体には、少し大きすぎるようだった。体とワンピースの間には、たっぷりと風が通っているのだろう。彼女が体を動かすたびに、ゆらゆらと揺れていた。

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宵闇のように黒い生地。月明かりのように、ときどき光沢が浮かびあがる。

触れるまでもなく、その生地が上質なものであることを伝えている。

それは、あまりにも黒いため、彼女の顔を、雪のように白く、はかなげに見せていた。

〈COMME des GARSONS〉は、1969年、川久保玲によって生まれた。

今でこそ「黒い服」はモードファッション界を象徴するものとなっているが、1981年のパリコレ初参加時、その真っ黒なデザインは、ファッション界を圧倒した。

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もっとも最近の〈COMME des GARSONS〉は、赤などのビビットカラーを取り入れたカジュアルなデザインが多いものの、当時は、白、黒といったモノトーンカラーにこだわった。


その無機質な色彩が、〈COMME des GARSONS〉の大胆なシルエットをひきたてていた。それはうつくしい彫刻のように、見る人に強烈な印象を与えた。

1980年代の〈COMME des GARSONS〉は、今よりももっと狂信的なファンたちに支えられていた。村上春樹のエッセイにも登場する。

1986年に村上春樹は〈COMME des GARSONS〉の縫製工場のひとつを見学している。工場は、東京都江東区の某所にある、「工場というよりも、下町にあるごく普通の家」だった。「玄関には宮下という表札」がかかっており、「1階が宮下さんの住居、2階が工場」として使われていた。八畳間と六畳間がL字型に連なった畳の間では、ミシンのカタカタという音と、スチームアイロンのシュウという音が入り混じっていた。昭和30年代のような風景だけれど、いかに縫製にこだわっていたかがうかがえる。


〈COMME des GARSONS〉が似合う女になりたい。

夢見るようなおもいで、黒いワンピースを眺めていた頃がなつかしい。

〈COMME des GARSONS〉は、今でも少女たちの夢を集めているだろうか。まるで宵闇にかがやく雪のように、幻想的な夢を。

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