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今こそ哲学を学ぼう


昨今のコロナ禍によって新たな コロナ観
という言葉も生まれた。人それぞれコロナに対する考え方や価値観が異なる所以であろう。

そんな中、コロナ観の違いによる人間関係の破綻が日常化している。身近な例でいえば、恋人とのコロナ観の違いにより、価値観の相違が露呈して別れてしまうケースなどである。

今後その変化はますます大きくなっていくであろう。もちろんコロナは人間の生命に関わってくる重大な関心ごとであるので、自分の命を第一に考えることは当たり前である。

しかしながら人の考え方は千差万別なので、経済を回すことを優先するか、人命を優先するかによっても大きく対応が異なる。
それゆえにコロナに対する価値観も自然と人によって異なる。

今後、このコロナ観の違いによる”分断”は
ますます広がっていく。

人間関係の分断、政策支持の分断、
価値基準の分断、コミュニティの分断など

あらゆる側面で人との相違が露呈して、人間関係が希薄になっていく人が増えるであろう。

しかしながら人は孤独を嫌う。どこかで人と一緒に居たいと思う。だからこそ、人との価値観の相違から起因するあらゆる分断に歯止めをつけなければならない。

そうなった時に、私が考える処方箋は、

哲学を学ぶことである。

私は哲学を学ぶ意義は、

自分と異なる価値観を持つ人を前にした時に、
すぐ頭ごなしに否定するのではなく、一旦受け入れて受容する心を醸成すること。

であると考えている。

古代ギリシアの時代から何千年も色褪せず哲学という学問体系が現代も生きている一番の理由は、哲学というものがやはり人間にとって必要だからである。

そしてその意義は先述した自分と違う人をまず受け入れる姿勢を養うことである。

分断が進むこのコロナ禍だからこそ、哲学を学ぶ価値が再定義されていると私は考える。

目の前の大切な人が自分と異なるコロナ観だった時、すぐ分断を生むのではなく、

まず哲学を学ぼう。
そして大切な人を”大切”にしよう

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